21世紀への展望 論文集

21世紀協会のアクティブスタッフ7人がが同じテーマで論文を書いてみました。
(2002.12.25)



池田晶子 川嶌寛之 紫垣伸也 国金さつき 佐賀弘 瀧村沙織 渡邉隆之

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池田晶子 「21世紀を展望し、市民社会の役割を考察する」
  《著者》
  池田晶子(いけだあきこ)
  特定非営利活動法人21世紀協会理事長

《論旨》

 20世紀後半から21世紀前半にかけた100年は間違いなく歴史の一大分岐点だ。一方で科学の 力によって快適な暮らしを得た人類は、他方で科学を過信し、弄ぶという危険なゲームに興じている。 そして、高度に分業化された社会の中、生産と消費が乖離し、環境の破壊を見た。科学の発達は、紛 争解決の手段としての戦争を事実上不可能としていることを認識しなければならない。その代わり、 利害の対立の解決として、当事者いずれかの勝ち負けではなく、双方ともが勝つWIN-WINゲームを新た な秩序として提案する。世界を席巻する一国中心のグローバリゼーションは敗者を大量に取り残す危険 をはらんでいる。しかし、今日の敗者は、必ずや明日には勝者の足を引っ張り、勝者敗者もろともに 滅びることになるだろう。敗者を取り残さないグローバリゼーションこそが求められる新世紀の秩序 だ。そんな秩序を築くのはNPO、NGO等の市民社会以外にない。

≪21世紀への提言≫

「21世紀を展望し、市民社会の役割を考察する」

《本文》

 21世紀の最初の50年は変革のときである。人類文明はこれまで培ってきた7000年の歴史とそ のシステムを捨て、新たな秩序に向かって飛躍しようとしている。今、人類は戦いと領土の奪い合い、 そして、経済の優位を争う秩序を去り、新たな未来を築くため激動の変革期のまっただ中にある。

科学文明

 20世紀に急速に発達した科学文明は人類にあらゆる事を可能ならしめた。それはおとぎ話に描かれる 魔法の国が出現したかのようだった。都市は人類に衛生的で快適な空間を約束し、生産の増大により飢 えは確実に減少した。一方、生産と消費が大きく切り離され、生活機能が分断された。分業による生産 は豊かな物質文明を実現すると同時に他の機能に対する無関心を生み、自己あるいは自己の属するセク ターの利益しか考えない人々は全体のバランスを欠く偏狭な開発を進めてきた。農業においては畜産と 農産が切り離され、日本の伝統的な土作りの技術が失われようとしている。翻って、都市は農村とのつ ながりをなくし、食物は"スーパーにあるもの"となった。結果、食物の安全が大きく脅かされた。大地 から搾り取れるものをすべて搾り取ろうして無理に生産を続けたため農地は荒れ、汚染された海から漁 業資源は激減し、都市においては公害が環境を毒した。世界の農地の40〜90%までが土壌の劣化に 苦しみ、漁業資源の25%が乱獲によって枯渇の危機にされされていると国連食糧農業機関(FAO) が警告しても、人々はそれを自分の問題として受け止めることができずにいる。山林が荒れたために栄 養の豊富な水が平野を潤すことがなくなり、果ては、沿岸の漁業を衰退させているなど、高度に分業化 した現代人には想像だにできないことだった。ほんの100年ほど前までは、"入会林"、"魚附林"の知 恵を受け継ぎ、自然と折り合いをつけてその恵みを享受してきた日本人は、悲しいまでに伝統をうち捨 て、自然を略取する人種になり下がった。そして、その過程において、人倫が地に堕ちてしまった。

 人類は、たったの100年ばかりの間に、地球の資源を使い果たす勢いだ。地球環境が、科学の力を 得た人類によってみるみる破壊されようとする中、かつて豊かな恵みを提供してきた自然は、凶暴な自 然と化し、人類への反撃のときをねらっている。熱帯地方においても、その多雨林を破壊された山々は 激しく降り続く雨期の豪雨を受け止めることができず、各地で洪水、土壌の流出、浸食、渇水、生物の 多様性の崩壊などをもたらしている。抗生物質の過剰投与は耐性を生み、一度は撲滅したはずの結核な ど感染症が復活し、耐性マラリアが蔓延して人々を苦しめている。

戦争という手段の終焉

 このまま地球から捕れるだけの資源を奪略し、代わりに毒を吐き、人と人の争いを解決するに暴力を もってしていては、地球ごと人類は破滅することが分かりきっているのに、相も変わらず人類は目前の 利益を求め、"魔法"を濫用し続けて、身に余る科学の力を制限もなく使い、戦いに身をやつしている。  科学という魔法を委ねるに、人類はあまりにも幼すぎた。世界中を狂気に巻き込んだ戦争の数々、環 境の破壊、一国による経済の優位と支配。戦争はなにも二十世紀だけのものではないが、幼い人類が科 学を自在に操るようになったとき、戦争は単なる領土の奪い合い以上の攻勢を持って人類に迫ってきた。 科学の力によって大量破壊兵器を手にした人類は、果たしてそれを管理するだけの賢明さを身につけて 来ただろうか。"抑止力"の神話にしがみつき、危険すぎる玩具を弄ぶわれわれは、自滅への道をひた走 りに走ってはいないだろうか。

 今や、恒久平和は理想論者の安易な幻想ではなく、必然なのである。狭量な国益を求めることが自滅 につながるほど、21世紀において地球は狭いところとなった。大国が力で小国を押しつぶすことはで きても、それに納得しない小国の市民がテロという手段で反撃したとき、勝者はたちまち敗者に早変わ りし、一瞬のテロを成功させたその人々も世界の憎しみを一身に浴び、崇高だったはずの目的を血で汚 したことでやはり敗者となる。9・11のテロはその典型だ。

 どんな社会になっても、考え方の違いによる抗争、利害の相克、文化の拮抗、感情の確執など対立は 必ず残るものだ。その対立を解決するに武力を持ってする時代は、1945年8月6日を以って、完全 に終わりを告げた。そのことを理解しない人々が相も変わらずあちこちで砲煙を上げているが、求めな ければならないのは"賢い戦争"をする知恵ではなく、勝ち負けを争わない分別であり、別の観点から言 うと、争いの当事者双方を勝たせる叡智である。

 そんなことができるはずもないと言うかもしれない。人類は創世記より争い、戦いを続けてきたのだ から。しかし、今、できるかできないかを論じているときでではない。やらなければならないのである。 問われるのはその決意だ。

WIN-WINゲーム

 日本のみならず、東洋では利害関係者の間で"落としどころを探る"という交渉の方法がある。それは 、相手の譲れない一線を見極め、自分の譲れない一線とのバランスを図ることである。西洋人の言うと ころの"compromise、妥協"では決してない。すべてにおいて自分の意見を通すことができないという点 においては確かに妥協であり、一歩退くことになるが、相手を敗者にしていないという意味においては 、一歩退いたことで失われた利益以上のものが得られたといえる。全面勝利の爽快感はないかもしれな いが、完全に殲滅させるのでもない限り、敗者は生き延びてやがて勝者の足を引っ張る勢力になるもの だ。そのことを考えれば、合理性の観点からも決して損な話ではない。何よりも、人倫にかなっている。  このようなやり方を伝統的に知っている日本はじめ、東洋の人々こそが世界を引っぱって、争いを鎮 めることができるはずだ。そして、国益に縛られない市民社会こそがその役割を担うにもっともふさわ しい存在である。

