SamSara

《ミンドロレポートその 6》




農に生きる人々



シプヨ村で田興し指導

windmill 農の何たるか〜3K〜

 日本人、乾丈一氏について。氏は、私がミンドロ島に赴く前に農業実習生として受け入れてくださった方である。ミンドロ行きが決定してから丹波の黒大豆で有名な兵庫県三田市の農業センターをいきなり訪問し、乾氏の存在を知り、強引に懇願して何とか実習の了承を得た。4月中旬〜5月中旬の約1ヶ月という農業を学ぶには短すぎる期間であったが農に生きる人物との直接の触れ合いは農業というものを肌で知るという良い経験となった。氏は有機農業にこだわり、牛の糞と藁でこしらえた堆肥を用いて土を作る。私はその堆肥を大豆栽培用の畑に撒く作業を手伝った。軽トラックに山盛りに詰まれた堆肥は発酵の最中で、もうもうと臭気の混じった湯気をだし、スコップでそれをすくい畑に振りまく度に堆肥独特の糞と藁の合成された匂いが皮膚につき、終日その作業だけだったときは毛穴の奥にまでその匂いが染み込んだ。歩きにくい土の上をひたすら歩き、スコップを振り回す作業により筋肉があちこちで軽いひきつけを起こした。

 乾氏は農業を「3K(臭い、汚い、きつい)」だという。経験上、確かにそのとおりだと思った。しかしながらそれが農業、特に化学肥料や超自然的な物質を用いない農業の場合それは必然であり、したがって農に生きる人々はその3Kを認識し、その状態の中でいかにして充実感を得られるかを模索しなければならない。乾氏は、その模索の手段として作物と話す。作物が今何を欲し、何が満たされているか、葉に触れ、実に触れながら対話をするという。それは作物を単に人間の食物というだけで見るのではなく、作物の成長過程に繊細な喜怒哀楽をもって挑み、農業という仕事を金儲けのみの材料には思わず、氏自身の人生そのものであると感じているからだといえる。

 乾丈一氏の家系は三田市の地に農業で根を下ろして氏で11代目である。"丈"という氏の名前の一文字は11代前の先祖以来引き継がれているという。江戸元禄時代から脈々と現在まで続く徹底した乾氏の農業にはずっしりとした重みがあり、安心感がある。私のような若造にとって乾氏の農とは何たるかを語るのはおこがましいが、氏の農業は農業の一つの真髄であるような気がする。

ミンドロの「農」

マメの生育を見るコミュニティーオーガナイザーのディン

 忘れていた。このレポートはミンドロレポートでなければならない、場所をミンドロに移す。 11月20日(月)に事業地アラカアック地区で栽培されていた稲の収穫が行われた。0.78haの田で28袋(一袋約50キロ)の収穫であった。10月と11月に2度の大きな熱帯性低気圧が発生し、地区全体的に比較的不作であったようである。川嶌氏(現地理事)の話でも去年の収穫量に比べて今回はかなり少ないということであった。

 我々のアラカアック地区の農地は、20年ほど前まではうっそうと茂る原生林であり、それを徐々に開拓して稲を植えはじめた。土壌の質としては問題無いが、農地を取り囲む灌漑設備はいまだ十分ではなく、多少の豪雨で洪水状態になり、農地に被害をもたらす。また、ゴールデンスネイルという稲を食い荒らすタニシの一種がこの地域一帯に発生する。我々の農業指導の方針としては、現段階において貨幣経済原理の下にいないマンニャン族の状況を考慮し、一切の機械類、化学肥料を用いず、出来る限り人力に頼る方法をとっている。方法論としては間違いではない。しかしながらここで生じる問題は、我々がそういう方法をとったとしても隣の農地では化学肥料を用いるという現状がある。化学肥料を用いる農地では、ゴールデンスネイルを一斉に駆除することが可能であるが、我々の農地はそうではない。ゴールデンスネイルも馬鹿ではないようで化学肥料の撒かれた農地には近づかず、その分我々の農地にやってくる。我々はそれを手作業で駆除するのだがそれもある程度限界がある。結局、様々な原因が重なって期待していたほどの収量の米を得ることはできなかった。

 細かい意味では様々な原因といえるが、この不安定な米の収穫の根本的な原因は、一言に尽き得ると思う。それは、タガログ族・マンニャン族関わらず、ミンドロ島民全体に対する農業への取り組み方にあるといえる。タガログ族は一般的に海洋漁労民族といわれ、その海に強いところから他島より渡海し、ミンドロ島へ流れ着いた。対してマンニャン族は移動民族であり、食べ物があるところを転々と移動して生活してきた。単純に考えたとき、農業を行うためにはいずれの民族の気質も適さない。自己認識し、意識の転換を図ることが出来ればそれくらいの民族の気質はいかほどにでもなると思うのだが、多くが既存の意識の中で客観性に目覚めることなく自己を確立してしまっているためにそう簡単には事は運ばない。農業に重要な条件とは"定住"であり、そのためには地域住民の密接な関係、農家と農家の互いの理解が必要である。ミンドロ島、少なくともアラカアック地区の農地に関して、それは希薄である。一方では有機栽培、一方では化学肥料を用いるような農家同士の関係であれば、しっかりとした地に根づいた土を作ることも難しく、それに比例して作物の収量も不安定になる。

作物に語りかける

川をせき止めて簡易灌漑を作ったが、台風ですぐに流されてしまった

 乾氏の農業と比較したときに気づくことは、ミンドロ島の農業には歴史が無いということである。したがってもしこの地で農業指導を継続し、持続可能なレベルまで発展させるのであれば、一種"歴史を作る"という単なる農業指導以上の意識と意気込みが必要でないかと思う。現段階において農業指導全体のコストは収穫高を大きく上回る。何事も最初はリスクがつきものであるが、ゴールを設定しなければリスクはただのリスクで終わってしまう。"歴史を作る"ということは、どういう状態にあるにしろ既存の生活リズムをある程度は変化させることになり、下手をすれば援助をする側にとってもされる側にとっても"誤解"という摩擦によって危険な状態に陥る可能性も考えられる。力強い実行力とともに繊細な心配りが援助をする側に必要とされる。

 実験的に栽培している大豆は着実に成長している。花を咲かせ、かすかに実も付きはじめている。6品種の大豆の混合交配を避けるため、それぞれ間隔を置いた農家の土地を少しずつ借りて栽培している。いずれの家主にしても非常に親切な方々で、感謝にたえない。大豆栽培を通じた彼らとの人間交流は、ミンドロ島の農に生きる人々を知る上で勉強になる。

 調査の度に私も乾氏のように時々大豆に話し掛ける。「いろいろと問題はあると思うけど、がんばってしっかり育ってくれよ!」もちろん直接の返事は返ってこない。しかしながら少なくとも私が発した言葉は私自身の耳に入り、それはなぜか第三者が話し掛けてきたときの感覚で心に響く。 作物を育てるということは、なかなか気持ちの良いものである。機会があれば純粋に農に生きてみたいと時々思う。


windmill

2000年12月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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