SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその26》




ミンドロ島の山中より

windmill

2003年の夜明け

 奨学生の修学旅行という名目で4人のマンニャン奨学生と川嶌現地理事と2002年12月30日朝、西ミンドロ州サンタクルスを北にむかって出発した。北西の町アブラ・デ・イログから徒歩で海岸線、山際の道なき道を約5時間かけて北東の町タリパナンに着いた。隣町のプエルトガレラで一泊し、朝、外国人観光客の多く集まるホワイトビーチリゾートを見学、それからジープで一時間ほど南下し、バコというまちで降りた。そこから山のふもとまでトライシクル(三輪バイク)に乗り、山中にあるという、奨学生の父親が住んでいる山小屋を目指した。山に慣れた奨学生たちを先頭にひたすら密林をかき分け、小岩を登り、湿った地面に生息する黒色のヒルに足元を吸血されながらようやくたどり着いた。彼らの家は山の斜面にへばりつくように建てられていて、林の隙間から東ミンドロの低地部分とその先の水平線を伴なった海が見事に見渡せる。ひょっとすると素晴らしい初日の出が拝めるか、と期待していたが、夜から断続的な雨が降り出し、ニッパ椰子の屋根から漏れてくる雨と格闘しながら年を越し、日の出も雨のせいで見ることが出来なかった。こうして、2003年の夜明けは東ミンドロの山奥の小さな家で迎えた。

山奥の集落で

伸也君と奨学生のアナ

 突然やってきた我々をみて奨学生の父親は驚いた、と同時に久しぶりに見る息子に出会えて喜んでもいた。彼らは、西ミンドロにも居は持つが、今は東の方に住んでいる。元々は今住んでいる山一帯が彼らの出身地で、我々が泊まった小屋から更に3キロほど奥に行けば、まとまった集落があるという。せっかくだから行ってみたい、という気はあったが、旅行日程と体力の消耗度を考慮して断念した。

 小屋は植物に囲まれ、周辺には芋が植えられていて、椰子は実をたわわにつけ、採れたてのココナッツジュースを飽きるほど飲んだ。小屋の直ぐ近くに竹を半分に割ったといをつたって湧き水がちょろちょろ流れている。この時期は果物などの作物が比較的少ないと言っていたが、山道の脇にはしっかりと実をつけたマンゴーや、カラマンシー(すだちのような植物)の木が生え、私にはそう思わせないほど自然が豊かなところであった。自然が豊か、というより、自然という巨大な生物の中に人が慎ましやかに住まわせてもらっている、という感じだった。実際、住んでいる人たちは、なんとも穏やかな顔立ちで、発達した筋肉をもち、身体に無駄な肉をつけず、無駄な物を持たない。ある意味、彼ら自体が自然そのものだとも言える。

幸福の条件

 彼らは意識していないだろうが、彼らの生きかたそのものが、"先進国日本"から来た私にいろんなこと、〜先進してしまった国では知りえないようなこと〜、を訴えかける。大晦日、彼等とろうそくの下で釜の飯を食べたとき、それ以前に薪を使って調理する過程から飛び交う、たわいのない会話と笑いの中で、幸福、という二文字が頭に浮かんだ。そして幸福とはなんて人間にとって大切で、重要なのか、と漠然と思った。人間は、人生は、常に幸福で満たされてなければならない、というのではなく、幸福を追求することが人生そのもので、矛盾するようだが、幸福を追求すること、追求できる状態が幸福なのではないか、と思った。その状態は例えば、飯を炊くためにみんなで薪を集め、火をおこし、米をといで、炊き、火を調整し、出来上がって、食べるというプロセスのようなものである。飯炊きのプロセスは公式の例題のようなもので、飯炊きの時間と具体的なプロセスをちがうものに入れ替えたら、人生に起きる一つ一つの出来事にも当てはまる。もちろん、そのプロセスは、1年単位、10年、それ以上、もしくはそれ以下など様々な期間がある。難易度も飯炊きなどとは比較にならないくらい難しい技術、判断、もしくは命に関わるような挑戦が必要になり、これが正しい、と思いながらも結果は、お焦げのように思わぬものになってしまったということもありうるだろう。しかし、人生は死ぬまでそのプロセスの連続、時に重複であり、それらに積極的に向かおう、と思えた場合、人間は幸福に生きられるような気がする。ただ、そう思うことは結構難しい。思いがけない失敗や挫折は人間の精神をネガティブに持っていく力があり、これに打ち克つ強さがないとなかなかうまくいかない。打ち克つ、ということは、失敗を無視する、忘却する、ではない。無視、忘却は、一時は自己の精神を安定させるようにみせるが、次また同じようなプロセスに出会ったとき、同じように失敗するか、もっと悪いのはそのプロセス自体から逃避してしまう。そうなったら幸福の追求どころではなく、人生ではない。打ち克つ、というのは、失敗に向き合い、何故そうなったのか理解しようとする勇気のようなものをもって失敗を乗り越えることである。

 2003年元旦、再び泥だらけ、ヒルまみれになりながら山を降りたあと、子どもたちと平地の水田の脇の用水路で水浴びをして、汗と泥を流した。どこから流れてきているかわからないがとりあえず澄んでいる水で汚れを落としたとき、再び少し"幸福"が頭に浮かんだ。

 今年もまた泥まみれになろう、と思った。


windmill

2003年1月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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