 また、われわれのような先進国NGOが多数、世界の隅々に自ら出かけ、現地の人々と手を取り合っ て、各地で開発努力を進めている。違った文化や社会と接する中、新しい理解が生まれ、信頼関係が熟 成される。それをさらに多くの人々に伝え、交流を深めることで、文化や宗教の多様性を受け止められ る社会が生まれる。そういう中にあってこそ、真のグローバリゼーションが実現するのである。政府で もなく、国際機関でもなく、NGOが各地の争いを収め、教育の普及、飢餓の撲滅に実績を上げている のは決して偶然ではない。

新しい秩序の創成

 そして、われわれはここで思い知らなければならない。科学を得た人類には、力による支配が不可能 になったことを。力とは、戦闘の能力だけではなく、政治や経済の力も含まれる。16世紀までのスペ イン、16世紀後半から19世紀のイギリス、そして、20世紀のアメリカのように、力によって世界 を支配する覇者の時代は終わった。人類は科学の揺籃期より抜け出て大きく成長しなければならない。 それができなければこの惑星ごと滅ぶしかないだろう。あるいは、かつての恐竜のように、種としての 死滅が待っているのだろうか。今こそ、新世紀の新しい価値観を創出するときである。それは、単に新 世紀にふさわしい価値観というにとどまらず、これから人類が地球という惑星と共に生きていくため必 要不可欠のルール作り、秩序の形成にほかならない。

 世界は決して昔の秩序に戻ることはない。21世紀がそれ以前の世紀と決定的に違うのは、科学がも たらした情報の共有だ。"一つの地球"、"人類皆兄弟姉妹"といった美しいだけだった標語が現実のもの となった。情報が瞬時に世界を駆けめぐり、あるいは、誰もが短時間のうちに世界を移動することが可 能となった。情報の共有はこれまでにあり得なかったほど世界に大きな自由をもたらすことになる。現 在はまだその初期段階だが、情報公開政策(グラスノスチ)によってソ連が一気に崩壊したように、情 報は大量破壊兵器以上の威力を持って世界を動かす。行動の正しさではなく、情報を独占することで権 力を保ってきた従来の国家は権力のよりどころを市民社会の前で失うことになる。国家の枠組みが大き く揺らぎ、すべての人々が"地球市民"の名の下に一体となって世界を運営して行く。それが本来のグロ ーバリゼーションだ。

グローバリゼーションに取り残されし者

 ところが、思いとは別に、一国支配による経済のグローバリゼーションという妙にゆがんだ形の世界 秩序が出現してしまった。WTOは先進国の利益の保全に汲々とし、COP3でかろうじて合意を取り 付けた不完全ながらも地球温暖化防止のため世界が初めて手を取り合おうとしたアクションプランは骨 抜きにされてしまった。一つの国が圧倒的な武力、政治力、経済力によって地球上の人々を自在に操ろ うとする。そして、その中にあって、多くの人々が取り残されている。

 グローバリゼーションに取り残された人々、教育の恩恵に与れず、飢餓の縁にある人々には地球市民 などは夢物語だ。それどころか、ゆがんだ形のグローバリゼーションがそういう人たちを呑み込もうと している。わたしたち、NGO・21世紀協会は13年間、フィリピンの片隅のミンドロ島というフィ リピンでも忘れられている島に住む、見捨てられた少数民族マンニャン族の人々とともに働いてきた。 識字率が限りなくゼロに近く、子どもも10人生まれて成人するのは運がよくて2人という状況にあっ て、低地の人々に見下され、森林の伐採によって飢えにさらされてきた人々だ。この人々は文明の恩恵 に浴することもできず、その一方、居住環境を破壊され、ゆがんだグローバリゼーションの犠牲になろ うとしている。世界のあちこちに存在するこのような人々を取り残しては、真のグローバリゼーション も、新しい世紀の秩序もない。先にも述べたように、敗者は必ず勝者の足を引っ張る。それは、一瞬の 勝利の代償として敗者に足を引っ張られ、敗者もろともに破滅する道にほかならない。

 とはいえ、こういった人々を新しい世紀を築くための障害と見るべきではない。文明の毒にさらされ ていないこの人たちにこそ新しい秩序のヒントを求めることができる。たとえば他者への不信だ。正義 の実現にあって何よりも障害となるのが、自分はルールを守れるが、他人はどうだろう、という他者へ の不信である。皆がそう思っているのだから、始末が悪い。それに比べ、マンニャンの人々は自分と同 じくらい他人も正しいと信じている。それに、他人の問題をすべて自分の問題としてためらいもなく解 決に必要な手を貸す。どこかの家族で働き手が病気になったら、親戚や村全体でその家族の面倒を見る。 だから、人々は飢えてこそいても、餓死することはない。村で餓死者が出るのは村全体の恥だ、と説明 してくれたのは村の長だった。また、先に述べた敗者を作らないWIN-WINゲームのヒントも、人々からも らった。このような簡単な仕組みが人類を、この出口のない停滞から救う糸口になるのではないだろう かとわたしは考えている。

 間違いなく言えるのは、新しい世界秩序が、絶大な権力を持つ一国、一地域、あるいは一個人の指導 によって形成されることは決してないということである。本来グローバリゼーションは覇者を許さない ものだ。問題はグローバリゼーションではない。そのやり方なのだ。

市民社会による"一つの地球"の実現

 力による支配の通用しない世界では、政府に代わって、NPO、NGOを含む「市民社会」が大きな役割を 担うことになる。あたかも中央集権から地方分権へと流れが変わってきたように、役所から市民への権 限委譲が進行中である。市民はもはや保護され、指導されるものではなく、世界を動かす中心勢力となっ た。

 環境、民主主義、社会正義、人権、そして、人倫は21世紀のキーワードとなるだろう。そのいずれ においても、行動の基準は"何が正しいか"であり、その"正しいこと"を実現するのは、すべての人々が すべての人々のために働く高潔な市民社会でなければならない。自己の利益、社益、国益などといった 狭量な判断基準から生まれる結論は目前の実利でしかない。観光産業での繁栄をめざす南の島が、その 誇りであり観光の目玉であるはずの珊瑚礁を埋め立てて観光客誘致のために飛行場を建設するような愚 はもはや許されない。今の利益を求めるよりも先の公益を追求して一歩退くことこそ、多くの人々が繁 栄を享受し、幸福を得るための道である。また、われわれはそのことに誇りと喜びを感じなければなら ない。これがWIN-WINゲームの真髄だ。

 それは理想だが現実はなかなかそうも行かない、などという反論は聞き飽きた。そのような発言は前 世紀の政治家や官僚の口癖だ。われわれ市民は、理想と認めるならばそれに向かって力を尽くそうとい う決意と意志を示したい。それこそが、21世紀の市民パワーなのだから。

(了)




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川嶌寛之

  《著者》
  川嶌寛之(かわしまひろゆき)
  特定非営利活動法人21世紀協会理事
  1995年5月 21世紀協会からフィリピンへ派遣、
        現在に至るまで同協会理事兼
        現地事務局長として西ミンドロ州滞在




