SamSara ミンドロ体験記 -shinya-

平和、共生を理想とした世界へ
人間を集団から考える
〜特定非営利法人21世紀協会 フィリピン・ミンドロ島での研修より〜
(1999・11・24〜12・3)
関西学院大学総合政策学部4年
紫垣伸也
紫垣伸也君と女子奨学生たち
日程
11月24日(水) 13:10池田氏、川嶌氏とマニラで合流、SMで買い物、夕食
11月25日(木) 7:00出発(マニラ〔バス・3H〕〜バタンガス〔船・2H〕〜〔バス・2H〕〜サンタクルス
11月26日(金) AM;土地問題に関する話し合い
11月27日(土) 少数民族地域、Ulanguan(Sili)訪問
11月28日(日) AM;少数民族地域、Calamintao訪問、PM;Pagbahan 川にて昼食。
11月29日(月) AM;学校訪問、PM;3少数民族とのミーティング
11月30日(火) AM;農地見学、PM;1少数民族とのミーティング
12月 1日(水) マニラへ、SMで買い物、夕食
12月 2日(木) PPF(Pag Aalay ng Puso Foundation)訪問、海岸沿いスラム地域視察、マカティで夕食
スラムと高級ビジネス街。フィリピンの両極を体験
12月 3日(金) 帰国(帰宅;PM11:30)




動機
 「世の中の矛盾に直面している人達とともに彼等の未来のために生きてみたい...。」いつごろこのような考えを自分が持つようになったかさだかではありません。10数年前のアフリカの飢餓をマスメディアから眺めて衝撃を受けてからか、世界中で起きる紛争で生じた戦争難民の悲惨な姿を見てか、身近におきている被差別部落、在日朝鮮人差別の実体に直面している友人に出会ってからか、いずれにせよ今思い出す総ての要因が私を今回のフィリピン研修へと駆り立てたのでした。

 私は、現在大学4年で、将来選択の岐路に立っています。当初は一般企業への就職も考えていましたが、私の根底に潜む理想が私自身を納得させることができず、いくつかのNGO、国際機関にメールやコンタクトをとっていく中で最後まで通じることができたのが「21世紀協会」の代表の池田晶子氏でした。京都で2度、会う機会を用意してくださいまして、ミンドロの現状、環境などの話をうかがったあと、私は一緒に参加させてもらうことを希望し、池田氏はそれを快く承諾してくださいました。

大学でのNGO活動
 私は、大学時代は、学内のNGOサークルに所属し、スラムなどに住む不法居住者の家族とともに彼等の家造りのボランティアのため、4度フィリピンに行ったことがあります(ルソン島ターラック1回、ミンダナオ島ジェネラルサントス3回)が、ミンドロ島には今回が初めてです。帰国して改めて調べてわかったのですが、ミンドロ島は7000以上あるフィリピンの島々の中でも特に初等教育の未発達、マラリアの発生率が高く、貧困度も高い島です。実際、マニラの人々よりも比較にならないほどフィリピンの公用語である英語を話す人が少なく、特に山間部に住む少数民族、マンニャンの人々は部族によっては全く話せない地域もありました(かく言う私も英語は堪能ではないので、ある意味ではさほど問題はありませんでしたが)。21世紀協会のプロジェクトの理念は「すべての人に教育を」の名の下で行われており、ミンドロ島に住む少数民族の方々の教育の普及を活動の中心としており、その事業の一環として山間部から低地の学校に通うため寮生活をしている奨学生たちとともに楽しく過ごしました。

トライシクルに乗って移動中。。。こんなに乗っちゃっていいの?

「教育」について思うこと
 私は、今回の研修に参加する以前は、教育の重要性に対する明確な理解ができていませんでしたが、約一週間の滞在の中で教育というものが重要なものであるということを実感しました。マンニャン族は、かつて、文字が書けなくとも、読めなくとも豊富な天然資源に囲まれて採集生活によって日々をおくることができたのですが、近年、知識を持ったタガログ人が大勢ミンドロ島にやってきて森林を削ったり、土地を奪ったりしはじめました。おそらくタガログ人も彼等の生きるための手段としての行為であり、マンニャン族を傷めつけるという意識はほとんどなかったと思います。しかしながら結局は、教育を持たないマンニャン族は、しぶしぶ奥地へと追いつめられていき、かつては低地にも住んでいたものが、生活に不慣れな山間部にまで追いやられていきました。彼等は、現在でも幼児は全裸、大人でも男女限らず半裸の人がたくさんいます。衣服を着るという習慣がないということも理由でしょうが、貧困のため整った衣服をそろえることができず、そのような容姿の格差は自然、低地に住む人々との間に引け目を覚えるでしょう。

 更に教育を受けていないマンニャン族は、文字、数字が出てくる取り引きなどにおいてもうまくだまされてしまい、それから生じる借金の圧力から、またそれ以上に、うまく取り引きできない自分たちに更なる劣等感を覚えるでしょう。彼等が彼等の部族だけで世間とは離れて自立をおくることができれば問題はないのですが、豊富な資源を求めてやってくるタガログ人、その他外部の人間がそれを許すはずがありません。マンニャン族の未来のため、更には、乱開発によって環境変化によるしっぺ返しを食らわせないという意味では、そこに住み着いたタガログ人のためにもマンニャン族に教育を普及して、双方の意見を平等に取り入れることによって生じる相乗効果を理想として活動するということは意義のある事です。また、「日本」という国籍を背負った者が、かつてフィリピンで侵した行為を振り返りながら、そこに住む人々とともに彼等の平和のために活動するということは、21世紀に向けて新たな関係を構築していくという意味でも意義のある事だと感じました。

21世紀の新しい世界
 日本とフィリピンとの関係は一般にはマゼランがやって来た1521年より以前の室町時代の末期頃からとされています。それ以来数百年、善くも悪くも様々な形で交流を重ねてきました。私は21世紀に向けての新たな交流で、平和・共生を理想とした関係を構築していきたい、いかねばならないと望みます。そういった意味では、このNGOは、その理想追求に的確に当てはまる団体です。卒業後も是非、深く関りを持ち、互いの教育的、精神的向上を目指したいと思っています。

 最後に、突然の申込みながら快く今回の研修に参加を許していただいた代表の池田晶子氏、初対面にもかかわらず現地で親しく接していただいた理事の川嶌寛之氏、現地スタッフの皆さん、隣接する寮で生活し、研修期間中一緒に遊んでくれた奨学生、その他21世紀協会を支えるまだ見ぬ多くのスタッフの方々に感謝の意を表したいと思います。

1999.12.17


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