SamSara

《ミンドロレポートその10》




全ての24歳前後の皆さんへ

大豆の栽培実験に励む伸也君

windmill

たった一人の覚悟

 野口英世の生涯を描いた小説『遠き落日(渡辺淳一著)』を読んだ。貧家に生まれ、幼いころに左手の大火傷を負いながらも、不屈のバイタリティーで世界一の医学者を目指す野口の人生は、「夢を追う」人間ならばだれしも何らかの感動と憧れを感じる。私もその一人である。

 野口は、24歳と一ヶ月で、医学を極めるため、アメリカ・フィラデルフィアに渡った。当時、特別な学歴とコネが無かった彼は、日本政府の援助を得ることは不可能であり、知人に借金をし、全くの想像の世界でしかない地へ、まさしく身一つで突っ込んでいった。「世界のノグチ」の第一歩である。

 私は、24歳と一ヶ月で、フィリピン・ミンドロ島へ渡った。目的は、非政府組織(NGO)のボランティア活動であり、もちろん政府の支援はない。渡航費、現地での食事、宿泊地は組織の支援を頂いているが、その他諸々の生活用品は、知人のカンパ、渡航までにアルバイトなどで貯めた金が全てである。野口の時代のインフラ状況と今と比較すれば、身一つで海を越えるという作業における困難の度合いは、彼の比にはならないかもしれない。が、私なりに覚悟をして一歩踏み込んだつもりである。

 そして、この一歩は、私の夢を実現するための一歩でもあった。私の夢は、雑把に言えば国際機関に属し、世界中に生じている様々な矛盾を調整する仕事につくことである。ゆえに現地での活動をしながら、そこの環境の空気・人間を肌身で感じ、吸収し、それを自己成長の糧にし、もっと勉強し、もっと世界に出て、心技体ともにもっともっと強くなりたいという欲望を持っている。それが今の私である。 それが今の私・・・今の俺や。

ジコチュウシンヤのひとりごと

 俺は今、24歳や。次の5月12日で25歳になる。俺の今の夢、考え方は上にちょっとだけ書いた。ほんで全世界の俺と同い年くらいの皆さんに聞きたい。皆さんはどんな夢を持ってるん?どんな生き方をしてて、これからどんな風に生きたいと考えてんの? ここ(ミンドロ島)に来てしばらく経つけど、得るもんは多かった。一年前に決断したミンドロ行きは、間違いやなかったと正直思えるほどなかなかおもろいところや。

 決断は間違いやないとは言ったけど、普段の生活で満足でけへんところはまだまだある。それを今回は一つ書いてみたい。

 ここでいっちゃん満足できてへんのが、さっき俺が皆さんに質問したことについて、ここで一緒に語り合うやつがほとんどおらんという事やねん。年がおんなじくらいのやつは結構おる。協会の元奨学生で、今ボランティアとして一緒に仕事してる数人は大体同い年で、現在、奨学生で大学に通ってる奴等も20歳そこそこで年齢は結構近い。年齢という意味では若さに満ち溢れた環境といっても言い過ぎではないんやけど、俺が求めるヤングエナジーっていうのが彼らから感じられへんねんな。なんていうんかな、こう、エキサイティングというか、ポジティブなインプレッションっていうの?そういうのがなんか足らんねん。

 例えば、みんなかなり時間にルーズで、俺は時間を守らんやつは嫌いやから、ミーティングとか遅れたら注意するんやけど、そうしたら大体みんななんやかんや言い分けしたり、言い訳がなかったら舌打ちしたりとかして、その後うつむいてそれで終わり。そりゃ、君らの言葉に関して貧弱な俺やからいろいろ説明するのがめんどくさいというのもあるかもしれんけど、それちょっと失礼やで。

 ほんでやっと役者がそろって一人一人最近の仕事状況を話す時とかも、川島さん(現地理事)は堪能なタガログ語を駆使して熱心に話をされるんやけど、その他のボランティアの人達は「ボソッ・・ボソッ・・」と何か言って終わり。まだ前に出てしゃべるやつはましなほうで、どうしようもないのは「何も言うことない」って、その後うつむいて終わり。一体君らは何歳やねん、やる気あるんかって思うわ。でもその割には、彼ら普段の雑談やったら結構でっかい声で話すんやね。不思議やわ。

 こういう人達は、一緒に遊ぶだけやったら楽しいとは思う。けど一緒に仕事するのは大変や。何を考えてるんかよーわからんもん。

 なんで彼らはこーなんかな。彼らがマンニャン族やから?それがフィリピンという国の雰囲気のせい?そんな理由で俺は納得でけへん。

 でも、ちょっと思い出したら、別にやる気あるんかないんかわからん様なやつに出会ったのはここが初めてと違うねんな。日本でもおんなじ様なやつおった。高校の部活のミーティングで俺が一生懸命話してんのに全然関係ないいうようなそぶりする部員もおったし、大学でもそんなやつおった。俺は会社勤めしたことないんやけど、そういうところでもやっぱりそんなやつおるんかな?

 でも、ここに来て特に、やる気なさそうな同年代で一緒に仕事するやつを見るといらいらする。何でか少し考えたら、ここでは俺達(21世紀協会)は所謂、教育を主体としてマンニャン族をあくまでも「サポート」するという目的で存在するため「君らがやる気ないんやったら俺がやってやる」ということが言われへん立場やねんな。あくまでも彼らが考え、気付き、彼らが主人公になってコミュニティーを創っていかんと、押し寄せる時勢の波に対応するだけの真の持続可能な「強い」彼らの社会はできへんねん。それ考えたら、俺が持ってるパワーを彼らに対して、むやみに発散するのは危険なわけで、自然、一つ一つに対してエネルギー配分を気にしながら物事を考えていかんとあかん。この辺のジレンマが、いらいらの原因になってるみたいや。

 年末、事業地のカラミンタオ村で元協会の奨学生を集めて若者の組織を創ることを呼びかけてん。「せっかく若いし、体力もあるんやから村のためにちょっと力合わせて頑張れよ」って。そしたら多少反応あって、最近、一応組織の名前とか役員とか決めてはったわ。言い出したのは俺やけど、池田さん(理事長)のアドバイスもあって、俺は彼らの核にはあえて参加せーへんことにしてん。「なんでそんな我慢せなあかんねん」という気持ちもあってんけど、地に根差した組織を作るためにも、俺の立場は、ほんの添え木レベルに徹しないとあかん、と思ってん。どう思う?

 それにしても、よく友達に「ジコチュウシンヤ(自己中心や?自己中伸也?)」って呼ばれるくらいわがままな性格(らしい)の俺としては、いちいちエネルギー配分を気にしながら仕事するのは、なかなか難しい作業や。 ま、かといって今んとこさじ投げるような気分はないけどね。中途半端な妥協は嫌いやし、それ以上に、この辺の自己コントロールが身についたら、当然より良い人間関係が出来て、仕事もうまくいくやろし、あと、個人的にも将来なんかの役に立ちそうな気もするしな。これも修行やと思うことにするわ。取り合えず俺は、まだまだやるで。

 それが今の俺・・・今の私である。

 4月の中頃に一旦帰国する。この10ヶ月は、新しい物事を大量に吸収できた期間であった。私を育ててくれた故郷尼崎の味のある空気を吸い、少し脳みそを整理し、今後の活動を更に上手く進めるための作戦を考え、余力があれば、私の人生における勝利の法則を見つける準備を始めたい。


windmill

2001年3月


21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ contact us
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ ご意見、ご感想、資料請求



(c) 21st Century Association 2000