論旨

20世紀最大の人類の遺産は合理主義とその申し子である科学を駆使した巨大システムの建設であろう。また、そのシャム双生児とも言うべき機能主義は過去一世紀を通して高度に進化した。この二つの巨人は一方で有形無形の形で人類に奉仕しながらも、しかしその一方で、人類をシステムの一機能として断片化、疎外することにより、人類に甚大なる危機を与えることになったのである。人類は一方で科学技術の恩恵を得た快適な生活を享受しながら、原爆と環境破壊の脅威に怯えているのである。NPO(NGO)の存在意義は、こうした断片化され、疎外された人類の主体性を解放する“場”を提供するところにある。そればかりでなく、NPO(NGO)自体がコミュニティーそのものである。またこのコミュニティーは主体がホリスティックに参加できる点でヒューマン・スケールであり、イデオロギーに堕すことなく、学習を通して進化し続ける。

本文

巨大システムの瓦解

新世紀に至るまでの一世紀、人類はいったい何を成し遂げてきたのであろうか?一言で言えば、科学技術とそれをささえてきた合理主義による巨大システムの構築、ということが言えるだろう。日本をはじめ先進国であれば当たり前のように享受できるさまざまな機能、例えば電気、都市ガス、インターネット、行政サービスといったものはいずれもその恩恵である。しかしこうした機能をささえるシステムが複雑に統合されればされるほど、システムが一人歩きをし始め、その制御が難しくなってきた。事実、長引く日本での不況をはじめ、7年前の阪神大震災で経験したものは、見方を変えればその巨大なシステムの破綻ということもできる。人間が人間のために構築した諸々の経済システムはもはや高度に訓練されたテクノクラートの能力でもっても管理・制御できないほどに膨大なものとなってしまった。アダムスミスの「神の手による調整」といった楽観的な物言いができる時代は終わったのである。大震災の教訓は、一見完璧にみえた都市機能というのもが、いかに脆弱な基盤のもとに成立しているかというとと同時に、 システムの破綻がいかに一般市民の生活をいとも簡単に根こそぎ奪ってしまうかという脅威である。昨年来世界を震撼とさせているテロの恐怖も、巨額を投じているにもかかわらず先進国のそのセキュリティー・システムが以外にも脆いことを露呈してしまった。

機能特化した社会の弊害

巨大システムを支えてきたものは、高度に特化された機能主義、セクショナリズムである。そこでは人間は各々の職業を通して、社会機能の一部に組み入れられる。そうすることにより、社会はより生産性を増し、進歩が約束されると思われてきたのである。しかし指摘するまでもなく、その弊害はさまざまな形で我々の生活を脅かすようになった。人類の幸福に貢献するはずの科学は一機能に特化した科学者の手に委ねられており、原子爆弾の例を待たずとも人類の生命をしばしば脅かす存在となってしまった。環境問題は視点を変えれば、機能に特化し、人間がその環境から切り離され、疎外されたことが原因と言える。経済も生産者と消費者が余りにも離れてしまったために、各活動主体の意志とは全く無縁に暴走することがしばしばである。要約すれば、システムが余りにも大きくなりすぎ、一方人間はその機能に特化してしまったために、人間の主体性が奪われてしまったのである。そのため人間主体とその自由な意思決定の結果であるべき社会、世界との間に大きな乖離ができてしまっている。 昨今の日本における政治離れは、そうした現実に対する正直な無力感の表明である。

途上国の根強いコミュニティー意識

一方開発途上国はその“ナイ”づくし(インフラの欠如、機能不全な行政、テクノロジーの欠如等)とは裏腹に意外と柔軟なシステムをもっている場合がある。例えば私が長年教育普及にたずさわってきたフィリピンのミンドロ島に住む先住民族マンニャンの場合、その極端な貧困(民族のほとんどが日収一ドル以下)にもかかわらず実際には餓死することはほとんどない。彼らは行政や国家といった巨大システムの恩恵にはほとんど与れないが、コミュニティー・レベルでの相互互助システム、ネットワークを持っており、これが機能しているからである。彼らは一族の誰が収穫を終わったばかりで食べ物をもっているか、といったことを良く知っており、例えば夫が病気で野良仕事にも出られない場合、親戚一門を転々とすることによって餓えをしのぐのである。食物を与えるほうも相互依存の不文律に従っているのであり、極めて当たり前の行為と受け取っている。途上国のスラムもほとんどが強い人間関係で結ばれており、これがもたらすセキュリティーの恩恵があるからこそ、ますます膨張するわけである。

勿論ここでは途上国の現状が、先進国よりもすぐれていることを実証するものではない。途上国問題は経済主体のグロバリゼーションや、それがもたらす巨大システムの下部構造に半強制的に組み入れられてしまったことのもたらすさまざまな矛盾の総体であり、問題を単純化することはできないからである。しかし先進国を支える巨大システムと開発途上国を支えているコミュニティーのコントラストは、21世紀社会のあり方に大きな示唆を与えるものである。かつて開発途上国はその名が語るように、先進国に追随する者、先進国をモデルとする地域であり、二者の関係はいわば光と影の関係であった。しかし、途上国で見られる生き生きとしたコミュニティーに注目すること、さらには世界の持つ多様性に再び注目することは、21世紀社会モデルを創造する上で重要と思われる。事実、「開発の現場」あるいは「開発論」も過去10年大きな変化を遂げた。かつて西欧の戦後復興を目的にしたはマーシャル・プランにモデルを置いた開発論は、「資金投入による経済成長」、「インフラ整備を中心 とするハコ物」が主流であったが、開発途上国ではそのほとんどが挫折に終わり、現在開発論の中心となっているのは「参加型農村開発」「草の根運動」といったコミュニティー形成論に重点を置くものがほとんどである。さらにこの一連の新しい動きは、開発途上国のための開発論から、人類社会全体のための開発論に進化するのではないだろうか。震災の教訓のひとつは地域社会における「助け合い精神」の見直しであり、テロ、環境破壊問題への対策もより密度の高いコミュニティー作りが必要であることを強調しているからである。

ヒューマン・スケール・ソサエティー

システムの暴動を止め、人類が再びその主体性を取り戻す具体的方法がコミュニティーの形成であることは間違いないことだろう。ここで言うコミュニティーとは、個々の活動や意思決定が直接反映される“場”のことであるが、会社のように経済活動に特化した閉ざされた集団ではなく、住空間という具体的環境を土台にした経済、政治、文化面等総合的ホリスティックに参加できる“場”のことである。ここであえて住空間を含むのは、住空間に対する住民の意思決定は環境問題を解決するための鍵であるからである。また、このコミュニティーは、意思決定をできるだけコミュニティー内部に集約させる点で、ヒューマン・スケール(人間サイズ)の社会ということができる。例えば地域の環境に大きな影響を与える橋梁の建設に対して先進国でさえ、未だに住民の意思が尊重されているとは言いがたく、往々にして中央政府や利権がプライオリティーなっている。また、途上国のモノカルチャー経済に明らかなように、作物の値段は農民の意思とは一切関係のない世界市場によって決められ、 従って市況によっては豊作にもかかわらず、ある日突然失業、家族全員餓える、といった状況が起こりうる。こうした例は、住民にコミュニティー内の重大事に対して意志決定権が無いとこを示しており、住民参加や主体性が欠落した社会であることをあらわしている。これに対してヒューマン・スケール・ソサエティーとは、主体的には個人のアイデンティーティの増大、社会的にはダウンサイジングということができるだろう。個人的には自分の意志がコミュニティーに尊重され、コミュニティーに個人の意志が反映されることを通して参加意識や主体性はますます増大する。従って自己のアイデンティーティは社会に向かって増大、拡大するのである。一方社会的には例えばモノカルチャーからの脱皮により、地域の農産物が食卓に並ぶようになれば、食に関する地域のつながりがより緊密になり、食のセキュリティーも向上することになるだろう。こうした社会モデルはかっての農村ではどこでも見られたものであり、最近では「生産者の顔が見える食品」やマンション設計に住居者が参加したり、 さらに進んでエコビリッジという形で断片的に実現してきている。そして今後より総合的包括的な推進母体として期待されるのがNPO(NGO)である。

