虹

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シプヨ村農業事始め



川を渡る

 シプヨ村にはじめて足を踏み入れたのは、五年ほど前のことだったろうか。フィリピンでももっとも開発の遅れている西ミンドロの小さな町のはずれから徒歩で山を越えて4時間あまりの遠隔地だ。道があるわけではなく、山の木や草を分けて進んで行く。頭に、熱帯の太陽が容赦なく照りつける。


農業指導を始める

 マンニャン族は、ミンドロ島の山の奥深くに住み、低地の人々との接触を避けてきた。しかし、戦後、マンニャン族の住む遠隔地にも材木を求めて外部の者が侵入するようになり、それまで豊かだった山は木を伐られて禿げ山となった。そうしたマンニャン族の村の一つ、シプヨ村に私たちが入ったとき、そこには山の恵みを奪われて、慢性的飢餓に苦しむ人々の姿があった。ここで、人々は最後の望みを農業に託して、細々と土地を耕し、作物を植えていた。 田を興す

 しかし、この人々は、もともと山に実る植物や動物を捕って食料としてきたため、農業を知らない。作るものはほとんどが枯れ、作物が成長しても貧弱で、とても村人の空腹を満たすことができない。

 人々は、われわれに農業を指導できる人を求めてきた。そこで早速、有能で遠隔地の不便をいとわな指導員を村に派遣し、町には日本人のコーディネータを配してこれをバックアップし、農業指導を開始した。農業に必要なカラバオ(水牛の一種)、農機具、種苗などは順次そろえた。風車も設置して、風力で畑の灌水を行った。周りの低地の農家もうらやむほどの装備だった。人々のやる気も充分、その上、進んだ農業知識を指導する指導員までいる。われわれは、成功を疑わなかった。

壁に突き当たる

子供たちと 牛

 しかし、ここで壁に突き当たった。われわれは、農業指導の対象を小学生程度の知識のある人々と、何の根拠もなしに設定していた。が、ここの人々は、文字の読み書はもとより、学校の存在さえも知らない。作物を植えたらまめに水をやらなければならないと言っても、誰も納得しない(水を飲んでもおなかはふくれない)。

 土を耕さないと作物の成長に響くと言っても何の話だろう、という顔をしている(草だって堅い地面に生えているではないか)。カラバオの乳を飲めば栄養の補給になると言っても、それではカラバオの赤ちゃんの飲む分がなくなる、(かわいそうだ)と言う。乾燥地でも栽培でき、栄養もあって、成長の速い野菜を作っても、そんなもの食べられないの一点張り。農業指導員は何度も頭を抱えた。

 その上、現地はマラリアの多発地帯。寄生虫、害虫は言うに及ばず、赤痢、腸チフス、デング熱は日常茶飯事だ。ただでさえ栄養不良の人々が、何とか農業を成功させようと重労働に耐えてきたため、身体の抵抗力が低下し、結核が蔓延してしまった。久しぶりで村を訪れると、ちょっと前までは元気に働いていた人が土色の顔をして荒い息で苦しんでいる。夜中には、マラリアの高熱に苦しむ若者が大声で精霊を呼んでいる。

将来に向かって

モンゴの収穫

 私たちの挑戦は一進一退を繰り返しながら、それでも、少しずつ進展していった。農業指導員が早朝から野菜に水をやっているのを眺めている内に、人々も水やりの意義を理解するようになり、私が訪れて「変わった」野菜を食べているのを見て、誰となくまねして食べるようになった。農業の重労働にも、少しずつ身体が馴れてきた。

 そして、村に帰った元奨学生は、読み書きを小さい子供たちに教えるようになった。この中から、いずれまた、町の学校に行ってみようと言う子供が出てくるのを気長に待とう。農業も少しずつでいい。去年より今年、今年より来年と、収穫が増え、人々の生活が安定に向かえば、それでいい。

 あとのことは、この村の人々が決めるだろう。私たちの存在がきっかけとなって、村が自立に向けた小さな一歩を踏み出したのならそれで十分だ。きっと近い内に、村の長老が私たちのところにやってきて、もう援助はいらないよ、これからは友人としてつきあってくれ、と言ってくれることを期待しよう。

(池田晶子)


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