SamSara

瀧村沙織の

《ミンドロレポートその31》




現場で直面する混乱




windmill

2つの「貧困」とある老女

 開発援助という視点で見た場合、貧困層の中で生きている人は、2つのタイプがある。1つは援助があり、教育や医療を享受することができる人たち。2つめは援助がなく、就学意欲があり才能があっても教育を受けることができず、例え瀕死の状態にあっても医療を享受できない人たちである。

 先日、一人の老女が21世紀協会のオフィスに来訪した。彼女は協会が支援するマンニャン族ではなく、タガログ人である。事情を聞いてみると、老女は孫を5人も1人で養っているという。孫の親つまり自分の娘夫婦は病死し、その後老女が孫を引き取ったが、現在孫の2人が病気で瀕死の状態にあるらしい。老女は孫に薬を買うお金がなく、藁を掴む思いで、マンニャン族を支援している我が協会を訪れ、助けを請ったのだろう。しかし、協会としてはタガログ人の貧困は支援対象外である。今回は事情を考慮して、薬を買うためのお金をわずかばかり私自身が援助したが、基本としてはこの老女のケースは対象外である。

 しかし、支援対象内つまりマンニャン族で協会の事業地ならば、継続的な支援を受けることができるのである。対象区の人が病気になった場合、病院にスタッフが同行し、薬を買うお金を提供し、ある程度の病人のケアまでしてもらえる。また、飢餓が続いて村人からの援助の要請があるならば、一時的な食料援助や、長期の視点で見た食料援助計画として農業指導などを受けることができるのである。この老女の場合も、継続的な援助がなければ、病気の子どもを含めて5人も無事に育てることはできないであろう。

社会という暗黙のセイフティーネット

沙織さんと女の子たち

 一見すると、上述した開発援助のタイプ別で考えれば、この老女はタイプ2でマンニャン族はタイプ1と見なされがちである。しかし、タガログ人とマンニャン族との間には、甚だしい差別が存在し、それがマンニャン族の社会的進出を妨げ、貧困を生み出している。老女は、文字を読むことができるし、病院に孫を連れて行く方法を知っている。また、タガログ人ということで近隣に米の援助を請い、もらっていた。しかし、マンニャン族の場合はどうだろうか。文字はおろか、タガログ語を話すことさえままならい人が大多数である。病院に行っても上手く症状を伝えることもできない上に、マンニャン族ということで邪険に扱われる。それに、タガログ人に物品を請うても、援助してもらえるどころか、追い払われ、石さえ投げられるかもしれない。

 タガログ人ということで、どんなに貧困にあえいでいる人でもある程度の生きるための保証が何らかの形でされている。それはこの場合、政府やNGOからの援助ではなく、フィリピン社会が保証するタガログ人へのインフォーマルな援助を意味する。しかし、マンニャン族が、この老女と同じように困窮していても、インフォーマルな援助は存在しない。そこで、我が協会はマンニャン族に対して奨学金プログラムや識字教育、農業指導などし、タイプ2に属している者に援助して貧困からの脱出を支援している。

なぜ老女ではなくマンニャンなのか

 ミンドロに赴任してから約3ヶ月。国際協力を現場で活動するには、知識と経験が未だ不十分である。まだまだ役に立てることはないし、どうのように対処すべきか理解しかねることばかりで、足手まといでさえある。そんな状況下にいる私は、老女との遭遇で混乱してしまった。

 現場にいると、不測の事態に出くわす。老女はタガログ人ではあるが、間違いなく貧困にあえいでいる。しかし、彼女にはインフォーマルな援助がどこかに存在している。それは、頭では分かっているものの、実際悲惨な姿を目の当たりにしたら、マンニャンと彼女とをどっちにプライオリティーを置くべきかと、私は困惑してしまった。彼女は対象外ではあるものの、実際に再度援助を請いにきたら我々は救いの手を差し伸べるつもりである。無視するなんて事はありえない。しかし、事業の対象内ではないので、継続的に彼女の抱える問題を視察にし、家に訪問したりなどはしない。そこで、私は刹那的感情的になり、彼女のことを継続的に懇親に支援したいと思ってしまった。

 しかしである。なぜ我々がマンニャン族を支援しているのか根本に戻ると、それはマンニャン族には何の保証も援助もなく、あるものといえば、はなはだしい差別と貧困だからである。この老女が、極貧困の中にいることは確かであるが、マンニャン族と決定的に異なることは、生きていくための何らかの手段がどこかにはあるということである。そこを、見落としてはならない。混乱すべきではない。ここが重要なポイントとなるのである。我々がマンニャン族にプライオリティーを置かなければ、マンニャンには教育や医療を受ける機会が激減する。マンニャン族と老女の問題は質が全く異なる。

 貧困にあえぎ、なす術のない人たちへ、つまり2つめのタイプにあたるマンニャン社会で、勉強したいと切望する子どもに教育を、病に苦しむ病人に医療の提供を、飢えに苦しむ村人に農業指導を行い、貧困からの脱出を手助けすることが重要であるということを、今回私が認識した最大のポイントである。間違いなく、老女はタイプの1に、マンニャンはタイプの2に当てはまる。

 現場で直面する様々な出来事によって、私自身混乱が生じてしまうことがある。しかし、混乱にもまれながら、何が優先させるべきことなのか、どのような判断が適切なのかを理解し、開発援助の意義をここミンドロで把握していきたい。


windmill

2003年9月


21世紀協会ボランティアスタッフ
瀧村 沙織

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