コミュニティーとNPO(NGO)

NPO(NGO)の出現と活躍は決して偶然のことではなく、先に触れた巨大システムや機能特化した社会に対する人間主体性の復興を求める一連の動きと解釈することもできよう。社会機能的には、確かにサービス産業に次ぐ第四次産業、あるいは福祉産業の一環と捉えることもできるだろうし、また「民間非営利セクター」といった呼び名で社会に組み込むこともできるだろう。しかしNPO(NGO)の最大の特質はその非営利という経済活動に特化されていない、というところにある。さらには、各団体はそれぞれの目的にしたがって主体的に集まった人々であり、営利を目的とする会社以上に参加意識は明確である。しかもその構成メンバーは基本的には老若男女、職業を問う必要はない。このことは、単に異種業間や世代間の情報交換が可能であるといった実用的なメリットのみならず、参加を通して全人的に成長できる場を提供する可能性を秘めている。この意味において、先のコミュニティーの定義にあった住空間を共有しないものの、NPO(NGO)はそれ自体がコミュニティー、あるいはヒューマン・ス ケール・ソサエティーと言うことが出来る。これは、単に偶然のことではない。例えば開発の現場ではNPO(NGO)そのものが地域社会に密接に溶け込んでおり、援助主体であると同時に地域コミュニティーそのものであることがしばしばであるからである。先進国においてもNPO(NGO)の設立動機そのものが地域社会の活性化である場合も多く、NPO(NGO)自体と地域社会は密接な関係にある。NPO(NGO)はむしろ住民参加型地域社会そのものということもできるだろう。こうしたNPO(NGO)の特質は、従来のように国家主体、経済主体の「外からの改革」と著しく対照的であり、住民が「共に考え、行動しながら進化する」のであり、「内発的、主体的」である。こうした活動が敷衍することこそ、20世紀を通して進んだ人間の自己と環境に対する分裂、疎外からの解放を促し、豊かな新世紀を創造することを可能にするだろう。

イデオロギー追従社会から学習するコミュニティーへ

一見矛盾するように見えるが、このヒューマン・スケール・ソサエティーは決してグロバリゼーションに対抗するもの、あるいは社会主義や資本主義に対抗する新しいテーゼという捕らえ方をしてはならない。こうしたイデオロギーや思想と同軸に置くことは、機能主義に対する主体の復権としての、ホリスティックなNPO(NGO)の新しい動きを観念化し、結果イデオロギーに堕落させてしまうからである。イデオロギーを追い求めることによる悲劇は、20世紀の歴史を通して十分学習したはずである。上から押し付けるような社会変革は絶対成功しないことは、歴史が証明している。トップ・ダウン式の社会はそれ自体が旧来の巨大システムと同じであり、専制的でなければ衆愚的に陥りやすい。ヒューマン・スケール・ソサエティーは追い求めるべき一つの理想というより、むしろコミュニティーの構成要因である各主体が、主体的にコミュニティー形成に参加するそのプロセスであり、個としてコミュニティーとして学習していくその過程そのものでなければならない。ヒューマン・スケール・ ソサエティーは学習しながら進化するコミュニティーであり、「人類、そして人類と自然の共存、共栄」という共通の目的を有しながらも、それが教条化されてはならず、むしろ学習のプロセスの中で主体性と多様性を回復しながらその認識を強め、それを実現しようとする意志である。NPO(NGO)は、こうしたヒューマン・スケール・ソサエティーをあらゆる分野、地域で実現するための母体となっていくだろう。

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紫垣伸也
  《著者》
  紫垣 伸也(しがき しんや)
  特定非営利活動法人21世紀協会ボランティアスタッフ
  2000年6月 21世紀協会からインターン生としてフィリピンへ派遣、
        現在に至るまで西ミンドロ州滞在


論旨;私にとってNGO(NPO)とは、純粋に他の人の利益、政府に属することをかたくなに拒否する組織ではない。NGOという活動の中で、私自身もなんらかの利益を得られ、必要であれば政府や公共機関とも手をつなぎ、ともに成長し合える空間を作れる組織であると考える。これまでの2年半のフィリピン、ミンドロ島での奨学生との共同生活の中で、私がどれほど彼らにポジティブな、もしくはネガティブな影響を与えたかは、正確にはわからない。ただ、幾つかの小さな問題はあったが、日本では得られない、もしくは感じることの出来ない数多くの経験は、現在において私自身の大きな利益、財産となっている。いつの日か、この(ポジティブな)感覚を日本にいる人に伝えられるようになりたい。そして、人に伝えることで私自身もその感覚を維持、もしくは更に大きくさせながら生きていきたい。そういう気持ちで、この稿を書いた。

本編

彼らに近づいてみて

大学卒業後、2000年6月からフィリピン、ミンドロ島に滞在している。そこで、この島に住む少数民族マンニャン族を対象に教育支援を行なっているNGO、21世紀協会のインターン生として協会の奨学生と2名の日本人と共同生活をしている。奨学生は、協会の運営する寮から地元の学校へ通っている。 マンニャン族は、ミンドロ島の山岳地帯で半農半猟の生活をし、低地に住むフィリピン人の多数派を占めるタガログ人と区別されている少数民族である。村には学校がなく、学校教育を受けたことの無い彼らの多くが未だ非識字者で、タガログ人との教育の格差によって生じる、搾取、差別があらゆるところで行なわれている。例えば、彼らの収穫した木炭や、ショウガなどを不当な値段で取引されたり、本来彼らのものであった土地を横取りされたりしている。また、医療設備が皆無な彼らの村には結核、マラリア、寄生虫による病気などが蔓延している。食糧も十分に得られる環境になく、慢性的な栄養不足は特に乳幼児に影響を与え、死亡率は非常に高い。

と、この少数民族の現状を悲惨なふうに書き始めたが、悪いことばかりでもない。まず、彼らの住むところは、気候だけでいえば人間にとって住みやすく、雨風をしのげる高床式の小屋は快適で、大自然という偉大なる浄化装置は優れているためトイレなど基本的に必要としない。身体を毎日洗うという習慣もなく、気が向けば川に浸かって軽く汚れを落とすくらいである。時期が来ると、山には自然にバナナや、木の実がなり、根菜類が摂れ、鹿や野ブタ、蛇、こうもり、ねずみ、かえる、オオトカゲなどを食す。川では海老や魚もとれる。初潮と共に結婚し子を産みはじめ、死亡率も高いが、出産回数も多い。食べ物がなくなれば村を移動し、山の恵みを捜す。日の出と共に目覚め、日の入りと共に眠る、穏やかで平和な生活である。 これだけ書くと、 「彼らには、彼らの生活スタイルがあり、自然観があるんだから、何もわざわざそれらを否定し、もしくは破壊しかねない援助をしなくてもいいんじゃないか?」 という声が聞こえてくる。

