SamSara

《ミンドロレポートその14》




学問(特に語学)のススメ

バルアンの若き酋長と伸也君

windmill

言語という"お化け"

 二週間ほど前から、右手の薬指と小指にカビのような微生物が棲みつきはじめた。汁を出し、痒みをもたらすので、幾種かのフィリピン製の薬を使って、抹殺しようと試みたのだが、なんともうまくいかない。今の私の最大の悩みである。

 かといって、今回は、その微生物についてではなく、私のもう一つの大きな悩み、 "言語"という、生物のように実体のない、いわゆる"お化け"のような存在について書きたい。

 自分で言うのもなんだが、並外れて"無知の無知"だった高校時代、英語の授業中、黒板に書かれた、みみずの這うような、不思議な文字を眺めながら妄想していたことが、

「イングリッシュ(英語)というものは、"宇宙語"で、あんな変な言葉を話す人間なんか、本当はこの地球上におらへんのや。いくらやっても無駄や。」
・・・であり、無論、現役での大学受験は失敗した。

 さらに、当時の言語に対する妄想をあからさまにすると、私とは違う言語を話す人々をテレビや、その他マスメディアのなかで見る度に、

 「何故、この人達は日本語を話さないのか、書かないのか。」
と、本気で考えていた。

 考えれば考えるほど、彼らの存在が、私とはかけ離れた世界のものに思え、とりとめもない空想を繰り返していた(結局その空想が、未知の世界に対する好奇心へと発展し、それが、今ある自分の一側面をなしている)。

猛特訓開始

 そして今、私は、日本語を使用しない人種の人々に囲まれて生活している。コミュニケーション方法は、当然彼らが使用している言語(タガログ語、もしくは英語)になる。

 自分で選んだ道だが、外国語を"宇宙語"などと罵っていた私が、当時の私の解釈によれば、いわゆる"宇宙人達"と日常生活をおくっているということを考えたとき、皮肉なものを感じる。しかしながら、言語の違う彼らと生活を共にすることで、彼らも飯を食い、糞をし、眠り、男女が一緒になれば、子ができるということに気付き、つまり、いずれの人間においても、宇宙人などではないということが解った。

 これは、私にとって思考の大きな転機になった。同じ人間が話す言語なら、俺にもできるはずや、と思えた。思った瞬間、世界が薄っすらと明るくなり、道が見えた。今まで一目以上も置いていた、私の中での元"宇宙人さん"達と、呼吸と呼吸を擦れ合わすほど接触したいという欲望に駆られた。そのための第一段階としては、やはり語学の向上を抜きにして、進む事は出来ない。

 そして先月、来比された池田晶子理事長にその旨を相談したところ、私の場合、"中学英語"レベルから学習することが望ましい、と一言もらった。

 池田理事長の指摘は、濁りがなく、常に颯爽としていて、身体の芯に響く。後頭部のあたりから、直接私の脳に、新鮮な酸素が注入されたような気にさせてくれる。

 ちなみに、脳がリフレッシュしたついでに"告白"するが、私の大学時代のTOEFL(Test of English as a Foreign Language)の最高得点は、413点である。TOEFLを知る人ならば、私がいかほどの英語力の持ち主で、かつ、池田理事長の私への指摘がいかに正確か、と言うことが理解できるであろう。

 その後、マニラのショッピングモールの一角にある書店で、読書も勉強だと言うことで、(理事長が言う)簡単な英語の本を一冊選んでもらった。

 Sidney Sheldon作の『The Sands of Time』で、スペインからバスク人独立を志向するテロリストと、4人の少し変わった生い立ちを持つ修道女が、強攻なスペイン軍と、劇的な駆け引きをおこなっていく物語である。2回通読して、大意をつかめた。小説の内容もさることながら、英語の本が読んでわかったという実感に大きく感動した。私にとって的確な本を推薦してくれた理事長は、やはり「さすが」と思わざるを得ない。

言語は考えるための道具

 余談だが、司馬遼太郎『オランダ紀行』(朝日文庫)によれば、バスク人というのは、フランスとスペインの国境に横たわるピレネー山脈の谷に住むバスクという民族で、近代になって、両大国(フランス、スペイン)の国民にそれぞれ属され、その結果、バスクの独立を志向する過激派が、時々スペインにおいてテロ的行為を繰り返している。

 また、バスク人は、死滅しかけているバスク語をかたくなに守りつづけることで、彼らのアイデンティティーを維持しようとしている。

 マンニャン族もタガログ語とは異なる彼ら独自の言語を用いるのが普通である。さらに彼らは、部族によってもそれぞれ違う言語を話す。しかしながら、村によっては、タガログ語の普及によって、純粋な彼ら独自の言語を話す人が皆無に等しくなり、ごちゃ混ぜになっているところもある。少なくとも、タガログ社会の学校に就学している我々の奨学生は、タガログ語を話し、我々との交流の際もそれを用いる。

 私にはまだ、バスク人のように非普遍語となりつつある言語を死守することが、現代の時勢の波を考えた上で、正しい選択であるか判断する能力はない。ただ、立場上、マンニャン族の言語を含む"文化"の今後に関しては、彼らと関わる限りにおいて、考えつづけなければならない。

 考えるために必要なもの、それは、彼らとの綿密な呼吸のやり取りである。そして、そのためには、まず言語の習得である。今、私は、あらゆる手段を使ってでも関西弁以外の言語能力を手中に収めたい気持ちでいっぱいである。

 最後に、右手指の微生物について補足するが、数日前にビザの延長申請のためにマニラに行ったとき、買ってきた香港製の「タムシ用」の軟膏を試したところ、少しましになった。また、最近、暇があれば海で泳ぎ、直射日光に皮膚をさらして、微生物を焼き殺す作業の成果も一理あるかもしれない。いずれにせよ、今月"最大"の悩みは、近いうちに解消できそうである。よかった。


windmill

2001年8月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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