SamSara

《ミンドロレポートその3》

何が正しいか、正しいとは何か

〜ミンドロの一風景より〜


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蚊に囲まれて

 いまだミンドロは雨季です。数日前に強く振った雨は今朝になって少し落ち着きを取り戻し、同時に小さくなった水溜まりから大量のぼうふらが羽化しはじめ、今回のレポートを書き始める私の皮膚のいたるところに攻撃を仕掛けてきます。虫刺されによる"痒み"というのは人間の集中力をそぐ力があるようで、この痒みにいかに打ち勝つかが私のような温暖湿潤地域出身の人間が熱帯の一田舎で生き残る上で重要な課題になると思われます。

田植え体験

カラミンタオ村にて−左から2人目が紫垣伸也、その左隣が村落形成担当のディン

 8月17(木)、18(金)日に2ヶ所のパイロットエリア(パクパク村、アラカアック地区)で田植えが行われ、スタッフとマンニャン族の皆さんとともに太陽に照らされて銀色に輝く泥田に手作業でせっせと苗を差し込んでいきました。作業効率の善し悪しを考慮しなければ、皆で一つの田に入り、一斉に腰をかがめ、何やかんやと取り止めも無い世間話をしながら苗を植える作業は農村社会に必要な隣家同士の人間関係をよりよく構築する"場"として適当であるといえるでしょう。

 昼食は彼らと一緒に摂りました。パクパク村ではその日、田に水を注ぐために利用された"元"溜め池の底に潜む20cm程度の鯰の塩焼きがでました。小一時間前まで息をしていた鯰は、焼きあがった後も筋肉に活き活きと弾力性が残っていてなかなかの歯ごたえです。また、焼き鯰のかすかに残る泥の匂いと淡白な味は、私をパクパク村の土の養分を直接吸収したような気分にさせました。

 アラカアック地区では異なる事業地で採れた太ったオクラと、小型の蟹と、鯖のような魚のぶつ切りを湯掻いたものがでました。フィリピンに住む人々は食事法として道具を使う以外に素手で食べるという方法も持っています。今回、その場にスプーンなどの道具が無かったので私も素手で食べることにしました。幼いころ両親から「素手でものを食べたらあかん!」と再々指導を受けていたせいか、皿に盛られた料理に直接手を触れるのに、最初、多少の勇気がいりました。味覚に関しては素手でも道具でも特に影響するものはなく、最後のほうで細かくなったおかずを指先で摘み取るには苦労しましたが、田植えの真っ最中を実感させる、若苗で半分だけ薄緑色に染まった田を眺めながらの食事はなかなかのものでした。

素手の使い道?

 ところ変われば習慣や文化、価値観も変わります。上記の食事法以外にもフィリピンの人々は日常生活で素手をよく用いることがあります。例えばトイレですが、彼ら(ちなみにフィリピン人全体ではない)は大便の後、尻の汚れを手で拭い取ります。更に言えば指の平を利用します。私は現在トイレットペーパーを使用していますが、学生時代にフィリピンのミンダナオ島に行ったとき、試しに何度か素手で拭ってみたことがあります。初めて食事に直接手を触れるとき同様、最初ためらいがありましたが、慣れてみれば指の平の膨らみはうまくそれにフィットし、手というものはうまくできているものだとむしろ感心させられました。

 ミンドロ島での生活が始まってそろそろ3ヶ月になりますが、かつてとは異なる環境での生活のなかで、様々な角度から日々新しい経験を得、それは物事を考えるきっかけとなり、「常識とはなにか、何が正しいのか」を問い掛けてきます。

 フィリピン人は良く素手を使うと先記しましたが、例外もあります。

 "銃"という道具について、フィリピンという国は法的手続きを行えば誰もが銃を購入することができます。裏ルートでは銃の密造や密売も盛んで、金さえ払えば法をすり抜けて手に入れることも容易なようです。そういった緩やかな銃規制レベルの現状は、ときどき一般市民社会に悲惨な結果を招きます。

射殺された警官をめぐって

 それは7月25日(火)の日中に淡々と行われました。私達の住むサンタクルスという町から数町離れたマンブラオという町へ向かって走る乗客用ジープに一般客と一緒に乗っていた警官が途中停車した瞬間、何者かによっていきなり三発の銃弾を食らいました。その中の一発が後頭部に命中、右目を粉砕してそれが致命傷となり即死しました。死亡した警官の娘は、私が以前地元の小学校にタガログ語を学ぶために何度か通っていたときに一度会ったことのある学校の保健婦でした。更に彼は協会のボランティアに参加してくれている人物の甥にもあたるという、間接的に非常に近い人物で、そういう意味でも私にとって衝撃的な出来事でした。