が、私はそうは思わない。確かに、この島が純粋にマンニャン族のみで占められ、彼らの価値が、この島全体において普遍的であればその意見は納得できるかもしれない。しかし、現在ミンドロ島には、マンニャン族だけでなく、外の島々から海を渡り、様々な人が住んでいる。低地を中心に町を作る彼らは、当然のことながら、自然に身を任せゆっくりと生活してきたマンニャン族に比べ、自然と立ち向かった経験があり、現代の教育を受けている分、圧倒的に強い。バナナやマンゴーは、一年の季節の流れで実をつけたり、芽を出したりするが、人間は季節の流れと共に、時代の流れにも状態を多少変えないと次に進めない。次に進む力を持たないとどうなるか。私は、死滅しかないと思っている。 流れに逆らい、囲いを作り、いにしえを尊し、とする考え方もあるが、私自身は、時代の変化に自分自身をいかに対応させ、その流れを自分なりに解釈し、楽しめるか、という力を身につけることが豊かな生活を送るための鍵になる、と考える。また、そうすることで、むしろ時代の流れに飲み込まれるのではなく、流れを創る立場になれるのではないだろうか。 そういう思いで、マンニャン族奨学生と共同生活をしていて、私の彼らに伝えたいことは、一つ、 強くなれ。 これだけである。いや、むしろ、まだまだ人生経験の未熟な私自身も含めて、

一緒に強くなろう。

かもしれない。その方がより適切である。強くなれば、自分に自信が持てる。自信は、時代に奔流されないための武器となる。奔流されなければ、時代の流れは、人生をエキサイティングで、インタレスティングにしてくれる素材として感じることが出来る。そう感じることが出来れば視界がぱっと明るくなり、幸福になる。  

さて、抽象的なことを述べてきたが、実際私が、2年半ここ、ミンドロ島に住み、具体的に何をして何を感じたか、について書かなければならない。

かといって、私がしてきたことと言うのは、大したことではない。協会の日本人現地理事と数名のフィリピン人スタッフが運営する組織、奨学生が既にあり、そのなかで、私が思うより良い環境つくりを試させてもらっただけである。

初めて奨学生に会ったときの印象は、純粋で可愛らしい、というのとともに自信のなさそうな感じの子が多い、というものだった。朝起きて、私が挨拶をしても、うつむいて恥かしそうにそっぽを向いたり、隠れたりした。冗談でもちょっと自分が傷ついたことを言われると、異常に落ち込んだり、逆上して暴れ回ったりする子もいた。学校での態度もおとなしく、周囲のクラスメートと接したりする様子もない、控えめすぎるほど控えめであった。 なぜ、彼らはそうなのか? これが私のはじめに感じた疑問であり、この疑問を解決しようする気持ちが私の彼らに対する具体的行為をポジティブに、時にネガティブにさせた。

解決の糸口を探るために、まず、挨拶を交わそうと思った。朝起きて寮の入り口に立ち、学校に行く子どもを待ち伏せし、挨拶を返してくれるまで声をかけ続けた。1ヶ月でちゃんと返してくれるようになり、半年後くらいには、彼らから挨拶してくれるくらいにまでなった。

1ヵ月後、挨拶が少し交わせられるようになった彼らに歌を教えてみよう、と思った。歌や音楽は、歌う(演奏する)人の心を広げ、明るくする。

楽曲は、持続可能性、を重視し、歌いやすく、教えやすいものを選んだ。私の好きなカーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドを教えることにした。カーペンターズの曲は、フィリピンのラジオでよく流れていて、知っている奨学生も多い。

まず、20名近くの奨学生を同じ時間に同じ場所に集めることから始まった。皆で歌う経験も無い人々に、まともに言葉(フィリピン語)も出来ない私が呼びかけるわけだから、(お互いに)大変であった。一人呼び込めば、一人いなくなり、まだ、洗濯中だとか、水浴び中だとか、晩飯のしたくしなければ、とかいろんな理由で、なかなか集まらない。ようやく集まったころには、時間も労力も予想以上にかかっていた。はじめは、私が一フレーズずつ歌い、それにあわせるように指示した。音程はさておき、ちゃんと声を出してくれるか不安であったが、結構それなりの声量で歌い始めた。始めの一ヶ月は、一つ一つ石を積み上げるような作業であったが、徐々にリズムや音程も指導できるようになり、3ヵ月後くらいには歌になっていた。多くの奨学生が生まれて始めて「みんな」で一つの歌を歌った。表情にポジティブな変化を見ることが出来た。場の雰囲気が明るくなっていくのがわかった。 歌指導を始めて数ヶ月たった11月に、協会理事長と3人のNGO活動に興味を持つ若者がミンドロ島事業地を訪れるというので、訪問者の歓迎会を奨学生と共に企画した。トップ・オブ・ザ・ワールドの他に一曲と、マンニャン族ダンスなどを披露した。訪問者の歓迎会であったが、この歓迎会をもっとも楽しんだのは、奨学生と私だったかもしれない。単純なことだが、やれば出来る、という感覚を持つことは、大抵の人間を明るくする。そして、単純なことだが、毎日の積み重ねによるなにごとかの完成は、人間を強くする。

が、人間の本質的なところにあるバランス感覚をもたない場合、やれば出来る、という感覚が誤った方向にむかわせることもありうる。実はその後、私がその方向に突き進んでいった。 やれば出来た奨学生を見て、私はとても嬉しかった。そして、その自信を更に自立へつなげてみよう、と思った。例えば、日替わりのリーダーを作り、選曲から、指揮から、呼びかけから全て彼らにやってもらい、私は一切口を出さないようにした。口を出さない、といっても彼らのそばに常にいて、様子を伺っていた。当初うまくいく、と信じていたが、そうはいかなかった。リーダーを形式的に設定したとしても、まず、リーダーシップについて何も知らない彼らに出来ることはなかった。また、半年くらいの成果で、彼らが過ごしてきた少なくとも10年以上の人生経験、習慣が形成したものが変わるということは、浅はかな思い込みであった。自立への挑戦は結局、外から見守っている私のいらいらをつのらせるだけだった。1年程その姿勢で彼等と接してきたが、なかなか納得した成果は得られない。次第に私は疲れてきて、こんなものかな、という妥協的結論を自分に押し付けようとしていた。それは、ミンドロ島生活2年目の中頃から思い始めた。



私の中にあるもどかしさは、3年目を迎えるころにも未だすっきりできていなかった。とりあえず、できる限り自分が持つ無駄な緊張感を取り除こう、と心掛けた。例えば、今まで興味の無かった分野の本などを読み、あえて暇を作り、外部の物事を吸収できる容量を自分の中に持とうとした。

そんななか、21世紀協会のマンニャン族人間開発センター建設の計画が決まり、現在のオフィス兼奨学生寮から少し離れた所に約1000uの敷地をもつことになった。計画の第一段階として、敷地の一角にニッパ椰子と竹材等で作られた小屋が建てられ、そこに男子奨学生と私が住むことになった。手作りで、電気が通っていない、シンプルな家である。

