SamSara

《ミンドロレポートその1》

電気がある国と、たまにない国と、少数民族と、21世紀協会


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windmill

〜 2000年6月16日(金)1:50(フィリピン時間)〜

外はスコール。クッションのないベニヤ板のベッドの上で、膿の止まらない靴擦れに塗った赤チンを気にしながら、灯かりの無い蛍光燈の下で、ノートに一回目のレポートを書いています。何分表現力に才が無いので、徒然なるままにつづっていこうと思います


フィリピンへ

 6/6(火)、9:52発のJR尼崎駅行きのバス停までは母、JR尼崎駅前の関西空港行きシャトルバスのバス停では高校時代の友人、関西空港では大学時代の友人に見送られながら、フィリピンエアラインに乗り、予定より10分早い14:35に日本を発ちました。数週間前からさまざまなサークルの友人が次々と送別会を開いてくれ、過度の飲食がたたったせいか、出発当日は持病ともいえる扁桃腺が腫れ上がり、咽がいがいがしていました。関西空港で食べたうどんが咽を通らなかったのを残念に思います。機内では食欲も無かったのですが「無料(ただ)」ということでとりあえずビールを飲みました。フィリピンエアラインは数日前に国内でハイジャック事件があったり、爆破テロがあったりしたせいか、乗客は非常に少なく、横6席に一人いるかいないかの空き状況でした。

カラバオに乗る伸也君...トイレにうるさいとは...

 予定より30分近く早くマニラに到着すると、新しくなったターミナルの外で既にフィリピンに5年間当協会の現地駐在員として滞在している川嶌寛之氏が迎えに来てくださっていました。川嶌氏は巧みにタクシーの運転手と値段交渉をし、一路ホテルへ。

便座命?

 次の日、日本大使館でフィリピン在留届を申請し、この瞬間、単純ながら自分自身が半分フィリピン人になった気になりました。そのあとマーケットで便座を購入しました。滞在先のトイレは日本の洋式のものとは異なり、コンパクトなので、特に大便がしづらいのです。私はトイレには結構うるさい人間なので、荷物になることを覚悟して299ペソ(897日本円)で購入しました。現在の私にとっては大きな買い物でした。しかしながら、良く考えると、現地の人達が使用していないものを私だけが使うというのは、広い意味での親密な文化交流を妨げる原因になるのではないかという私なりのプライドが、トイレのこだわりに勝り、今のところ便座の封をあけていません。

 その日の晩は、次の朝の出発が早いということで早々に床に就くつもりでしたが、川嶌氏とのつもりつもる話と、眠らないマニラの夜に惹きつけられたせいか気がつくと午前3時まで、次の日からはじまる超シンプルライフの現実を前に、今の快適な近代生活への諦めを決断することができませんでした。

マニラからミンドロへ 地図はこちら

 茫漠とした身体に鞭を打ち、朝は6時半に起床、7時40分にチェックアウトし、タクシーでクバオCubaoのバス乗り場まで行き、異様にクーラーの効きすぎるバスに乗車、そこから約3時間かけてバタンガスという港に到着しました。11時30分頃出港の船に乗船、2時間かけてアブラデイログというミンドロ島西側の港につきました。船中では男子便所が壊れていて、仕方なく女子便所で用を足そうと思ったら、2つある女子便所一つで配管が破損し、洪水状態になっていて、残ったもう一つのトイレで小用を足すことができました。アブラデイログの港からバスで更に2時間かけて、午後5時、これから生活することになるサンタクルスという町にある事務所にたどり着きました。マニラを出発してから9時間を超えるの旅程でした。  数日前から電気が滞っているとは聞いていましたが、案の定、私達が到着したときも停電状態で、ローソク1本と、アルコールランプ一つの灯かりで約25uの室内全体を灯しました。

