SamSara

瀧村沙織の

《ミンドロレポートその38》



幸福度と開発援助の関連性



windmill

幸福って何?


 私達は一体どのくらいの幸福を日々の中で感じているのだろうか。便利な道具、完璧なサービス、金銭的に許される範囲で欲しい物を欲しい時に手に入れられる環境の日本で、どのくらい満足して人々は生きているのだろう。発展と人の満足感、幸福感は比例しているのだろうか。

 ミンドロでの生活の中で、家事の労働時間は一日の大半を占める。炊事、洗濯、掃除、どれをとってもここでは重労働である。例えば、炊事は1日に3回し、プロセスも多い。まずは水。水道がないので井戸で水を汲み、炊事場まで運ぶ。次に火。ミンドロでもガスコンロのある家庭は多いけれど、マンニャン社会では薪で料理をしている。薪となると、山に薪をとりに行かなければならないし、雨期で薪が湿っていると火を熾したり調整するのにかなり時間を要する。次に素材と材料。スーパーがなく、市場しかない。テレビなどでよく出てくるようなアジアの風景に、市場に野菜や果物がてんこ盛りになっているが、これと同じような市場である。そこには、野菜や果物、水揚げされた魚や、おろしたばかりの鶏肉や豚肉がおいてある。日本と異なり、野菜の種類も少ないし、運搬や保存の技術も低いので料理の材料は限られている。肉も、おろしたものが毎日販売されているわけではない。例えば鶏肉がどうしても食べたい場合は、近所でブロイラーチキンを購入して生きている鶏をさばくところからはじめなければならない。次に食品産業のサービス。日本ならば、お腹がすいたけれど料理するのが面倒くさいという時は、デリバリーサービスを利用したり、外食したり、出来合い物を購入することができる。しかし、ここではそういうものはないので、何かを食べようと思ったら、長いプロセスを経て料理をしなければならない。

ミンドロの生活、日本の生活

 日本の生活において、料理をする際に、こんな長いプロセスは必要ない。それは発展というものが、面倒くさいプロセスを短く、便利にしてくれたのだろう。しかし、その便利さが生み出した物は一体なんなのだろう。労働力を省いて、自由に使える時間だろうか。では、我々はその時間をどんなふうに使っているのか。なぜ労働力を省かなければならなかったのか。なんのために時間を使うためで、そもそもの目的はなんなのだったのだろう。今の日本の社会は、この便利さや発展している状態、さらに先を進もうしている。これを保つために、生活こそ便利にはなったかもしれないが、どんなに精神的な苦しみが増えたことだろう。自殺する人が多く、心の病に苦しんでいる人も増えている。発展の先にあるもの、人々が抱いていたものは、自殺者や精神病者の増加ではない。重労働から解放され、より楽しい時間を過ごすことができるようにではなかったのか。人を追い詰めるためではなかったはずだ。

 一方で、重労働を背負いながら料理をしているフィリピンの人は、労働から解放されたいと思いつつも、客観的にみて、この料理の長いプロセスを楽しんでいるようにみえる。水汲みにしても、薪をくべることにしてもこの一つ一つの作業にはそれなりに意味と重要性をもっている。水汲み場に行き、井戸端会議の中で情報交換をしたり、のんびり薪をくべながら天気や今日1日の出来事を話したりして、決して面倒くさい作業としてみなしていない。そのゆっくり流れる時間を自然に会話をして楽しんでいる。そこに、不幸せ感はみいだせない。

満足度の違い

 幸福、満足は物の発展でははかれない。持つ者は幸せで、持たざるものは幸せではないという、一見、普通に見える方程式には実は裏側がある。もちろん、持たざるものは、持つものを羨ましく思うだろう。しかし、すでに持っているものは、何かを得たために、失った物の大切さに気付き、何のために得たのか分からなくなっている。そして、今せっかく手にしているものになかなか価値を見出せないかもしれない。発展の先にあるものが、心の病を患い、もともと持っていた物を失うということならば、なんのためにこの世界には発展が必要とされるのだろう。フィリピン社会を見ていると、いまだ十分に発展してはいないけれど、その中でも(傍から見てでしかないが)幸福を感じているように見える。それは、フィリピンはもうこのままの状態にしておいて、開発による発展は必要ないといっているのではない。発展の先にあるもの、何かを得たときに失うものの代償を、今のうちに考慮しておかなければ、今の日本が抱えている問題が再び襲ってくるだろう。

 発展とともに幸福度が薄れ、息苦しい社会を生み出す。反比例するのでは、発展の意味がない。便利というものは楽しいものではない。便利なものを手に入れるために、かなり苦労をしなければならない。その苦労が行き過ぎ、かえって人を苦しめ、不幸に陥れるのならば、なんのために人は発展を追及するのか、もう一度スタート地点に戻って考えてみる必要がある。我々がいま、しなければならないことは、さらなる発展ではなく、発展が引き起こしている弊害について考えることである。


 

windmill2005年2月



21世紀協会ボランティアスタッフ
瀧村 沙織
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