家を建てた敷地以外の土地は、単なる荒地だった。私たちは、まず、草抜きをし、そして実験栽培中の大豆を中心に、緑豆、なすび、おくらなどを畑に植えた。敷地の脇には、バナナ、マンゴー、パイナップルなどを植えた。毎日一緒に水をやり、たまに雑草を抜いた。

土色だった空地が、徐々に緑色になっていく。やがて花を咲かせ、実を実らせた。

あたりまえだが作物は、水をやり続け、動物や、昆虫の被害から守り、ケアをしてやらなければ死んでしまう。植物と人間は違うものであるが、日々作物と交流するなかで、人間にも相通ずるものに気付いた。

挨拶が出来、歌が歌えるようになった彼らは、断片的に強くなった。かといって、そのあとは、自分で水を探し、実を実らせろ、というやり方は、成長中の彼等にとって余りにも雑な扱いだったのだ。私の奨学生への対応は、例えれば、種を植え、双葉が生え、本葉が見えだしたころに急に栽培を中止するような愚かな方法であった。

実はこの稿を書いている今もまだ最良の方法は見出せていないが、日々の具体的出来事から自分が思う最善の道を選び、行動し、その結果を評価し、その経験を次にどう活かそうか考える態度がそれを見出す鍵になるような気はする。例えば、学校に落ちこぼれそうな奨学生の相談を以前より積極的に行なってみようと思った。直接学校に行き、学校の雰囲気や、先生の意見などを聞き、何がその子の問題なのか、私自身が足で探し、分析し、多少の助言が出来るように心掛けた。

一人、ハイスクール落第寸前の男子奨学生がいた。急に実家のある山村へ帰り、しばらく戻ってこなかった。人伝えになんとか連れ戻し、事情を聞くと、学校の成績が芳しくなく、私たちにしかられるのが恐くて逃げた、という。確かに、成績は良くなかった。学校も良くさぼる子で、何度も注意したが、効果がなかった。また、物を盗む癖があるようで、よく他の奨学生がその子に物を盗まれた、と嘆いていた。いろいろな角度から問題を抱えていた。

彼がとりあえず、何とか戻ってきたとき、ちょうど私は、私自身の行為に不十分なところがあったことを気付き始めていた時期で、彼がこのような行動に出たのは、彼自身だけの問題ではなく、彼と彼を支援する私たちの人間関係の中にも何か問題があったのではないか、と感じていた。私は、彼に尋ねた。

「君がやる気あるんやったら、手伝うよ。」

彼は、自信なさげだったが、一応、

「やる気あります。」

と、こたえた。私は、やってみよう、と思った

まず、しばらく無断欠席していた彼の弁解するのも含めて、一緒に学校へ行き、教科ごとの先生に挨拶し、一緒に先生に謝り、その後、彼が今後どうすれば今までの遅れを取り戻せるか聞いた。かなり学校をさぼっていて、定期テストも受けていないことがわかった。でも、これからしっかり出席して、勉強もまじめにすれば落第はまぬがれるという。

それから、ほぼ毎日、彼のノートをチェックし、一緒に復習をし、どんなことを勉強したのか、学校で、日常生活で何があったか、逐一じっくり話が出来る時間を作った。すると、かつて問題児扱いされていた彼だったが、結構真面目に私と向かい合い、話をした。一ヶ月後くらいには、彼から勉強を教えてくれ、と言いに来るようになった。そのときの表情は、陰から陽へと変化していた。

今回の彼との関係でわかったことは、日々のケアがいかに重要であるか、ということだった。それは、 ・挨拶が出来るようにする、・勉強を教える、・歌を歌う など具体的な指導を機械的に行なうのではなく、それらを総合的に活かす技術である。もう少し詳しく言えば、問題が生じたときにどう対応し、克服できるかを冷静に考えられる力と、成長しよう、幸福になりたい、という意志と、日常生活を楽しくするための少しの具体的なアイデアと、それらをバランス良く実行、継続できる精神的強さである。

おわり

この奨学生が、今後どうなるか、誰もわからない。しかし、どうしようか、という意志を彼自身と、彼を取り囲む人間がもち続けることで、彼の人生は、ポジティブにもネガティブにも自在に変化、成長が可能である。少なくとも私は、今、ポジティブな状態にある彼の成長が楽しみである。 豊かな人生とは、日常に出会う問題、クリアしたいと思う課題を克服したときに感じるものである。いや、もしくはそれらを克服しよう、という過程そのものが豊かな人生なのかもしれない。 NGOは、非支援者の豊かさ追求だけではなく、支援者そのものの豊かさをも作り出す21世紀のポジティブな姿である。

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国金さつき
  《著者》
  国金さつき(くにかねさつき)
  特定非営利活動法人21世紀協会ボランティアスタッフ
  2001年1月 21世紀協会からインターン生としてフィリピンへ派遣、
        現在に至るまで西ミンドロ州滞在

 論旨:NPOは、自分自身と他に対して望むべき在り方を追求しようとする探究の精神から生まれた"運命創造共同体"である。「関わろう」という意志から始まり全てはそこから動きだす。二年間の開発NGOでの現場の経験を経て、NPOとは1)積極的試みの場、2)個性のぶつかる場、3)想像と創造の場、であると言える。個々の生き方を考え理想を実現化させていくと同時に、NPO自体がまた新しい共同体の場を形成し、集団としての人間が進む新しい世界の主流を打ち立てていく可能 性を秘めている。一方、関わることは金銭的、精神的、肉体的にも労を要する。何を持って関わるのかというところで共通の基盤となる思想が未だ存在しない。それをどう打ち立てていくか、NPOの存続がかかった最大の課題である。



 論文「自と他への探究から成る運命創造共同体ー関わることから−」

    1)NPOとは?

  NPO(非営利組織)とは、文字通り、利潤を追い求めるのではなく福祉と公共利益を目的とし自ら自発的に動く集団と一般的に解釈されている。開発NGOで現地ボランティアスタッフとして2年間フィリピンに滞在した私にとって、NPOは自と他への果てしなき探求の場と結論付けられる。誰しも自分の生き方を問う上で、周囲の人間との結びつきや社会の在り方というものを無視できない。一人一人が個々の生き方を考え理想を実現化させていく過程は、同時に集団としての人間が進むべき方向を探る過程でもある。少数民族を対象に教育支援を行う私のいる現場では、NPO自体が一つのコミュニティとして家族や学校、職場、地域組合とはまた異なった新しい共同体の場を提供しており、 存在そのものが人々に与える影響も実に大きい。この意味でNPOは、自と他へとことん関わろうとする探求の精神から生まれた"運命創造共同体"と言える。

