SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその20》




ミンドロ散歩

windmill

ミサエル

 年末年始、学校が休みになり、子ども達はそれぞれの山村へかえる。その時期を利用して、ミンドロ島をぐるりと一周することにした。奨学生に私の予定を漏らしたとき、

 「僕も、一緒に行きたい。」
 と、ミサエルが即答した。

 「じゃあ、行こう。」
 と、いわざるを得ない迫力があった。

 ミサエル・パブロ、私たちの奨学生である。マンニャン・アラガン部族、ウラグアン村出身、14歳、小学6年生。人なつこく、機転が利き、少々ずる賢い、いわゆる少年らしい少年である

 出発の前日、彼の父、サノ・パブロ氏が寮に来た。氏は、ミサエルが私と同行することを知っており、それに関して別段うろたえる様子もなく、むしろ、息子を頼もしく思っているようだった。氏に対する私の記憶として、去年の地方選挙に出馬し、悔しくも落選したのを覚えている。結果はともかく、マンニャン族が出馬すること自体がまれな現状のなか、堂々と張り合い、選挙を戦った姿に、感銘を受けた。普段は、小畑を耕しながら、キリスト教啓蒙活動をされている。

 サノ氏に地図を見せて、私たちがたどるルートを説明すると、

 「カラパン(東ミンドロ州都)には、MTCA(Mangyan Tribe Christian Association)という施設がある。知り合いがいるから、行くなら電話で伝えておきます。」

 この助言で、今回の旅のメインポイントが決定した。寮のあるサンタクルスから南下し、東ミンドロに渡り、北上して東北部のカラパンを目指すことにした。

ミンドロ島山越え

 ミンドロの道は、未開発なところが多く、個性がある。例えば、野生的、もしくは原始的、という意味において、西南部のサンホセから東南部ブララカオへ通じる山越えの道がよい。傾斜のあるでこぼこ道を、ジープがアクセル全開で這うように登る。満席だったので、ミサエルと私は、屋根に乗せられた。ジャングルを両脇に置き、ジープの躍動と一体になりながらの約3時間は、そこらの遊園地の乗り物では体験できない。

 途中、マバンバンという村で休憩する。ここは、マンニャン・ハヌヌオ部族の村で、今となっては人の出入りが激しくなり、純粋マンニャン族だけではないが、家屋などは、少数民族独自のスタイルである。ミサエルは、サノ氏とともに、かつてこの村でおこなわれたマンニャン族の集会に参加したことがあるという。

 余談だが、マンニャン族のミーティングは、時間制限が無く、納得するまで延々と議論を交わす、ということを川嶌氏(現地理事)から聞いたことがある。北方のアイヌにも「ウコチャランケ」という、もめ事を何日かけてでも座って議論する習わしがある。「暴力」ではなく、徹底的な「議論」で、ものごとを解決する文化は、少数民族独自のものなのか、もしくは人間の本質なのであろうか。私は、後者であることを信じたい。

 ブララカオからまっすぐ北上してたどり着く、東ミンドロ州都カラパンは、ミンドロ最大の街である。スーパーマーケットなどのモダンな店があるのも、私の知る限りここだけである。ミサエルと、ファーストフード店でハンバーガーセットを食べた。彼のぎこちないハンバーガーの掴み方を見て、明らかに緊張している様子がうかがえた。ファーストフードは、彼にとってまだ遠い存在のようである。

 繁華街からはずれて、20分ほど山に向かって歩いた所にMTCAがある。思ったより大きな施設だった。森林に囲まれて事務所と奨学生寮が建っている。カラパン市街のにぎわいとは対称的に、静かで、空気も澄み、一種神秘性すら感じる。

 この施設には現在約16名のマンニャン族奨学生が寝泊まりしていて、学校に通っている。彼らが山に戻っていて会えなかったのは残念だが、寝床の壁に書かれている落書きや、棚に入ったボロボロの教科書、筆記用具を見る限り、私たちの奨学生と同じ様な生活をしている子どもを想像することが出来た。そして私たちは、2001年最後の夜を彼らの寝床を借りて過ごすことになった。

2002年の元旦

 夜、ミサエルと近所の売店でコーラとピーナッツを買い、周辺で年越しを祝う花火の音を聞きながらひとときを過ごした。午後10時には、移動の疲れですぐに寝入ってしまった。おかげで、2002年の元旦は、爽やかな朝が迎えられた。

 早朝、屋外で水浴びをして寮に戻ると、そこの元奨学生だった青年がミサエルに会いに来ていた。青年の名は、カルデル・ライダ、26歳、マンニャン・タジャワン部族。去年、カラパンの大学を卒業し、半年前よりカラパン市役所のマンニャン青年支援部で働いている。大学では政策科学を専攻した。マンニャン族でこの学部を卒業したのは、彼が初めてである。

 彼は、マンニャン語のラジオ放送局を設置するという政策案を持つ。タガログ語の理解できないマンニャン族のために、彼ら独自の言語で放送し、言語理解度によって生じる情報の格差を埋め、そこから生まれる差別問題を解決するのが目的だという。一緒にいるだけで、エネルギーが伝わってきそうな人物であった。

 "マンニャン族"ときに彼らは、腕力でもって見下され、差別を受けてきた。それは今でも続いている。しかしながら、今回の小さな旅を通じて、ミサエル、サノ氏との交流、カルデル氏との出逢から、彼らが彼らの力で、マンニャン族の未来のために希望を持って挑んでいるということを感じることができた。私は、それだけで今回の旅の目的を充分果たせたと思う。

 2002年の年明けは、私にとって良い充電期間となった。これからの一年、更に素晴らしい旅が出来ることを期待したい。


windmill

2002年1月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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