SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその27》




日和見主義はあぶない

carabao
windmill

「勝つ」

 人の心が100%わかる、ということはない。ただできることは、わかりたいという気持ちを持つこと、わかろうと努力することくらいである。それらの継続と積み重ねがより充実した人間関係を構築し、より充実した人生をおくるための要素であるような気が、漠然とだが、している。

 最近、人の心がわかりたい、と思う。

 われながら驚くべき(恐るべき)ことに、そんなことは生まれてからこのかたほとんど思ったことがなかった。人の心なんか、ころころ変わるし、そんなものをわかろうとすることにエネルギーをついやすくらいなら、自分のそのときの精神状態にまかせ、その瞬間の感情をそのまま吐き出す体力を身につけたいと思っていた。相手が私の嘔吐物に押しつぶされたり、逃げたり(避けたり)したら私の勝ち、嘔吐物を跳ね返し、蹴散らすことが出来れば私の負け、と、人間関係を極度に単純視していた。勝つために必要なものは、大声と、強引さ。二つとも、かなり今の私に身についてしまっている。

 勝つ、といったが、なにが"勝つ"なのか?無理やりにでも人を黙らせ、自分の声を聞かせることが勝つことなのか?自己の主張は、自分を見失わないためにも、幸福な人生をおくるためにも大事なことである。が、その場の雰囲気や、健康状態、見栄、虚勢によって出来上がった薄っぺらな衝動のような感覚をそのまま表に出すことが主張といえるだろうか?私のこれまでの主張(というものがあったとすれば)は、多くがこのような浅いところから出るものであったと思われる。

計算されていない発言

 と、これまでの自分を反省するように書いている現在も、無意識に人に対して計算のされていない発言を連発しているだろう。暇があれば自分の発言に対していちいち思い返すようにしているが、抜けているところはたくさんあるに違いない。

 計算のされていない発言、とは、例えば相手を充分に思わないでする発言である。思う、ということは、相手が私に、もしくは私が関わる人に何故それをしたか、それをしなかったか、想像してみることである。更にいえば、そういうことをした(しなかった)相手を取り囲む環境、バックグラウンドを知ろうと試みることである。これまで全く相手を気遣わずに生きてきた、ということはなかったと思うが、その程度の気遣いは自己の意識下にあるほどのものではなく、恐らくその時々の私の健康状態に大きく左右される日和見的なものだっただろう。日和見的な行為は、よくない。特に未来を担う子どもと関わる指導側、教育者側などがそうだと危険である。そういった点で、私は反省しなければならないところが多い。何故、急に自分を反省しようと思うようになったかは、人との交流や、何かの本など、いくつか原因は考えられるが明確にはわからない。

 そういった心境の中で最近、人を思うことの重要性を強く思わせてくれたのが、地元のハイスクールの一教師の挙動であった。

あるハイスクール教師

 協会のHPなどを見られた日本の方々から支援物資が送られてくる。切り詰めた状態で生活している我々にとって非常にありがたい助け舟になっている。文房具や、子供用衣服、生活必需品は奨学生に支給し、その他の物資は露店をひらいて、町の人々に購入してもらっている。その売上は全て協会の運営費(食費など)に使わせて頂いている。購入される人の中には学校の先生もいる。ある日のことだが、近所に住むハイスクールの先生が、寮にいきなりやって来て、まだ値段設定していない数着の古着をとり、「これ幾ら?100ペソ?」と聞いてきた。まだ、決めていない、と答えると、私に100ペソを無理やり握らせて、品物を持ってかえろうとした。私もむっとして、少し怒鳴るように、今日は販売してません、といってお金を突っ返し、品物を取り返した。すると、彼女もむっとしたらしく、「ふん、勝手にせい!あなた達の奨学生(彼女のクラスの生徒3名)がどうなっても知らんからな!」といって去っていった。

 私は呆然と、圧倒的な発言をした彼女の去っていく後姿を眺めた。いったい、この教師の精神構造はどうなっているのか?この教師に教わる子どもたちはどう育つのだろうか、と疑問をいっぱいにしながら黙り込んでしまった。

 このような理解の難しい天秤を脳に持った教師は、この町に結構いる。「先生に逆らうと成績が落ちるから」と、奨学生だけでなく町の子どももよく言っている。私は、学校教育というものは子どもの成長に必要だと信じているが、子どもに威を振りかざしながらも日本の中学受験レベルの算数さえ解けないサンタクルスの学校の先生に、一介の協会インターン生として、どう対応すればよいのか悩むときがある。個人的には喧嘩してもいいと思っているが、私の立場や、奨学生のことも考慮すれば、まずはやはり、彼女たちの環境、バックグラウンドを知ろうと試みるべきだろう。今のところ私の中において、彼女は"反面教師"として成立しているが、その"知ろう"という試みは継続していこうと思う。

 善し悪しを問わなければ、ここには"人の心とは"についていろいろと想像しやすい材料がたくさんある。まず、自分を落ち着けて、それらを見る力を身につけたい。その継続、訓練が結局のところ自己の成長にも繋がるのではないか、と思う2002年、年末の今日この頃である。

 補足:その後、件の教師とは交渉をしなおして、120ペソで購入していただきました。みなさまのご支援、ありがとうございます。


windmill

2002年12月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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