シプヨ村バヤバサン集落 Bayabasan
部族:マンニャン族、アランガン部族
人口:130人(26世帯)
アクセス:国道から季節により3〜4時間の徒歩。
耕地面積:10ha(全面積500ha)
地勢:3方山に囲まれ、1方がアムナイ川に面
している
山は木のない禿げ山
地味は良いところと悪いところがある
気候:雨期は川の氾濫によって洪水が起き、乾期は風が強く、果樹がよく育たない。
それ以外は良好。
バルアン地区は、強風を免れ、地味も良好で耕作に適する。
山腹で牛、山羊を飼育する可能性がある
問題:圧倒的な自然の力に対抗しうる手段をもたない。
灌漑が困難、二期作ができない。
因習的なため農業指導に時間がかかる。
農業経験の不足。遠隔地のため、作物の運搬が難しい。
将来性:耕作地が少なく、灌漑できないため農地の耕作だけでは食べていけない。しかし、
村の背後に連なる山々で牛、山羊の放牧を行うことが可能であり、牧場経営と並行していけ
ば経済的自立は夢ではない。また、この村は教育に熱心であり、インセンティブさえあれば
人間開発も大きく進み、周囲のマンニャン達のモデル地区として貢献できるはずである。
文字文化を持たず、かつ焼き畑、採取を生業とした移動民族のため、村の歴史というもの
はない。ただ、村の長老格に話を聞くと、シプヨ村への定住は少し前にさかのぼる。約20年
前、現在の村の長である、マクシーノがサンタクルスの有力者(現市長)から牛の世話を
頼まれた。現在シプヨ村は正式にマンニャン族永住の地としてが認められているが、かって
はミンドロの広大は土地は、スペイン統治時代からのアシエンダ制(大土地所有制度)によ
り一部の有力者に占有されていた。シプヨ村も例にもれず、町の有力者の土地であり、所有
者が牛の放牧をシプヨ村で行っていたが、その家畜の世話をマクシーノに依頼したのである。
また、このことがきっかけで彼が自分の一族を村に招へいし、今の村の原型ができた。
本格的な定住化が始まったのは、21世紀協会が総合農業事業をはじめてからのことであ
る('94開始)。米作を学ぶことによって、食べ物を探すために移動する必要がなくなり、
シプヨ村に人が集まりだした。事業開始当時は人口も40から60の間であったが、97年度に戸
籍調査をしたところ、100名に増えていた(もっとも、マンニャンの多くは名前を持たな
い)。
シプヨ村の周囲に住むマンニャン族の問題は、山の資源の枯渇である。かって豊富だった
森林資源が乱伐でなくなり、山の幸がとれなくなった。シプヨ村の三方を囲む山々もほとん
ど禿げ山であり、周囲のマンニャン達の飢えは深刻なものとなっている。また、彼らの焼き
畑は山を禿げ山化し、自然破壊に拍車をかける。
シプヨ村バルアン、及びソアカン地区 Baluan, Suacan
人口:40人(15世帯)
アクセス:シプヨ村からさらに徒歩1時間(乾期)。
耕地面積:10ha
地勢:周囲は山に囲まれているが、村を流れるシプヨ川に沿って、肥沃な土地が広がってい
る。また、山は比較的緑に覆われている。
気候:地勢上強風を免れ、地味も良好で耕作に適する。
山腹で牛、山羊を飼育する可能性がある
問題:農業技術を全く持たない。
遠隔地のため、作物の運搬が難しい。
部族間の確執がある
マラリア等風土病多発地帯
将来性:肥沃な土地での米の二期作が可能である。山腹での牧畜や果樹の栽培が可能である。
また、村人は大変農業に興味を持っており熱心なため、指導しやすい。
バルアン村は94年度に総合農業事業を開始した当初から、その農業の大きな可能性が見込ま
れていた。肥沃な土地をシプヨ川が蛇行しているため、灌漑しやすく、米の二期作が可能で
ある。また、地勢的に乾期の激しい季節風を免れるため、果樹の栽培も可能、その他牧畜な
どあらゆる可能性を含んでいる。
この地の開発が遅れたのは、シプヨ村での農業指導が予想以上に大変だったこともあるが、
むしろマンニャン族の因習や部族的確執が障害となった。当初、バルアン地区は、シプヨ村
で農業経験を積んだマンニャンが移住、指導に当たる予定であった。しかし、移住を開始す
るや否や何人もの村人が病気に罹り、悪い徴と見た村人が移住延期にしたのである(96年
度)。シプヨ村住民とバルアン村住民は遠戚関係にあるが、微妙な確執があったことも事実
である。どんどん地域であり、指導員の健康も気遣われた。
こうした困難を乗り越え、97年末にようやく農業指導スタート、98年6月には初の米の収
穫が見込まれている。マンニャン集落での事業の成否はどれだけ彼らの文化や心理を熟知し
ているかによる。外来者に対し大きい警戒感を持っているため、彼らの心を開き、深い信頼
を得ることが最も大切である。
今後はバルアン村とシプヨ村の交流を増やすことにより、地域のより大きな開発を期待す
る。例えば、シプヨ村の家畜をバルアンに一部移し、放牧を始めることや両村の間にある無
人のソアカン地区の開発などである。ソアカン地区は灌漑は難しいが、比較的肥沃な土地で
あり、すでに両村民によって一部、米作りが行われている。両村民が手をつなぎ、地域開発
を共同ですすめることができれば、これからのマンニャン社会の一つの理想型が出来上がる
はずである。
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