毎日毎日停電

奨学生たちと過ごす伸也君

 先記しましたが、今現在も停電で、さらに言えばこの2週間以上、電気がまともに一日中あった日はありません。川嶌氏の話では、私達の滞在先は主要な電力供給源地域から外れていて、いわゆる"電気のおこぼれ"をいただく、という状態らしいのです。日本に住む限りでは、電気の存在は当たり前のことなのですが、ここではそうではないようです。電気が無ければパソコン等を使用する事務的作業も不可能で、扇風機も回らなければ、唯一のメディアであるラジオも流れません。そのうえ、この降り続くスコールとそれによって寸断される惰弱な道路(国道ですら)によって行動範囲を制限され、仕事としては何もできない日が続きます。  日本での生活が普遍的なものと思っていた私の苛立ちとは裏腹に、そのような現状でも夜には一つのアルコールランプの火を囲み、宿題や、自分の勉強に励む奨学生たちの姿を始めて見た時、一瞬、言い知れぬ美しさを感じました。薄明るいオレンジ色の灯かりで微かに読めるテキストブックに懸命に目をやり、ブツブツと言いながら文字を追う姿は、環境の違いを超えて『蛍雪の功』ということわざを連想させました。しかしながら、ここで視野を一つ広げてみると、彼等奨学生は元来、全く電力供給のない山奥に住む、少数民族マンニャン族であり、電灯どころか、一つの灯火さえあれば細かい作業も正確にこなすたくましさを持っています。そのたくましさは、ものに溢れて生活してきた私にとって見習うべきものであり、ここで生活していく上で、目標とすべき生活スタイルでもあります。

ミンドロの現状

ミンドロの農村風景

 ただ、ここでさらに視野を広げてミンドロ島全体を考えた時、また複雑な現状が見えてきます。ミンドロ島には元来、先程述べた採集、狩猟を生活形態の基盤としたマンニャン族が島一帯に住んでいました。その後、ミンドロ島にタガログ人が別の島から海を渡ってやってきて海岸線一帯に町を作りはじめました。農業、化学、軍事産業分野等での近代技術を持たないマンニャン族は山間部へと追いやられました。さらに、文字、数字など初等レベルでの教育も日常生活に必要のなかったマンニャン族は当然、圧倒的近代技術を持ったタガログ人とうまく交渉できるはずもなく、マンニャン族の人は、一部のタガログ人から土地をだまし取られたり、暗殺されたりという現状に遭遇してしまうことになってしまいました。つまり、ここに差別構造が成立することになります。現在でもそういった人種差別は絶えることがなく、むしろ更に複雑化へと向かっている側面もあります。

 この複雑に絡み合い、争いを生み出す人間の集団と集団の悪しき社会システムの現状にあって、21世紀に向けて平和的共存関係を構築していくために、21世紀協会はミンドロ島で不本意にもマイノリティーとなったマンニャン族の教育普及を行なっています。私は21世紀に生きる子どもたちが差別のない、より良い生活環境を彼等自身によって選択できるような能力を身につけることが大切であると考えます。そのための一つの手段として、まず"教育"というものが第一の優先課題だといえます。

今の私に何ができるか

 私は、当協会のボランティアスタッフとして派遣されましたが、現段階では今年大学を卒業したばかりで特別な技術を持っているわけでもなく、国際的なコミュニケーションには必須の語学もままなりません。はっきり言って、このレポートを書いている今現在の状況としては、周囲の環境に触れるということが精いっぱいで、具体的に私になにができるかわかりません。とりあえず今の私に何ができるか、可能な限り大きく眼を開いてゆっくりと物事を見つめようということに努めています。次回までに私見によるミンドロ島の現状をより具体的に報告できることと、自分自身の役割を認識できるようになれれば幸いです。これを読んでくださる皆様が私に"期待"というプレッシャーを与えてくださればありがたいと思います。  取り留めなく書きつづりましたが、今回はこの辺で失礼します。

windmill

〜6月23日(金)午後5時30分(フィリピン時間)〜

電気がきたので大急ぎでワープロを打ち終え、安堵する。

21世紀協会ボランティアスタッフ
紫垣伸也
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