SamSara

瀧村沙織の

《ミンドロレポートその36》



モノの授受からみえる開発




windmill

いい人、ケチな人       

 フィリピン社会では、モノをあげる人は優しくていい人で、モノをあげない人はケチで悪い人という方程式がある。

 私は、マンニャン奨学生と一緒に暮らしながら、協会のお手伝いをしている。日本からの援助で生活用品や学用品がたくさん送られてくるが、奨学生にそれらを渡す際には、慎重に判断する。ボールペンのリクエストがあったときは、前につかっていたボールペンをもってこさせ、インクが本当になくなっているのかを確認する。ノートやほかの文具でも同じようにする。モノを大切に使うことを覚えさせるためである。欲しいものを欲しい時にもらえる状態にすると、モノのありがたみがわからないからである。


Saori&Carmen

 しかし、彼らには私の意図はなかなか伝わらない。たくさん文具があるのにどうしてもっとくれないのかと不思議がり、サオは意地悪な奴と認識する。もちろん、必要な物は渡してあるにも関わらず、もっともっと欲しがる。逆に、時々日本風クッキーやケーキを作って皆に振舞うと、サオはとても優しくていい人と皆が言う。

相互扶助

 モノの授受の上に成り立つ人間関係に疑問を感じた。モノをあげつづければ、永遠にその人は優しいいい人であり続けるだろう。しかし、モノをあげない優しさというものもある。それを私は奨学生に伝えたかったので、モノの授受によって成り立つフィリピン流の個人への評価が理解できなかった。しかし、フィリピンではモノの授受という行為によって、社会の根底が築かれている。この社会は、近所や親戚との付き合いの絆が強い。困ったときには助け合い精神が働く。例えば、ミンドロでは稲作は二期作である。時期は1月から4月が一期目、8月から11月が二期目である。収穫前の時期は収入も食べ物も底をついた状況で、一番苦しい時期だ。その時期は年に二度ほどあり、困窮をしのぐ方法は、近所や親戚からの援助である。困った者同士ができる限りの助け合いをしながら、生きている。お米に余裕がある者はお米を譲ったり、野菜を融通できる家庭は、野菜を譲ったりしている。あるものを分配する構造になっている。そうやって、フィリピン社会は築かれてきたのである。

 私はNGOで国際協力に携わっている。日本からミンドロにやってきて、「ここの状況を改善しよう」と思っても、私の主張や意思は、ミンドロに根付いている社会を理解しない限り、無駄な努力となってしまう。モノをあげない優しさを懸命に説明しても、理解が得られないのも当然のことである。私の持つ主張は、私の生まれ育った社会や環境から導き出されたものであるように、彼らの持つ主張も同じことがいえる。開発援助で難しいと感じるポイントの一つは、ここにある。開発のビジョンを、ミンドロに持ち込んでもその地域と我々との認識のギャップをどのようにうめるかということである。

世界銀行のプロジェクトは?

 最近、ミンドロで世界銀行のプログラムの助成金へ応募する計画がある。先月郡役所でミーティングが開かれて、近所の郡会議員に頼み特別に参加をさせてもらった。プログラムの内容は、ミンドロに植林をするものである。応募のためには、各バリオ(村の最小単位)のアンケート調査が必要という。アンケート内容は、村の全家庭の名前や土地所有形態や生計手段などなど、細かいプライベートな事まである。参加者は、各バリオの有力者である。例えば、山奥のマンニャン村の地域では、識字教育を行っている教師などである。その参加者に、アンケート調査を依頼するのがミーティングの主旨であった。しかし、結果は散々たるものであった。村人からアンケートの協力をえられることはできなかったのである。協会の事業地のパクパク村でも行われたが、全員が解答を拒否したのである。ほとんどのマンニャン村でも、アンケートに対して嫌悪を示した。というのは、マンニャンは簡単にはプライベートなことを部外者に打ち明けないからである。プログラムが開始する以前の段階で、失敗をしている。最近の世界銀行の開発への取り組みに、地域に焦点をあてて開発を行っていくという傾向があるが、このような状況では地域に根付いたプログラムとはならない。アンケートを拒否するマンニャン族について、全く理解、予測をしていなかったからである。世界銀行の新しい取り組みも、意味をなさない。

 相手の立場を理解し、自分の立場を理解してもらい、そして受け入れてもらうことが、開発の現場に求められていることだ。ここで重要なのは、調和である。NGOの立場であれ、世銀の立場であれ同じことがいえる。自分の主張の本筋を崩さず、相手に受け入れてもらえるための調和が必要となる。奨学生との関わりや世界銀行のプログラムへの取り組みを直に触れて、現実問題として、どうやって調和をとるかが問われている。私が理想を築いて、それを押し付けても、空回りしているのが事実である。ミンドロ生活が一年経った今、少しずつではあるが、ここの生活や環境の根底にあるものが見え始めてきている。今、私がしなければならないことは、これからも相手の立場をもっと見つめて、現段階では「見え始めた」ばかりではあるが、「理解」の域に達することである。空回りばかりしている私の主張は、相手をよく理解して、はじめて受け入れられることだろう。

windmill2004年7月



21世紀協会ボランティアスタッフ
瀧村 沙織
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