SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその17》




出る杭になれ

windmill

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 フィリピンの初等教育制度は、4学期制になっていて、6月より新学年が始まり、3月いっぱいで、一学年が終了する(いわゆる日本の夏休みにあたる期間が、4、5月になる)。また、1学期は9月中旬に終了し、成績表が手渡される。

 我々の奨学生も、9月中旬になると、学校から各々成績表をもらってくる。その中で、ハイスクールの生徒数名が、赤点(欠点)を含んだ成績を持ってかえってきた。欠点は、その後の努力如何にもよるが、ハイスクールを"卒業"する条件として、大きな障害となる。

村の教室で見かけた数字表。。。どうして9ごとにならんでるの?算数の苦手な国ってやっぱりこんなものかしらと思う

 その日のミーティングで、川嶌寛之現地理事は、説教を行った。

 私が解釈する、川嶌氏の説教の意図するところは、もちろん、成績の悪さを注意するものであるが、それだけではなく、今回の結果において、今後どう改善すべきか、をそれぞれに問い、それぞれが思考を働かせ、答えを具体的に明確化させることであった。そしてその答えは、現段階で成績が悪くとも、将来の成長につながるステップをつくる。彼らに答えが出るか、出せるか、どうか。

奨学生逃亡!

 それどころか、結果、注意を受けた奨学生2名は、次の日、早朝に寮から姿を消し、実家のある山に逃げ帰ってしまった。

 「なんや、こいつら。あかんたれが!」と、正直思った。

 それから数日、彼らの両親が来て、どうのこうのと色々話をして、結局、寮に戻ってきた。彼らが言うには、反省して、もう一度がんばりたい、と言うことであった。

 どうだか。私は、一度裏切った人間に対しては、たとえ子どもであろうと、簡単には信用を取り戻せない性格だ。

 私は、奨学生と、単にわいわい騒いで愉快に遊ぶために共同生活しているわけではない。親元を離れて暮らす子ども達に、多少傲慢に言えば、少なくとも寮生活の中では、親、兄弟に近い存在、となって接する態度をとらなければならない、という気持ちがある。その分、こちらも本気で、だからこそ中途半端な行為をされるとむかっとくる。

奨学生の視点から

 かといって、私も二十歳を過ぎた、世間で言う「成人」として、それにふさわしく、感情の塊になりきらないために、視点の角度を少し変えてみる。

 逃亡した奨学生の一人は、今年から我々の奨学生となり、ハイスクール4年生を継続することができた。それまでは、地元のキリスト教関連の施設や、人々に世話になりながら学校に通っていたが、彼らの都合上、そこも出て行かざるを得なくなり、それで結局学校に行けなくなってしまった。しばらく、学校に行けない期間が続いて、ようやく今年の6月から我々の援助で再通学が可能になった。長期休学のブランクは、自然、その後の学業にも響き、成績が芳しくないのもそれが一つの大きな要因である。

 気の毒といえば、言えなくもない。

 勉強をしたい気持ちはあるのに、家族は経済的に貧しく、自分の家の周りには学校がない。更には少数民族というレッテルによって、様々な角度から不当な差別をうける。しかも、子どもである。もし、私が、このような環境下で生まれたら、いまの25歳になるまで健全な精神で生き延びられたであろうか…。

 危ない。感情に規制をし、違う角度から物事を見ようとしたつもりが、知らぬ間に「同情」という波に自分が押しつぶされようとしていた。

 私が彼らに伝えたいことは、同情心ではない。そういった不合理に満ちた環境のなかで、いかに強く、たくましく生きるか、ということである。本音を言えば、学校の成績は、彼らの人生における「本気度」を測るための一つの尺度に過ぎない。そういう意味で、彼らに求めるものは、もっと出る杭になって欲しい、と言うことである。打たれても打たれても、ずぶとく自分を主張できるタフな精神が彼らに必要である。

前向きに生きて欲しい

 と、私が思うことを好き勝手に述べたが、ここで私の考えについての意見がききたい。「精神、感情」などというものは、抽象度が高く、それを具体化したとき、捉え方によれば、取り返しのつかない結果を生む可能性がある。これは、私自身の今後の人格形成にも関わるので、そういう意味でも様々なアドバイスがいただければ、ありがたい。

 余談だが、最近、松下幸之助の著書『若さに贈る』(PHP文庫)を読んだ。この本は、サブタイトルがいい。例えば、

 『はじめに〜青春とは何か』、『2章 打ち込め』、『3章 いのちをかけよ』、『8章 絶対の責任』など。

 この人は、明治27年、日清戦争の最中に生まれた。家庭経済の都合で、小学校4年で中退し、9歳で実家のある和歌山から大阪の火鉢屋に奉公に行かされた。7年間の貧しかった奉公時代に、米一粒、紙一枚から「もののねうち」という、一生に関わることを学んだ彼は、その後、地球上で最も巨大な電化製品会社をつくる。

 現存する人類全てがこのような人物で埋まってしまうと、それはそれで大変な世の中になりそうだが、そこまで配慮する必要も責任も私にはないだろう。

 そういう、一種、楽観的姿勢で(かつ真剣に)私は、学校の勉強や、日々の生活指導の中で、奨学生に、例えば、松下幸之助までとはいわないまでにも、彼ほどに人生に前向きな、かつ、いまおかれている逆境に打ち勝つだけの攻撃的な姿勢を身につけて欲しい、という気持ちを含ませている。

 それらが奨学生の身に付くのであれば、正直、ここでの私の存在が、彼らにとって口うるさく、うっとうしい、と思われるものであろうが、かまわない。むしろ、私の言い分に対して、がんがん文句が言えるだけの積極性が身に付けば、嬉しい気持ちになる。

 そういう私なので、とりあえず先月の逃亡事件以来、いまだ彼らに対する私の緊張感は、ほぐれていない。具体的にどう接しようか、様子を見ながら検討中である。


windmill

2001年10月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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