SamSara



国金さつきの
《ミンドロレポートその25》



ある奨学生に起きたことから−2
―科学と神秘の世界の狭間で―

マンニャンの家族

事件を振り返って

 一連の出来事をすべて詳細に記すという訳にはいきませんが、大体の状況を理解していただけたと思います。私見も大いに入っていますが、すべて偽り無い事実であり医学的見解については専門家に判断を委ねるとして、今一度、その場に出くわした人間として今回の一連の出来事から私が感じ学んだことをまとめておくことにします。



自分に足りなかったもの

・ 奨学生20数名一人一人の様子を日々観察し、小さな異常でもすぐ察知できる注意力

・ 一人一人の内面へのケアを行う愛情と忍耐力

・ 物事の流れを先取りして読む能力と細部に至るまで気を配る慎重さと何か起きたときにしかるべき判断を下す決断力

・ 積極的に関わる態度、姿勢

・ 一人前として話を聞いてもらう、信用してもらうための実力(言葉が出来ない、若い、経験が無い、説得力が無い、信頼がない)

私に足りなかったもの、必要性を感じたものです。そして、

・ 迷いがあっては駄目、混乱させる(決断を保留するな、保留するときはちゃんとその旨を相手に理解させる)

 自分の良く知っている人間が急におかしくなったという経験は、私には初めてでした。まるでサイコホラー映画のワンシーンのような現実を目の前にして、圧倒されてどうしていいか分からずうろたえてしまったのが正直なところ、後悔と反省は多いですが、私がもっとも痛感したのは「どうしていいか分からないところで何ができるか」という現実的な問題です。困惑すること自体は当然ですし誰でもそういう状況に陥ります。ただその上でどれだけ物事を整理して見、的を射た動きができるかという点が分かれ目となるのです。

振り返るに

 彼女に関しては8月に入って2週間くらい咳と時たま微熱を訴えていたこと、7月当初に近所の犬にかすり傷程度ですが噛まれたこと、6月の中旬水痘にかかり新学期早々学校に行けなかったことがありました。狂犬病や水痘(ヘルペス菌)による脳炎、村では日常茶飯事の熱帯性マラリア、寄生虫による脳炎の可能性、加えて彼女には元々甲状線種があり甲状腺機能障害も考えられます。身体的要因の可能性だけでも山ほどある上に、精神的要因が引き起こしたということも彼女の場合大いにあり得ます。考えうるありとあらゆる可能性を一つ一つ挙げていき、それに応じて対策を講じるという作業は私一人では不可能でした。犬に噛まれたことを思い出した現地理事から夜中マニラより連絡があり、ボランティアスタッフ二人で深夜に狂犬病(発生するとまず助かりません)について文献を漁ったり、水痘が原因で引き起こされる脳炎の可能性など、幅広い知識と冷静な見解を持つ氏の一言なくしては誰も思いつきませんでした。そして村にいる彼女の様子を見に何度か足を運んでくれたのは同じボランティアスタッフの紫垣さんでした。私は当初、混乱状態から合理的、科学的に考える思考も積極的、能動的に動く行動も出来ず、不安でただ止まってしまいました。二人がいてこそ私は少しずつ自分のすべきことを見出していけたように思います。「何としてでも彼女を治す」という気持ちにおいて一致しているのであれば、あとは実際に何をするかです。24時間付きっ切りで看病している家族に代わって一時間でも彼女の手を握っていてあげることも私にできる一つです。その一方で狂犬病を疑っていた時など半ば絶望にかられながら慣れない英語の医学書と格闘したこともありました。

最後にものを言うのは...

 ここで大きく異なってくるのが能力の有無です。当然両親は治したいという気持ちにおいて誰にも負けないでしょう。しかし彼らが娘を救うために出来ることはあまりにも限られています。今ではマンニャン族でも病院に行き薬で治そうとしますが、両親は、このような状況で病院に連れて行くことにはむしろ反対で、「アルブラリオ」に頼る以外にないと信じていました。迷信や霊的なものを強く信じる一方で、普段は西欧医学(医者や薬)を用います。徹底して呪術と信仰の世界に生きているのでも、合理的考えでもって科学的根拠を追究しようとするのでもない、事実あの人がこう言った、この人はこう言ったと、他人の言動に振り回されて途中で信仰治療の担当者を変えたりしていました。科学と神秘的世界の間で、あっちにふらふらこっちにふらふらしている人たちを相手にして、私の側に迷いがあってはいけないのです。私たちは少なくとも現象について色々な原因(身体的、精神的または霊的)が考えられることを思い起こせますが、残念ながら彼女の両親にそれはできません。教育がないため考えが及ばないばかりか、例えば自力で本を読んで解明できるかといった能力の点でも、また科学的方法に頼るとして経済的に賄うことが出来るのかといった点でも、他人である私たちの方がより多くのことが出来るという事実があります。「治したい」とする情熱を実際に力に変えることが出来なければ彼女は「治せません」。奢りでなく、能力的にもより広い選択肢を持った我々だから出来ることなのです。

  であるならば、具体的に私の行なうこととは、彼らが考えることが出来ない分野での知識や思考を補いもっと多くの可能性を提示していくこと、金銭的援助も欠かせません。彼ら自身がより多くの"出来ること"の中で最良の選択をしていくため、力を添えることです。何が起こるか分からない目まぐるしく変わる現実に飲み込まれてしまわないように、開発とはそもそもそうした時代の狭間で生きる個々人が、瞬間瞬間で最良の選択をし、自分で自分の望む生き方を築き上げていくための"積極的な"試みなのです。より良い選択をかけて、自分とそして彼女の今にとことん能動的に関わろうと、私も勝負の構えです。

                       第二部 終わり

第一部へ


windmill

2002年10月


21世紀協会ボランティアスタッフ
国金さつき
前へ前へ 次へ次へ
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ contact us
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ ご意見、ご感想、資料請求

(c) 21st Century Association 2002