  しかもこの共同体は、年齢、性別、国籍、社会的地位など問わず誰しもに平等に開かれている。関わる、追求すると決めた時点から万人が参加でき、それぞれの決断と意志と責任でもって自分の能力に応じて始めることの出来るのがNPO活動である。自らより良い方向に進めようとする個々の働きかけが何より重要で、積極性は大前提である。積極性がない、そもそも考えようとしない、触れる機会も持とうとしないのでは創造に結びつかず何も生まれてこない。元々ない所に敢えて生まれたのがNPO、「草の根」とは人の手の届く範囲に収まっていることを示している。失敗して無くなっても大したことは無い。そこから学ぶものさえあれば何度でも作り直せるはず。NPOの強みは失敗を恐れず挑戦できること、NPOは"積極的試みの場"なのだ。   ある特定の目的の下に関わろうと決めた人間が集まったのがNPOであり、ここは"個性のぶつかる場" でもある。考えも能力もそれぞれに異なった者同士がその理想を追い求めるべく対面し、ぶつかり合う中で新しい可能性を共に探っていく。新しい可能性とはものや人が出会うところに生まれる。現に私が一緒に生活をしていた少数民族の子ども達は、我々の活動に出会いこれまでになかった「学校に通い教育を受ける」という選択を選んだことにより、山奥の小さな村で一生を終えるに留まらない人間関係や社会的機会を持ち、慢性的栄養失調と疾病に見舞われ10代半ばで早々に結婚、多くの子どもをもうけるという以外にまた新しい道を選ぶ可能性を手にした。異質なものと触れる事によって開ける可能性と共に、自分が望むものとは何なのか、自らととことん向き合い表現していくことが重要となってくる。異文化間の場合、時に格闘とも思しき程苦しみを伴う作業となるが、自らのアイデンティティの追求とその表現に乏しい者は、運命創造の点で完全に退いてしまうばかりか、それぞれ違う者がぶつかり合うからこそ自と他の本質が浮き彫りにされ思わぬところで他との繋がりも実感しやすい、 現場の醍醐味を味わえなくなる。自分も含めた個性との遭遇は、やはり楽しいものなのである。

  自と他にとことん関わろうと決めてから実際にものをいうのは、その本人の「想像し創造する力」である。人間が自分で見聞きしたり行ったりできる範囲は生涯を通してもごくごく限られており、各人の度量も様々で、どこまで関わることができるのかは人それぞれである。しかし、自分の手足の及ばないところへどれ程思いを廻らせ考えることができ、そして実際に自分の足元から何か事を起こすことができるか、この二つがNPO活動を実のあるものにする上で極めて重要な要因となる。教育の現場に携わっていて、子どもの成長にとって必要なものがまさにこれであると気付く。好奇心旺盛でよく色んなことを知りたがったり、逐一指導しなくても自分でアイディアを出して進めていける子は、同じ環境にあっても知識や体験を自分の中に取り込んでいく量が全然違う。豊かに思考することができ、実際に頭の中のものを形に変えたり表に現わすことができるというのは、そのまま個人の生きていく強さに繋 がるものがある。同じことは集団としてのNPOにも当てはまり、”想像と創造の場”のNPOは人間が生き成長していく過程と密接に関係している。

  これらの観点よりNPOにおいては関わる一人一人が主役であると分かる。周囲に踊らされるのではなく踊る人間になるためのプロセスがある。フィリピンの片田舎の島の山奥で狩猟採取、焼畑を行い生活する少数民族も、”AJINOMOTO-味の素”を使い、怪我や病気をした時は抗生物質を欲しがる。貨幣経済、資本主義、グローバリズムは一方的な力の差を保ちつつ彼等まですっぽり覆っている。主流である低地タガログ人の常識や流行に流されやすい彼等は、返すあてもなく借金をして化学肥料を買い米を作る。そもそも字が読めず薬の性質も用途もよく理解していないのに、あるだけの金で中途半端な量を買い飲む。低地人との間に劣等感を持ち、自分達を蔑まされた人間だと思い込む。踊らされるというのは非常に危険だ。私達人間は意識せずとも世間一般の流れや価値観に大いに支配されている。私自身がまさにそうであった。フィリピンの少数民族の人 々に比べて遥かに多い選択肢に囲まれて自分で好きなように生きているつもりでも、実際はある抑制の中でわずかに残された選択を自分の選択と信じ満足した気分になっているだけで、本当の自分の欲求というものを追求していないために何だか物足りない感が払拭できず、心の底から生きていると感じ得ない。人間が自分の人生を自分で生きていないとはどういうことか?その抑制しているものとは99%自分自身にあることにも気付かずに....。例え抑制の中で生きるにしても、常に意識し最良の選択をしようともがくことが重要である。積極的により良く生きるために一人一人が動くことで全体が動く。その変革の最前線に「関わる」という意志さえあれば誰もが立ち会うことができ、また誰一人として自分の代わりはいず、自分というまさにそのもので勝負せざるを得ない自らが主役という魅力こそ、何にも変え難いNPOの本質である。

  2)NPOの抱える課題

  関わるということは、問題を抱えることでもある。自分の時間や労力、精神や金が注がれ、関わりの深さに応じてその度合いは増し責任 も増えていく。時にこれらは重圧と化し、関わる人間に非常な労を要する。何故そこまでして関わり続けていく必要があるのかと、考えずにはいられないこともある。

  私のいた現場は少数民族の子ども達への奨学金事業を主な活動としているが、毎日のように誰か奨学生が体の不調を訴え、さらに近辺の村からは助けを求めて病人がやってくる。教育支援を掲げているから子どもを学校に通わせることだけ考えていれば良いものではなく、食糧生産すなわち農業技術指導や医療援助も切り離しては考えられない。実際に体調の悪い者に勉強は無理であるし、食べる物も満たされていないで常に腹を空かせ、病気に掛かって訳も分からずなす術もないままの状態で、どうやって自分の理想を追求するなどということが考えられようか。こんな状況でお金や薬など物質的な援助が「焼け石に水」であるのは目に見えているし、第一きりがない。小規模NPOには予算的に到底無理がある。物をあげるだけの援助が一時的なものに過ぎず、根本的には何も変わらないのは明らかで、むしろ知識という生涯に残 るものを提供すべきとの考えから、村を訪れ衛生医療セミナーを始めることにした。

  この試みによって、時間的にも労力の面でも金銭的にも多くのものが費やされ、精神的にも大きな責任を負うことになった。目に見えた成果はなかなか現れず、問題も深刻で無視し得ないものだけに簡単に引く事も出来ない。自分で関わると決めたことであるが、自らを励まし奮い立たせ、ひたすら耐えていくしかない。この関わることによる苦を「犠牲」と思わず、どのように自分で自分を耐えさせていけるか、今のところその基盤になる人々に共通の思想がない、これこそがNPOの最大の問題ではなかろうか。そもそもこの活動は個人の自発性によるものであるから、最初から関わらないとするのも止めるのも人それぞれということになる。だが、本当にそれでいいのだろうか?例えば村で行っているセミナーとて同じ、健康に関心のある人は自主的に参加するが、特に関心のない者は何度呼び掛けてもやってこない。中には相変わらず病気を繰り返し、薬だけもらいに来る人もいる。このような人たちこそ最も参 加すべきである。強制で無く、どのようなインセンティブを彼らに与え、巻き込んでいくか。技術的な問題もさることながら、まず相手を納得させるだけの正論を持っていないことには相手を振り向かせる事は到底出来ない。一番無関心な人たちにこそ、一番伝わってほしい。関係ないと知らん振りをする人と、苦悩を抱きつつも興味を絶やさず耐えていく自らのために、必要なのはなるほどと納得させるだけの思想である。関わる事によって避けられない財政難や人手不足、また個性の集結の場と言えど、そこに集まった人たちがいかに共通の信念なるものを持っているかといった点でまだまだ弱い組織力など課題は山積みだが、今後NPOがどのように盛り上がっていくか、NPOの存続の観点からしても、全ては共通の基盤となる思想を作れるか否かにかかっている。

