SamSara

《ミンドロレポートその8》




人間、そして、21世紀協会

木登り。。右からサムエル、伸也、池田晶子

windmill

世紀をまたぐ

21世紀になった。

私の旧世紀と新世紀をまたぐ、いわゆる"世紀の瞬間"はあっけなかった。 年末年始はフィリピンの学校もクリスマス休暇に入り、奨学生もその間は各々家族のいる山村へ帰る。私もその期間は、事業地サンタクルスから少し離れ、水平線上から登る初日の出を見るために、事業地とは反対側の東ミンドロに行ってみた。12月31日のことである。

 東ミンドロ州のロハスという町で宿に泊り、年越しの祝杯も兼ねてビールを3本飲んだ。ほろ酔い気分で、うとうとしてふと気が付いたら、時計は午前一時を指し、すでに21世紀になっていた。

 何の感動も無かった。多少周囲で花火を打ち上げ、新年を祝っている様子もあったが、これが世紀の瞬間を祝うファンファーレなのか、と思うと更に興ざめする気持ちになった。

 また、その晩から小雨がちらつき、肝心の元旦の朝はうっすらと曇空となり、初日の出は幻となってしまった。しかたないので二時間ほど、海岸で水平線と、空と、度々視線を横切る海鳥をボーっと眺めた。

 その間、少し考えた。「21世紀」という、これからの100年に君臨する巨大な単語について。

 確かにその単語は巨大であるが、昨晩の世紀の瞬間の無感動を経験する限りにおいて、「21世紀」自体が我々人間に影響を及ぼす物はない。つまり「21世紀」それ自体は巨大な虚無の空間であり、結局「21世紀」自体に何も期待するものはなく、また出来るものでもない。自分自身が「21世紀」をいかに生きるか、という日々内面から発するエネルギーの質、量によって実体として「21世紀」は"造られていく"ものであると認識する。造ろうという自発的意志が無い限りにおいて、21世紀に感動はなく、成功も得ることはない。

「21世紀協会」という存在

 もう少し考えた。「21世紀協会」という、無限の存在について(むしろ地球上のすべての子どもに教育が普及されたとき、その使命が達成されるという意味において、有限なのかもしれないが)。21世紀の初めに、これまでの滞在期間中に得た協会の印象を整理してみたいと思った。

 まず、21世紀協会は、組織である。

 "組織を支えるのは人心であり、人心を納得させるのは当事者の公正な態度である。"

 明治維新時の太政官、大久保利通の発言である。極端に冷静沈着な政治家としても有名で、徹底した無私に自分を置き、『日本』という新秩序建設のために組織と共に生きた。

 私は、組織に属する場合において、大久保の考え方は好きである。立場はボランティアといえども、奨学生と接するときや、"21世紀協会ボランティア"という名の下で行動するときには、公正な態度の維持を常に意識しなければならないと思っている。冗談を言い合う場面は別にして、組織人として徹底しなければならないと判断したとき、人類の基本的三大欲望(食欲、性欲、睡眠欲)すら制御する必要があるとも考えている。これは、21世紀協会のみならずとも、多くの組識に関して当てはまる組織人の理想像かもしれない。

 しかし、同時に21世紀協会は、人間でなければならないと思う。

 "人間は、誰でも他人の不幸を見過ごせない同情心がある。"

 中国の思想家、孟子の言葉である。

 昨年末、ある奨学生の弟(1歳)が急激な脱水症状で死亡した。それより少し前、別の奨学生の祖母にあたる人物が腹部に大量の水を溜め、死亡した。更にそれより前、我々の奨学生自身が重度の結核に罹り、生死の狭間をさ迷った。私は、医学的知識は皆無に等しいので、それらの全てにおいて傍観の徒でしかなかったが、川嶌寛之(現地理事)氏は、急死した前者の赤子の例以外の、後者2つの処置に関わられた。川嶌氏とて医者ではなく、独学の知識や、医者から得た処方箋を元に彼らに薬を与え、処置を施したにすぎないが。

 奨学生の祖母は、結局死亡したものの、経済的に貧しくて得ることができない薬を得ることによって、多少延命し、緩やかに死を迎えることができた。

 結核に罹った奨学生は、細菌によって喉が圧迫され、呼吸不能寸前だった状態から見事に完治した。私がミンドロに来る前から治療を開始され、完治まで約8ヶ月を要した。これもその奨学生の生への意志とともに、川嶌氏の不断の努力の賜物であるといえる。

 これらの例以外にも多くの病を患ったマンニャンの人々が我々の事務所を訪れる。彼らは、貨幣経済原理の上にいない存在であるため、薬を買う金がない。更に言えば、基礎教育を受けていない人の場合、文字や、カレンダー、タガログ語に知識がなく、自分自身で医者に症状を話すことや、薬の飲み方も理解できない。川嶌氏は氏自身の判断で時に彼らを病院に連れて行き、彼らの仲介に立って医者に説明し、薬の飲み方を図示して彼らに教える。

 ここで、冷静に21世紀協会を教育普及の"組織"というもののみに固執して考えた場合、川嶌氏独自の判断による、定義のない、これらの医療支援は、その他数え切れない医療支援を乞う経済的に貧しい人々がいるミンドロ島において、公正でない。頑丈な組織形成を目指したときに、むしろマイナスとなり、更には「不公平」という危険な人間関係を形成する可能性もある。

 しかし私は、ここで川嶌氏と共に滞在している一人間として"しかし"と言わなければならない。なぜなら、私自身が、以下の(問)の返答に苦悩する様な、いわゆる孟子の言うような性格だからである。

 (問)命に関わる病に罹った患者で、4000円の手術代を出せば命を救うことが出来る。だが、本人はその金すら持っていない。本人の顔を見たことはないが、彼が我々の奨学生の親の親類であると認識し、たまたま自由に使える4000円を我々が持っていた場合、どう判断するか。

 4000円を渡すことによって、彼は助かる。が、渡すことによって我々は、公正を意識した場合、今後そういうケースで訪れる人々からの要望も完全に無視することは出来ず、限界の無い芋蔓を力尽きるまで引っ張り続けなければならないかもしれない・・・という風にもじもじと考えるのである。

あくまでも爽やかに生きる

 とはいえ「現場に足を付け、援助をする」という現実上、日々組織から与えられた仕事以外に、そういった答えのないい質問がひっきりなしに至る所からやってくる。生死がかかった崖っぷちの状態に立ち、答えがなくても答えなければならない場合、どういう判断にしろ、瞬時に答えを出さなければならない。

 "私は人間だった。それは戦う者だということを意味している。" ゲーテ

 ミンドロ島にボランティアとして滞在し、援助するという側に立つ限りにおいて、私は、私自身が定義しようとする"公私"という枠組みを飲み込まんばかりに日々向かってくる人間の複雑な個性、感情との戦いを避けることはできない。それは、21世紀協会ボランティアとしてだけではなく、"私"という人間を証明するためとしてでも避けられない。

 「組織と人間、二つの個性の中で、最善の回答を創造するための戦いに挑む組織」 いろいろ整理して、これがミンドロ島で私が得た協会の印象である。

 "公正""同情""戦い"大変な単語ばかりである。が、

 "あくまでも爽やかに生きる。"

 私の2001年の抱負である。こういう場においてこそ、一層、何事が起きても爽やかに生きたい、それが全ての前進につながるのではないか、と信じる今日このごろである。


windmill

2001年1月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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