SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその28》




幸福の追求のために私が学ぶべきこと

windmill

「楽しい」と思うこと

 先日、奨学生に"楽しい(幸福)と思うこと、とき"についてインタビューをした。結果、"両親と一緒にいると楽しい"、"兄弟姉妹や友人と一緒にいると楽しい"という答えが上位にあげられた。共同生活するマンニャン族奨学生は、学校のない彼らの村から離れて、町の学校に通っている。当然のことながら、町にいる間は家族や、村の友人たちと会うことはない。寮内の十数名の限られた仲間と、我々日本人が彼らの町でのいわゆる家族である。我々の関係はいつまでも "いわゆる家族"であって、純粋な"家族"ではない。つまり彼らは、普段学校へ通う時期、最も幸福だと感じる条件を満たせない環境で過ごしている。

 かつて当然のごとく親元から学校に通っていた私にとって、彼らのその気持ちを十分理解するということは難しい。ただ、私が自覚しなければならないのは、そういった幸福な環境を離れてでも学校に行く、という彼らの意志を尊重することである。彼らの就学への意志は、時にとても強く、時に弱く、時に途切れることもある。私は最近、彼らを何が何でも学校に行かせなければならない、とは思わなくなった。ただ、ここに共同生活する奨学生が、元気に明るく力強く日々を過ごせる人間でいてほしい、そのために勉強したり、知識、技術、学歴を手に入れたり、様々な人に出会い、影響を受け合って成長できる場にしたいと思っている。

shiny on hammock with magyan students

自己を振り返る

 と言いながらも、これまで私が彼らにその気持ちを純粋に伝え続けることができたか、と自分に問えば、素直に「出来た」とは言い難い。日々の予想しがたい環境との接触で、揺れ動く未完成の自己を持つ私が発する言葉、行為は、更に環境を自分の意図できない方向にもっていくことが多々ある。それは良い時もあるが、大抵はあまり良くない。そう考えると、一見私とはつながりのない周囲が及ぼしたと思われる、他へ対する自己の苛立ち、怒りなどの出所は、私自身のそのときの状態から来ている、といえる。つまり、誤解を恐れずに言えば、問題は私自身にある。そして予想しえない悪い環境をつくらないためには、他人には自分の意見を出来るだけ正確に伝え、自己が今、どのような健康状態、精神状態にあるのかをまず知ることがいかに大切か、ということがわかる。

 そう思いながら約3年間のミンドロ島で過ごした日々を振り返ってみると、かなりの数の誤解を招く行為、失言を奨学生や、スタッフ、周囲の人々にしてきた事に気付く。申し訳なさと、恥かしさがこみ上げてくる。恐らく、これからの人生においても私は、些細なことで揺れ動き、うろたえ、ネガティブな発言、行為をするときがあるだろう。そしてそれらは、私を不幸にする。そう、私が幸福になり、周囲の環境を良くするためには、些細なことで生じるネガティブな私自身と戦うことをしなければならない。私は、幸福になりたい人間である。もの、食糧、金、世間体、義理人情、仕事、勉強、趣味、遊びなどは幸福を追求するために重要な材料である。しかしながらそれらはいかなる意味においても単なる材料であり、それらに踊らされてはならない、踊らさなければならない。私の幸福感は、私も含め周囲の人々が幸せな気分になり、更に幸せになろうという欲求に満ち溢れた状態のときに達成する。「達成」といったが、それは常人に簡単に成し得るものではない。だから、私が常に意識するべきことは、私の人生は、「達成」という漸近線に限りなく近づこうとする対数曲線のようなものである、ということである。それが、私が日々幸福を感じ、更に幸福になるために最も近いような気がする。

カンルアン村での「幸福感調査」

 そんなことを思いながら、最近、マンニャン族の村カンルアンに足を運んで、町に住む奨学生と同じく、住民の幸福感の調査をした。現在識字率0%のこの村で、文字表記の情報の共有は無意味なので、絵や表など視覚効果を利用し、住民が何をもって幸福を感じるのかを話しあってもらった。その結果例えば、若者の幸福感の一番にあげられたのが「村に識字教育を行う先生がいれば楽しい」であった。勉強をしたい、シガノオン(マンニャン以外の人々という意味に近い)にバカにされたくない、町で起きていることを色々知りたい、という気持ちが強いことがわかった。しかし山中に住む彼ら、特に女性は、シガノオンの住む町に行くことを極度に恐がる。マンニャン族だということで、資本主義のネガティブな部分に汚染された人々に騙されたり、バカにされたり、暴漢に遭ったり、ときに意味なく殺害されることもあるらしい。

 前々回のレポートで、東ミンドロの山中で思った幸福について書いたが、ここでもう一度見直さなければならない。確かにそこで私は、大自然と人間の調和に感動し、幸福感に包まれたが、それにのみ込まれてはだめだ。それは単なる懐古主義的なものだからである。純粋な懐古主義だけだと、21世紀の資本主義という怪物に喰われるのは時間の問題である。喰われてしまったら、幸福も何もない。それは、マンニャン族だけでなく我々もそうである。彼等と我々の幸福の追求の方法は、微妙に異なるが、方向は同じである。

 カンルアン村の若者の「勉強をしたい」、という欲求は二つの意味で素晴らしい。一つは、新しいものに挑戦したい、という幸福な人生の追求に必要な積極的な態度が見られる。もう一つは、日々、彼らの住む山に向かって計画性のない自然破壊開拓を進行している一部のシガノオンと面と向かって話し合えるだけの具体的な技術を得ようという意志である。我々は、彼らのその思いを尊重しなければならない。更に、できうるならば支援しなければならない。そして私は、そうできる人間になれるように自分自身について日々学んでいかねばならない。


windmill

2003年4月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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