SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその21》




"義務"教育とマンニャン

windmill

フィリピンの憲法

フィリピンの国の憲法によれば、小学校就学は、国民の義務であり、また、正当な理由が無い限りにおいて、親が子を学校に行かせない場合、罰せられる、とある。親の役割と教育の重要性を考慮した、立派な憲法である。

既知のごとく私たちは、学校のない山間部に住む少数民族マンニャン族に対して奨学金事業を行っている。毎年、新学期の始まる6月に、就学を希望する新たな奨学生を加えてスタートする。去年の6月当初は、26人の奨学生が私たちと共同生活をおこなっていた。そして、年度が修了する2002年3月末には、20名が学年を修了し、6名はそれまでに山村に帰ってしまった。6名とも小学生だった。

山に帰った彼らの気持ちは分かる気もする。小学校から親元を離れなければならない状況、自民族とは異なる人々が多数を占める"学校"という社会に溶け込まなければならない状況、彼らの親自身、学校にいった経験がなく、学校というものがどういうものか予備知識すらない環境で育ったという状況、などを考慮すれば、最初意思があったとしても、それを貫徹させる"意志"が無い限り、ギブアップしてしまうのも理解できる。小学校を何の気なしに卒業した私のような立場から彼らを見たとき、次元の違いを感じざるを得ない。 学校に行きたい、と当初意気込んでいた子どもが次の日には、急に里心がついて「お家に帰りたい」と泣き喚くのである。まだ、それなら自己の気持ちを正直に表す分、良いほうである。例えば、朝起きたら、いきなりいなくなっていて、勝手に彼の住む山村に帰った子どももいる。事情と真意を知るために、彼の村まで赴いて、本人が見つかるまで捜し歩いた。村に行くと、人の気も知らず元気に遊んでいる様子を見て安心し、街に戻って学校に再び通おう、と呼びかけると「もう学校に行きたくない」という。彼だけの意見では決めかねるので、親を呼んで改めて話をしたら、親は「子どもが嫌といっているのに、俺はどうすりゃええんや。」という。親自身、学校で勉強した経験がないので、本当にどうすればいいのか分からないのである。結局、彼は戻ってこなかった。小学4年中退である。あと、2ヶ月で一学年を修了できるというのに。

違う

マンニャン流脱穀作業に参加した紫垣

ここで再び、先ほどのフィリピン憲法の箇所をふりかえってみる。

「違う。」

憲法と現実とが、である。

私たちの事業地を見渡せば、無数の無学歴の人々が存在する。明らかに小学校に行く年齢の子どもが学校に行かず、一日中遊んでいたり、赤子の世話をしたり、何もせずぶらぶらしたりする様子がいたるところに見受けられる。親はそれを黙認している。というより、それをごく自然の常態として何の疑問もなくうけとめている。一見平和な風景である。もし、彼らの村が、今後誰からもどこからも影響を受けずにいられるならば、桃源郷とはこういう世界のことをいうのかもしれない。

しかし、時は21世紀。"もし"を維持させない世紀である。知恵と力をもった人間は、そういった世界をそのままにしておくことはない。無学者は、学のあるものによって、あるときは救われるが、多くは虐げられ、搾取される。それは、村人の気付かぬ間にとりおこなわれ、気付いたときには、何も残らない、という悲惨な結果を生み出す。

ならば、何が何でも教育を与えなければならないのか?先ほどの私たちの元奨学生の親は、罰せられなければならないのか?しかし、学校などいったこともなく、勉強に何のメリットがあるかも理解できない親を罰したところで何になるのか?

小学校卒業

もう一つ例をあげる。先日、3月26日に小学校の卒業式があった。我々の奨学生にも、卒業式に参加予定の者が一人いた。が、卒業間近の数ヶ月前から、勝手に山村に帰ってしばらく戻ってこないという状態が続いた。学校に喧嘩相手がいるとか、好きな女の子に振られたとか、最近寮で物がなくなるのは彼のせいだという噂が広がっているなどというのが理由だと聞いているが、一緒に生活していながら情けないことに、私には彼は何を問題の核としていたのかわからかった。結局、卒業式一週間前に再び失踪し、式当日の朝に母親と山から降りてきた。小学校に通った経験のない母親のまえで、上手く自分を表現できない涙と自己嫌悪が彼の全身から溢れていた。卒業できることは分かっていたので、もう彼の意思にしたがうしかないと思い、式に参加したいかどうか聞いたところ、したくない、という返事が返ってきた。結局、彼の担任の自宅へ彼と母親と私と三人で赴き、個別に卒業証書を受け取りにいった。

小学校卒業、この出来事は、彼にとってはとてつもなく大きなものだったのだろうか。実際、彼の村の村民数百人のなかで、彼は、彼の兄についで2人目の小学校卒業者であった。場所と環境によっては、屁でもないこの出来事が、彼らの村の中においては、革命的事件だったのかもしれない。おこすつもりもない革命の主人公に押し上げられ、妙な圧力が彼を締め付けていたのかもしれない。何度も失踪し、結局卒業式にも出なかったが、彼の環境を考え、彼の涙にマンニャン族として生まれなければわからない哀しみのようなものを感じ、もう、彼は十分やったと思わざるをえなくなった。

フィリピンの統計局によれば、西ミンドロ州の識字率は年々下がっているという。教育政策として、学校のない地域にも仮小屋を設置し、識字教育者を派遣するなどの努力は怠ってはいないが、それ以上に人口増加率が激しく、特に山間部に住むマンニャン族の増加率が今の教育政策では追いつけない状況にあるという。

憲法と現実の圧倒的格差をもつフィリピン。この国は、この格差をどうするつもりなのか。親元から離れ、外国からきた人々の援助をうけなければ、"義務"教育をうけられない彼らの哀しみをどう考えているのか。彼らと同じ釜の飯を食っている人間の一人として、知りたい。


windmill

2002年4月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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