SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその23》




動物、人間、機械

windmill

生き物が好き

 私は、小さいころから、生き物が好きだった。それは、学問的、知的教養的ではなく、ただ単に、生き物が生まれ、育ち、死ぬ様子を見るのが好きだった。たとえば、腕にとまって血を吸う蚊の様子を眺め、充分血を吸った蚊を傷つけずにそっとつかんで、その構造を観察し、そのあと、親指と人差し指で血膨れた腹をつぶし、血が飛び散るとき、神秘的な気分になった。ラジコン飛行機よりも、一匹の蚊が自在に空中を舞う姿の方が私にとって衝撃と想像力を与えた。最近では、電灯に集まっている体長3センチほどのオレンジ色の食用のハネアリを捕まえ、そのまま生で食ったとき、口の中で生命がはじけ、直接私の中に入っていく様子を感じることができ、うれしくなった。子どものとき、虫採りなど流行っていたのは覚えているが、どうして、そんなことに興味を持ったのかもっともらしい動機は思い浮かばない。

 もう、26歳だが、生き物に対する興味は、子どものときとほぼ同じレベルでいまだに私の中に存在している。ふと気づいたとき、自然と周辺にせっせと動いている生き物に目が行き、時間を忘れてじっと見る癖は、まだ残っている。

ミンドロの犬

脱穀を手伝う

 現在、我々は、8歳になる雑種の母犬一匹と、その子犬3匹を飼っている。飼っているといっても、首輪、鎖もつけずに放し飼いであり、いわゆる"自由"である。彼らは、自分の主人、帰るところを知っていて、日中、自由に散歩してても、夜には帰ってくる。熊本県の田舎で育った昭和22年生まれの父親の話によれば、彼の子どものころも、犬、というのは放し飼いが当たり前だったらしいが、昭和51年生まれの私が育った住宅密集地、尼崎市において、それは考えられない。生まれてから死ぬまで、鎖に繋がれる姿が、犬であった。首輪の無い犬は、野良犬、とみなされ、即捕獲され、保健所にて処理される。

 "自由"な我々の犬たちは、がんがん子どもを生む。大体年に2回、元気な雌なら一度に6〜8匹、少なくとも2匹は産む。みさかい無く交尾をし、初潮とともに死ぬまで生み続ける。しかし、生まれてくる犬の死亡率は、出産率に比例して高い。年に10匹産まれても、成犬まで生き残るのは一匹あるかないかである。大概は、生まれてすぐの兄弟との乳の奪い合いで敗北し、必要な栄養を取り損ねたり、寄生虫にやられてあっけなく一生を終える。勝者の子犬は、乳離れをした後、我々の残飯を食する。しかし我々は基本的に余らないように飯を炊くので、残飯にしょっちゅうありつける、ということはない。ありつけなかった犬は、ごみだめをあさる。時には、他の犬の糞を喰らって腹を落ち着ける。生と死は表裏一体であり、ちょっと油断すると、飢えるか、腐った食い物を食ってそれにあたって死ぬ。

サバイバル

 そういえば、ミンドロ島の庶民も、よく子どもを生む。生むが、医療設備などのインフラが軟弱なため、ちょっと治療すれば助かるような病気が治せずに死んでしまったりする例は多い。ミンドロ島でいかに楽しく生きるかは、公共施設や、外部からの保護からではなく、個人の持つ肉体、精神に頼るものが多い。そういう意味で、ほとんどのマンニャン族が、母子感染によって生まれながらにマラリアを持っているということは、人生の大きなハンディキャップとなる。少し油断すれば、マラリアだけでなく、結核、肺炎、腸チフスなども簡単にかかってしまい、かかったところで十分なケアのないミンドロ島での生活は、自分自身の健康、幸福は、自分自身がいかに強くなるり、襲いかかってくる病気、災害にいかに立ち向かうか、にかかるものが多い。犬にしても、人間にしても、ここで生き残ることは、結構大変である。

自由ということ

 しかしながら、飯は常に出るけども一生首輪に繋がれ、一日一回の散歩のときにしか糞が出来ない犬の一生と、常に生死が表裏一体で、主人は飯を常に与えるということはないが、食糧を自分で探す自由があり、他の犬とも自由に交流できる犬とでは、どっちが幸福だろう。また、ちょっとした体調の変化があれば、直ぐ病院に行って検査してもらい、病気にかからないように、健康食品をあさり、"日本式清潔"を維持するために、体内を無菌化し、体の油が無くなるほど薬づけになって一生を終える人生と、まともな病院なんかないから、ばい菌が入ってきても、打ち勝つだけの体力、もしくはそのばい菌とも仲良く出来る肉体を作ろうと考えながら生きる人生とどっちが良いだろう。

 犬に関して言えば、私は、動物として、本能に忠実に生きることが出来やすいミンドロ島の犬の方が幸せだと思う。

 人間に関していえば、以前は、充実したインフラに囲まれた日本人は単純に幸せだと思っていた。しかし、最近は、生きることを自分で考え、探し、行動できることが真の幸せに繋がるのではないかと感じるようになり、そういう意味で、ミンドロ島庶民の生活も悪くない、と思うようになっている。人間は生き物なので、味のない、無機的な機械に近くなるよりも、しらみと同居する犬のような動物に近くあるべきだと思う。つまり、機械でもない、犬でもない人間が楽しく生きるためには、方向性のない欲望に左右されないバランスを持つことが大切である。

 以上、今、ポジティブな心境にいる私の意見である。


windmill

2002年9月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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