SamSara



国金さつきの
《ミンドロレポートその9》



ものとのつきあい方から



ミンドロの小学校で...左端に立っているのがさつきさん。

ついに始まったミンドロの生活

 国金さつきです。大学を出てまもなく1年になりますが、1月末からボランティアスタッフとしてミンドロに赴任しました。今月から一足先にミンドロの人となった紫垣伸也さんと交代でミンドロレポートを担当させていただきます。よろしくお見知りおきのほどを。

 寒さ厳しい日本を後に南国の地フィリピンに到着してから早くも一ヶ月が経ちました。歩いて30秒のところにはベトナムまで続く海、少し行けば向かい側には大きな山々を眺めることの出来る私たちの住まいでは、アリとヤモリとゴキブリとねずみ、たまの来客者であるこうもりとはるばる海を越えてやってきた日本人3人が、それぞれにひしめき合いながらも仲良く共同生活を営んでいます。私たちの一日はマンニャンの人々が暮らす村の一つ、カラミンタオで採れたコーヒーを淹れることから始まります。そして村からやってきたマンニャンの奨学生と旧奨学生である現地ボランティアスタッフに囲まれて過ごす日常です。

 現在寮で暮らす奨学生は小学2年生から高校3年生まで(フィリピンは6―4制)の総勢20人、彼らは親元を離れここで共同生活を営みながら学校に通っています。学費をはじめとして生活に必要な全ての費用は協会が賄っており、当然ながら彼らの支出において財布の紐は私たちが握っているということになります。使い終わって新しいのが必要になった文房具や歯ブラシなど細々したものは、オーダーシートを作ってそれに記入しグループ単位で申請するように決まっています。お金を渡す前に本当に買い換える必要があるかどうかチェックする仕組みになっているのですが、これが結構体力と根気を必要とするのです。

ものに対する思い

 決してものが溢れるほどあるわけでもないのに、ものを粗末に扱っていると感じることがあります。使ったら使いっぱなしですぐに片付けない、借りてもすぐ返さない、大勢が暮らす居住空間で如何に保管場所を確保するかという課題がありますが、それでも頻繁にものがなくなったり壊れたりするのは問題です。大人であるボランティアスタッフもさほど変わりません。ここで生活する限りにおいて申し出ればまたすぐに手に入るという感覚があるのでしょうか。まだ使えそうなスリッパやスペースのたくさん余っているノート、完全にはインクがなくなっておらずまだ書けるボールペンを「終わった」と言ってきます。もったいないと思う使い方です。私も子どもの頃には習字で使う半紙は真っ黒になるまで練習しろ、漢字の練習は小テストの紙の裏を使うこと、鉛筆も消しゴムも使えなくなるぎりぎりのところまで使い切ること、と教えられました。こうした親なり大人なり周囲からのしつけが今でも私には染みついていますが、ここではそれがしつけとして教えられるものではありません。大切に、粗末にという以前の問題で、親を含めた彼らのものに対する感覚が全く違うのです。本来マンニャンの人々にとってものとは自然界に存在するもので、大抵はある時に必要な分を使い、放っておけばやがて土に返っていくもの、誰かのもの私のものという考えもほとんどありません。ものに対する思い、感覚が私たちの考えるそれとは全く異なり、それが普段の雑と取れるものへの接し方として現れます。

選択肢があるか否か

 一方で日本から贈られてくる十分に使える中古や新品の文房具を目にする時(ここで大活躍します)、段ボールの中にあまりにかけ離れた現実を見て取れます。私自身がものの溢れた社会からやってきた人間であり、彼らに比べると圧倒的に多くのものに囲まれているのも事実です。多くのものを持てるということはそれだけお金を持っているということでもあります。いくら貧乏生活をしてみても彼らと決定的に異なるのは、彼らは選んでそうしているわけではなくそれしかないという点です。いざとなれば持てる者が持たないのと初めからそれしかなくて持てないのとでは意味が大きく違います。選択肢があるか否か、それは現在多くの場合が経済力に比例していることをここフィリピンで思い知らされています。

 否が応でも日本人である自分、それ以上に自分の人格そのものと向かい合わざるを得ない毎日です。日々新たな発見と目まぐるしく交錯する思いの中で現実を単なる矛盾として終わらせるのでなく、自分自身との葛藤を通して一つ一つ消化していき、何とかお互いにとってより良い在り方、心地よい在り方へと導きたいと願います。GIVE AND TAKEで彼らの人生に確かに残るものがあるように、それが彼ら自身にとって生きる糧となるように、まずはものとのつきあい方から始める次第です。限りあるもの、人の手が掛かり資源の犠牲があってこそのもの、労働を通して稼いだお金で得たものであることを知り、他に対して思いをはせること、マンニャンの人々だけでなく大量消費社会に生きる日本人も認識すべきことです。念のため、子ども達は基本的に一人一本のボールペンしか持っていません。ノートも各教科ごとに分かれているのではなく全て一冊のノートに書き込んでいます。小学生のノートには所々に落書きがありますが、あらかじめ落書き用に作られたノートなんてもののある日本とは到底比較にならない程慎ましいものの中で勉強しています。それでももったいないものはもったいない、と半ば自分に言い聞かせながら、子ども達にケチくさいと思われつつも、面倒でも、いちいち使い終わったボールペンを一本一本チェックしていく今日この頃です。


windmill

2001年3月


21世紀協会ボランティアスタッフ
国金さつき
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