SamSara

瀧村沙織の

《ミンドロレポートその33》




責任の意味




windmill

「ある老女」その後

 ある老女の訪問をきっかけに、開発援助の意義を前回のレポートに書いた。その老女は、タガログ人で、事情により病気の孫をかかえ、頼れる身内のいない現実の中で路頭に迷っていた。そんな中で、協会の事務所に助けを求めに来たのである。

 しかし、実は、この老女は乞食だということがわかった。というのも、ある日偶然近くの市場で、老女と出会った。その時に、リウマチだから薬と病院までの交通費を欲しいと申し出てきた。実際、歩く時に片足を引きずりながら、一歩一歩がとても辛そうに見えた。その時、私はたまたま財布を持っていなかったので、後から事務所に来るようにと言った。具体的な支援が出来るわけではないけれど、もう少し詳しい話を聞いて何らかの援助が出来るかもしれないと考えたからだ。しかし、何回もしつこく迫ってくるので、ポケットを裏返して本当に持っていないことを証明したら、すんなりと諦めて次なるターゲットにめがけて、一目散に走っていった。その駿足ぶりに、唖然としてしまった。リウマチというのは、真実ではなかった。しかも、私だけではなく数人の同僚も、この老女と出会い同じような体験をしていた。

鶏をおろす--ミンドロではこうして鶏をおろして食べるのです

 なんだか、裏切られたような気持ちになった。嘘をついて助けを求めにきている、ということがとても悔しく思えた。孫が病気かどうかの真相はわからないけど、リウマチというのは明らかに真実ではない。私は本当に困り、助けを求めている人に協力する姿勢でいる。老女の場合は、どこからどこまでが真実で嘘かわからないから、本当に助けが必要かどうか判断しかねた。もし老女の言うことが本当だったなら、もっと積極的な反応をしただろう。

乞食を生み出す背景

 しかし、乞食を生み出す背景は貧困と密接に関連しているのではないのだろうか。老女が嘘をついて、乞食となったのは、その裏に貧しさがあったからではないだろうか。

 どうして乞食は存在するのだろうか?

 その背景には、やはり貧困構造が生み出す悪循環が存在するからであろう。貧困層は、教育を受ける経済的余裕がない。教育を受けていない人は、高所得で安定した就職口がない。このサイクルが続く限り、貧困層はそこから脱け出すことはできない。安定した就職ができない貧困の最中にいる人たちは、容易に就職できる低所得の職へと流れ込む。そこにさえも、流れ込むことの出来ない人がさらに乞食となる。もちろん、あえて乞食になる人もいるかもしれない。就職のチャンスがなくても、人は生きていくためにお金を稼がなければならない。そういう人々が、乞食となるのであろう。

 乞食や低所得者が集積するスラム地域が、フィリピンには無数に存在する。政府当局は、これらを一掃するスラム除去対策を行っている。しかし、このような対策は大半が成功していない。実際、スラムの地域や住民は減少していない。なぜだろうか?どうして、このような政策は成功をおさめないのか?それは、スラムがどうして形成されるのか、対策を行う側がその原因を認識していないからだ。一掃させたいのならば、強硬な手段をとるのではなく、その地域に住みつくようになる原因を解明しなければ、解決しない。貧困から生まれた歪んだ構造を、根本的抜本的に変化させることが必要である。

 乞食としてしか生きられない人を、厄介者と受け止めるのか、貧困構造の産物と見なすのか、その認識の違いによって行なわれる対策が大きく変わる。政府は、厄介者と受け止めて、一方的な強硬な手段をとっている。だから、問題は解決されない。私自身も、乞食の老女に対して援助の手をひっこめた。老女の乞食行為にいたる背景を考慮もせず、厄介者と見なしたのである。

なぜ貧困対策は成功しないのか

 持つ者と持たざる者と二つに分かれた世界に、私たちは生きている。経済的な意味で言えば、私たち日本人は持つ者であり、老女やスラムに生きている人は持たざる者である。今、私はミンドロでNGO活動をし、開発に携わっている。しかし、その持つ者と持たざる者の分かれ目の境界線を私自身が引いていたことに気づいた。

 何が問題か、どうして問題が生じるのか、その原因を追求し、認識し、そのうえで解決策を考えなければ、物事は改善しない。フィリピン政府の対策が成功しないのは、スラムが形成される要因を正しく認識していないからだと述べたが、私自身も乞食の老女に対して同じような態度をとった。ボランティアとしてミンドロ島に来て、開発の道を歩み始めたと思っていたが、それは勘違いでしかなかった。貧困の責任を政府や他のもののせいに転嫁していた。確かに政策の転換は必要とされ、住民の要望を考慮した政策は作られなければならない。しかし、まず変わらなければならないのは私自身である。政府の責任を問う前に、自分の行動は正しいのか問うと、そうではない。私は開発に携わっているにもかかわらず、老女がなぜ持たざる者かを考えもせず、嘘をつかれたという悔しい感情に押し流されて、原因を追求しようとはせず、自分が受け入れなければならない責任から逃れていた。責任を誰かのせいにしている限り、物事は何も改善しない。私が今、本当に取り組まなければならないのは、貧困化をさせている根本的原因を外的要因から探し出すのではなく、自分自身の意識の中から探しだすことなのかもしれない。私が責任を認め、私から変わり始めることで、私自身が持つ者と持たざる者の境界線を引くことはなくなる。その一歩一歩の積み重なりが結果的に、政府の対策をも動かし、一層の相乗効果となるかもしれない。

 外的なものに責任を押し付け、非難することで私自身を擁護してきた。その擁護してきた殻を壊して、ここミンドロでしっかりと問題点を見つめ直したい。

 
windmill

2004年1月


21世紀協会ボランティアスタッフ
瀧村 沙織
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