インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

卒業しました


Helen Sikito

奨学生を代表して

 わたし、ヘレン・シキトは、21世紀協会の奨学生の中で最初の4年制大学の卒業生ということで、奨学生を代表して、心からの感謝を21世紀協会のスタッフやスポンサーの方々に申し上げたいと思います。みなさまは、わたしたちの学業を援助してくださり、その上、みなさまの代表の方々をわたしたちのもとに送ってくださいました。わたしたちにとって、みなさまとの出会いは神様がくださったすばらしい贈物です。  みなさま、わたしたち奨学生はそれぞれに複雑な事情をもった家庭の子たちで、そのために経済的に厳しい状況を強いられています。たとえば、両親が盲目であったり、片親であったり、身体障害者であったりします。また、子どもの数が10人以上の家庭や、両親が別れた家庭もあります。このような難しい状況のため、わたしたちはじゅうぶんに勉強をすることができません。特に、ハイスクールはわたしたちの多くの住む山間部にはないので、学校のある町中に親戚のいない者は下宿をしなければならず、その苦労はたいへんなものです。

苦しかった道のり

 わたし自身も今日の成功を勝ち取るまでたいへん苦しい道を歩んで来ました。わたしの家族は、父と母と9人のこどもの大家族です。父は病気のため歩くことができなくなり、母が細々と畑で野菜を作って暮らしを立てています。

 わたしは小学校の6年間を終えて卒業はしましたが、両親の負担を考えて、進学をあきらめて、畑で働き出しました。しかし、ハイスクールヘの進学をあきらめきれず、伯母の家に住み込みで家事を手伝うことで学費の援助を受けることにしました。伯母はわたしを奴隷のようにこき使ってそのくせ学費をまともに出してくれませんでした。わたしは、1年と4カ月耐えました。でも、とうとう辛抱しきれずに、実家に戻り、なんとかしてハイスクール2年だけは修了しました。2年を終えると、わたしは休学し、1年間畑で働いた後、鉱山に働きに出ました。結局働いたお金は、兄がハイスクールを修了するのに使いました。このころにはすっかり希望を失っていました。

 そのとき、ハイスクールの卒業を間近にひかえた兄がわたしに、学校を続けたいのなら、週末に働いて学費を稼げばなんとかなるんじゃないかと言いました。そのことばに勇気づけられ、わたしは何とかハイスクールを卒業しました。

 その後、わたしはマニラのMICの修道院で1年働きました。次の年には、シスターの力を借りて、大学の1年に入りました。しかし、ここ、バギオの大地震のため、1年の休学を余儀なくされました。最後の3年間は21世紀協会の奨学金を得て,働きながら無事に学業を修了できました。

 ずいぶんと長く苦しい道のりでしたが、わたしはとうとう大学を卒業することができました。山をひとつ越えるたぴにわたしは強くなりました。これは、すべて、わたしの家族、友人、シスターたち、21世紀協会の皆さん、そして、神様のおかげだと感謝しています。

教育はわたしの財産

 わたしへの精神的経済的なご支援を心から感謝します。援助いただいた教育はわたしの人生の財産です。これからの人生に困難があっても、わたしはきっとうちかつことができるでしょう。みなさまの援助に感謝する心は、わたしの卒業と同時になくなるわけではありません。わたしの生涯かけてこの心を育てて行きたいとおもいます。お金を返すことはとうていできませんが、お祈りや、他の困っている人たちを今度は助けることでお返ししようと思います。わたしはみなさまを家族同様に思っています。特に、スタッフの方が訪問して下さるときなどは勇気がわきます。ほかのみなさまにもいつか直接お目にかかれることを祈っています。卒業しても、わたしは21世把協会の奨学生の仲間であることに変わりありません。奨学生のミーティングには必ず顔を出します。心からの感謝とみなさまのよリ一層のご繁栄を。

Helen Sikito

ヘレン・シキトさんは何度も学業を中断ののち、27歳にして今年3月にようやく大学を卒業して教師の資格を得ました。この夏には結婚も決まっています。ほんとうおめでとう。

《サンサーラ》 9号 1994.5.15掲載


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