SamSara

紫垣伸也の

《ミンドロレポートその16》




活学問 〜学問のススメU〜

windmill

"活学問"

 「活学問にも種々仕方があるが、まづ横に寝て居て、自分のこれまでの経歴を顧み、これを古来の実例に照して、徐かにその利害得失を講究するのが一番近路だ。(中略)そしてその機会が来たならば、透かさずそれを執らまえて、事に応じ物に接してこれを活用するのだ。つまり、これが真箇の学問といふものさ。」
『氷川清話』(著:勝海舟、編:江藤淳・松浦玲 講談社学術文庫)

伸也君、ちょっと太り過ぎよ

 今回は、"活学問"について。

 活学問、というものを私なりに簡単に解釈すれば、「人間の器量を育て、より充実した生活を送るための学問」である。『語学』という技術的学問と同様、『活学問』は、人生学として是非習得したい。また、これは、私が共に生活している奨学生に最も伝えたいことの一つでもある。

 滞在一年を経過し、改めて周囲を見回したとき、人間の成長に必要なものは、一つは教育、もう一つは、身についた教育を活かす知恵と強い意志である、と考えるようになった。

 私達の奨学生で、今年の3月、地元の大学を卒業した女性がいる。彼女は、就学中より、大学卒業後は、識字教育スタッフとして働くことになっていた。が、卒業すると同時に村の男性と結婚すると言い出し、しかも既に妊娠しているという。妊娠は、自然環境の苛酷なマンニャン族の村(パクパク)で識字教育を行う上で、困難である。結局、彼女は私達と離れ、村で生活をはじめた。

彼女の事情

 彼女は、純粋マンニャンとしては、彼女の村(カラミンタオ)の中で二人目の大学卒業者で、学歴においては最高レベルを手に入れることが出来た。しかしながら、彼女の同意のもとに成立した私達との約束を彼女自身が裏切り、これまでの信頼関係を破壊する結果を招いてしまった。彼女に対する私の率直な感情は、"憤り"であり、もしくは悪寒すら覚える。

 ただ、少しだけ彼女の側に立って考えてみる。

 村でふたりめの卒業生として、村にとって、また、彼女の就学を援助した人々にとって彼女の卒業は、大変な名誉である。が、彼女からしてみれば、別にそんなことは関係なく、自分は単に勉強が好きで、学生生活にあこがれた、何よりも普通の女の子でありたかったのかもしれない。と考えれば、普通の女の子に、多少なりとも強靭な開拓精神が重視されるNGO活動に携わることを期待した、私達にもおごりがあったのかもしれない。

 更に、私なりに彼女の環境を想像してみる。

 フィリピン憲法によれば、国民の初等教育は義務となっているが、ミンドロ島において、それはまだまだ浸透していない。その様な環境の中で、大学という高等教育レベルまで修める人は、マンニャン族だけではなく、ミンドロ島民全体でもあまりいない。つまり、島民が大学に通うということは、ある種、特殊事例と言っても過言ではない。その様な社会における学生の条件としては、ある程度の経済力はもとより、彼ら自身に、よほどの向学心と積極性がなければ、卒業後の自分を十分に活かしきることは出来ない。でなければ、学歴のみが先走りし、実際の学力とそれが上手く比例しないのである。

 また、"マンニャン族大学生"というレッテルは、現存の世間体に"物珍しさ"を加え、それは時に、尋常な精神力では乗り越えられない"差別"という名の大きなプレッシャー〈差別(1)とする〉となりうる。そういう意味において、私は、彼女が少数民族だけにしか与えられない、精神的窒息を与えかねないプレッシャーに揉まれる中で、それからの脱出を試みるべく、一つの決断を下したのではないか、と推察する。

 私は、彼女がほぼ10年、援助を受けて教育を得てきたと言う事実以外、詳しい過去のことは知らない。しかし、マンニャン族として生きる彼女の現在をみるかぎり、ミンドロ島に、いまだ根強くはびこる世間体や、差別の感情に振り回されないような精神的強さを幼少のころから身に付ける訓練をしておくべきだったと思う。

差別を突破する意志

 「特にマンニャン族奨学生には、強い精神力を必要とする」

 これは明らかに差別〈差別(2)とする〉発言である。しかし、ミンドロ島の根底にある差別(1)を乗り越え、できるならば打ち砕く力を身につけるためには私の主張する差別(2)意識を持たなければ、差別(1)によって、せっかく積み重ねてきた何もかもが潰されてしまう可能性がある。

 勝海舟が言うように、万人がスムースに活学問を習得し、活用すると言うことは難しい。しかし、次世代を切り開かなければ、自由な未来が得られない状態にある人々にとってこの学問は、必然に近い。

 ミンドロ島の環境は、前回の国金氏のレポート(『プロのいない社会〜医療の現実』)にもあるように、様々な点で不充分、不公平である。しかし、彼らはここで生きなければならない。それは現実である。

 そのために、

"強い精神をはぐくむ"
"強くなったら、挑む"
"だめでも何度でも挑む、その度にもっと強くなることを欲する"
というプロセスは、健全な成長の条件の一つである、と考える。 彼らと私自身の成長のためにも、活学問の一つとして、それを学びあいたい。


windmill

2001年9月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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