SamSara

反グローバリゼーションを憂う


マンニャンの若い母親

グローバリゼーションは悪か

 たしかに、世間で騒がれているアメリカ主導のグローバリゼーションは悪と言えましょう。圧倒的な企業の力による世界戦略を肯定する材料をわたしは持ち合わせません。しかし、その対局として提示されている地域の独立、地域の自立は非常に大きな危険をはらみます。

 今や21世紀。ヒットラーの世界制覇に代わるアメリカによる世界戦略など、通用する世界ではありません。どんなにアメリカの力が強くても、二度の大戦を経た世界は、世界制覇などという単純なシステムを許すほど素朴ではなくなっています。それよりも、いっぺんに吹き出した地域紛争とそれをさらに助長しかねない反グローバリゼーションの動きこそが大きな波乱を予感させます。

 そもそも、グローバリゼーション、つまり、一つの地球こそがわれわれのめざす理想の世界ではなかったでしょうか。「グローバリゼーション」という言葉の定義をどこかで取り違えてはいないでしょうか。グローバリゼーションとは、世界が一つの強大な力によって席巻されることではなく、世界の人々が手を携えて一つの地球を運営していくことでなければなりません。

 第一に、地域が世界から独立して、あるいは、孤立して生きるなどということは可能でしょうか。マンニャン族の村を見ても感じるのですが、押し寄せる世界経済を跳ね返す力は、いわゆる「弱者」にはありません。力のある指導者が手を貸したとしても、それは別の意味での支配でしかないのです。

人類滅亡まであと"7分"

 また、好むと好まざるとに関わらず、世界は一体化の方向に進んでいて、その流れを止めることはできません。今や環境問題、核拡散問題をはじめとして、一国、一地域ではとうてい解決できない問題が地球と人類の時計を刻一刻と滅亡に向けて進めています。先進国の排出する硫化物が熱帯雨林を破壊し、その熱帯雨林の破壊によってただでさえ排出量の増えた二酸化炭素が吸収されずに温室効果を助長しています。先進国の大企業の作る製品がジャングルの奥地にまで浸透しています。そして、何より忘れてはならないのが、インターネットによって情報が一瞬にして世界を駆けめぐるようになったことです。

取り残された者

 では、グローバリゼーションによって取り残される弱者はどうなるのでしょうか。持てる者、持たざる者の二極に世界は分かれるのでしょうか。いうまでもなく、そのような世界では、グローバリゼーションそのものが成り立ちません。弱者を取り残して強者のみの繁栄する世界など、あり得ないのです。必ず、取り残された弱者が繁栄を享受している強者の足を引っ張ることになります。生活の必要から熱帯雨林はどんどん切り開かれ、第三世界の都市では粗悪なガソリンが空気を汚していくでしょう。この21世紀において、ある特定の人々や地域だけの繁栄などあり得ないのです。すべての人々が繁栄を享受して初めて滅亡に向かう世界時計の針が戻されるのです。

 ある程度自立した地域が独自の文化や風習を保ちつつ、他の地域に依存し、世界と交流することで経済を成り立たせる一方、環境問題など世界共通の問題には協力して取り組む。そうした世界をめざして21世紀協会は活動を展開しています。世界の片隅で少数の人々の教育に携わりつつ、その中で、世界の未来を見つめ、「すべての子どもに教育を」とのメッセージを発信し続けてきました。持てる者、持たざる者の格差をなくすのは教育でしかあり得ないことを知っているからです。

(池田 晶子)
《サンサーラ》28号 2002.6.20初掲

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