 通夜が行われている殉職警官の家は私の滞在先から近くにあり、夕方スタッフとともに通夜に行きました。訪問する人達に飲み物を渡しながら挨拶を交わす保健婦の娘は、空気を眺めているような無の表情でした。棺の中の殉職者は正装され、ガーゼで隠された右目の部分以外はマネキンのような整った状態でした。一時間ほどそこにいて、帰りました。 この国の一般的葬儀のスタイルは5〜7日間、自宅で通夜が営まれ、その後教会で葬式を行い、土葬されます。事件から一週間後、おりしも私が諸用でマンブラオ行きの乗客用ジープを待っていたとき、国道をしばらく封鎖する形で1000人近い弔いびと達が殉職警官を棺に納め、教会に向かっているのを見ました。その行列が通り過ぎた後、しばらく行列の封鎖によって待たされていたのジープとバイクが群れを成して走っていましたが、じきに何事も無かったかのように元の町の様子に戻りました。

マニラのスラムを訪問

以下は、私の知人の発言からです。通夜のときにスタッフとともに同行した近所の友人は家政か何かの研修のために日本に行った経験があるらしく、いくらか日本語が話せます。彼女は私の隣に座り、いきなり日本語で話しました。「彼(殉職警官)は、殺されて当然だったかもしれない。彼は警官だけれども隠れたところで残酷なことをしている。NPAの若者が彼に殺されたのを聞いたことがある。恐らく彼はNPAの一人に殺されたんだろう。」通夜の席でなんてことをいうんだ、とびっくりしましたが周りの人は日本語だったので誰も理解してないようで改めて安堵し、彼女の話す内容の凄まじさとフィリピンで話す日本語の異様な力を思い知りました。その夜、スタッフの一人が家に来て一緒にビールを飲み、その事件の話になりました。彼が言うには「あの警官は悪いことをしたんだ。だから殺された。殺される直前に何度かNPAからイエローカードが送られてきたらしい。恐らく殺ったのはNPAだろう。」私は"死"というものに強い恐怖心を覚えるタイプで、人の死について簡単に解釈する力を身につけていません。そのため彼らの発言に対して、どう反応すればよいのか、それ以前にどう感じればよいのかすら判断できませんでした。

共産ゲリラ出没

 ここでNPAについて。NPA(New People's Army)とはゲリラ化して政府と対立する共産勢力です。ミンドロ島にも彼らの組織はあり、一般的に彼らと対立した場合、自宅にイエローカードが送られ、それでも反する行為を継続すれば暗殺されるといわれています。彼らのビジョンとしては"貧困層の救済"というものがあるといわれ、マンニャン族の村にも時々訪れ、村人とも何らかの関係を持っているようです。行動は異にしながらもマンニャン族と関わるという共通点があるという意味で現地理事の川嶌氏の話では、彼らは私達の活動をチェックしていて、更に言えば数ヶ月前にミンドロ島に来た私がどこから来てどういう人物なのかも彼らの独自の情報網を駆使して調査されているということです。

 私は、人の噂というものを信じない性格で、直接現物を見るか事実を知らない限りは確信を持つことができません。ゆえに今回の事件について私自身、現段階では何もコメントする能力はありません。唯、この一見平和にみえる閑静なミンドロの田舎でも一人物の死について見えてくる、深い感情と、噂と、血縁を絡ませた複雑な人間関係が存在するということくらいが私の知るところです。そういう現実社会を認識しながら、更に「マイノリティー(少数民族」と人種的に区分された中で生きるマンニャン族の人々と共に、いかにうまく事業を展開していくかの模索が協会運営で重要な要素であると思われます。

その土地に"生きる"ということ

 私はミンドロ島で満天の星と天の川を生まれてはじめて見、ミンドロ島で生まれてはじめて、見渡す限り誰もいない透き通った海に身体を浮かべました。この島は自然も豊富で多くの人々はやさしく、のんびりと穏やかな柔らかい雰囲気に包まれたとても美しい島です。しかしながらその土地に"生きる"ということになれば少し複雑な物事にも出会わなければならなくなり、それらに関して何らかの判断を必要とする場合も頻繁に出てきます。そういった"現実"も踏まえて、私達が事業を行っているミンドロの一風景を今回のレポートから想像してもらえればありがたいと思います(できればポジティブに・・・)。


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2000年9月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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