  3)NPO活動の先に 

  これからますますNPOなど市民の自発的活動の重要性は高まるだろうと言われているが、現代社会において当然の流れかも知れない。経済が最優先し効率性が問われ、機械化、核家族化、都市への集中化などによって家族や地 域社会でさえ顔の離れた存在と化しつつ、一方で「いじめ」にも象徴的な、世間というものの圧力が未だ根強く在る日本において、個々のアイデンティティ形成に危機を感じている人、或いはコミュニティの在り方を疑問視する人は少なく無い。不満を言いつつもただそこに安住するのでは無く、自己と他をもっと深く追求してみようとする人間の、ここは表現の場であり、自己解放と次世代社会への提案の意味も大いに含まれている。

  関わろうとすることから始まって最終的にどうなっていくのか。「何故やるの?」「それでどうなるの?」と質問されて然りと納得させるだけの思想を確立できていないまま、「今」に抵抗し模索しているような状態で、共通認識としてのNPO活動の意義、思想の構築は大きな課題として残っている。ただし、あれこれ考えて足が出ないよりは足を踏み入れてしまってそこからヒントを得ていけばいい。実際関わるということは新しい発見と気付きの連続である。個々の体験が財産となり次へと繋がる。事実から謙虚に学ぼうとする姿勢があれば、このプロセス が運命を創造していくことになるのだ。NPOはそれに携わる個々人が模索する中で、自らもまるで生き物のように成長を遂げるだろう。NPOが積極的試みを行う場として、生き方の模索の場として、自己解放と次世代への提案として、集まった個性を吸収した一つのスポンジのように、それ自身もまた一つのコミュニティとして人間に場を与え情報を与え、関わるという関係において人と共に成長していくであろう。

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佐賀 弘
  《著者》
  佐賀 弘(さが ひろし)
  特定非営利活動法人21世紀協会ボランティアスタッフ
  2003年6月 21世紀協会からインターン生としてフィリピンへ派遣予定

◎論旨

NPOは現代の世の中に必要とされ注目を集める一方、一般の人々にはまだわかりにくい存在でもある。実は、私自身NPOの中身についてほとんど知らなかった。そこで、一般図書・過去の新聞等を検索し、自分なりにまとめてみた。

その上で、フィリピンでの体験を振り返ると、わからないなりにも自分の中でNPOというものがぼんやり浮かんできた。

しかし、NPOについて未だ勉強不足であり、これからのNPOの在り方についてさらに考えていかなければならない。

NPOの展望と課題 ― わたしたちの体験から

NPOとは、Nonprofit Organizationの略で非営利組織という意味である。NGO(Non‐government)が非政府性を強調しているのに対し、NPOは非営利性を強調しているが、この2つはほぼ同義であることから、NPOはさまざまな非営利活動を行う民間の非政府組織であり、利益を関係者に分配することを制度的に禁止された組織ということになる。

 NPOが注目され始めたきっかけの1つは、95年の阪神大震災であると言われている。その際、全国からボランティアが駆けつけ地元NPOを拠点にきめ細かい救援活動を展開した。行政にとっても法令や予算などに縛られる行政のもつ質的な限界が認識されるにつれて、柔軟かつ機動性を持つNPOは行政の新たなパートナーとして期待されるようになった。

 NPOの財源は公的補助に大きく依存している。これは日本に限ったことではなく、どの国のNPOにも少なからず見られることであり、このことが直ちに問題というわけではない。しかし、NPOが公的資金に依存すればするほど政府の下請けになる可能性が高くなる。特に、最近ではNPOに流れ込む公的資金が拡大しているため、NPO側も行政と対等の立場での協働が行えるように注意しなければならない。行政側もNPOについて理解を深め発展しやすい環境をつくることがNPOとの共同の仕組、パートナーシップを確立していくための課題である。  また、企業にとっても、民間公益活動をマーケティングの側面から捉えた場合には、現場をよく知っているNPOは重要なチャンネルになることが期待される。

 NPOが注目されようになった別の大きな要因は、民主主義諸国においても政府の限界が明らかになり、資本主義諸国においても企業の限界が次第に明らかになってきたことがあげられる。  ロシアをはじめとする旧社会主義諸国の中には現在も混乱が残っている国がある。新聞・テレビ等で見る限り、これらの国の国民の生活の質は低下している。中国の打ち出した社会主義市場経済は貧富の格差を拡大させ、アメリカでは民主主義の欠陥と資本主義の欠陥が相乗的に噴出しているように見える。

 これらの国家の在り方は、経済発展の状況等に応じて従来以上に多様になっていくであろう。NPOと慈善事業についても、それを認めない統治機構もあるだろうし、それを必要としない統治機構もあるうる。

 日本のこれからの統治機構および経済システムの中でNPOをどう位置づけするかをもっと考えなければいけない。日本の官僚機構が機能不全に陥っているのは明らかであるにしても、現在の官僚機構を解体すれば良いというものではなく、官僚機構の力を弱めその分の機能を少しずつNPOに移していき、市民のニーズに対応することができる社会を目指すべきであろう。

 さて、現代の社会の仕組は複雑で民主主義の欠陥が顕在化してきている。このような状況で民主主義の欠陥を是正するものとして民間公益活動が期待される。民間公益活動は、過度に行政に依存しない市民参加型の社会を建設することになり、行政機構の肥大化を防ぐ意味があり、少数者のニーズ・特殊なニーズに応えることができる。また、民間公益団体による政策提言・政策研究は、行政とは別の対策を提示することにより、より良い政策を選択する幅を広げることができる。

 民間公益活動には、行政の量的補完のものと質的補完のものがある。行政が念頭に置いているNPOは量的補完のほうであるが、民間公益活動の本来の機能は質的補完にある。これは多元主義、多価値社会の実現を目指すもので、文化のように価値観が人によって異なるもの、あるいは政策研究のように政府に対して対策を提示するような活動は、本来的に行政では行えないものである。その他の分野でも所得水準が向上すれば価値観が多様化してくる。それに対応する民間公益活動が重要になってくる。

 しかし、最近のNPOに対する行政の議論を見ると、日本の「政」と「官」には多元主義、多価値社会を目指す民間公益活動についての理解はまったく乏しい。「政」と「官」に対する以上に市民に対する啓発活動なくしては民間公益活動の発展はありえない。

 民間公益活動は慈善事業として提供される民間の寄付金により依存する部分が少なくないが、これは寄付者にとっては行政とは別の民間公益サービスの提供を寄付者の意思によって促進することを意味する。慈善事業は、多額の寄付を行うことができる裕福な階層の意思で資源配分が行われることになるので、政策が歪められた民主主義に反するという批判がある。日本ではそれほど多額の寄付をできる個人はほとんどいないが、問題は企業である。NPOでも資金確保のために寄付者の意向に沿うように変えていく恐れがある。日本社会では企業の影響力が強すぎると思われる。

 政治の面でも企業寄り過ぎるという問題がある。高度成長期に生産者自体を拡大することに重点を置き企業育成を図ったのは正しい。しかし、現在に至るまで生産者重視を続けていることは、行政が客観的情勢判断を誤っているとしか思えない。もしくは政府資金の拠出先である経済界への配慮が優先しているということかもしれない。

 日本のNPOはまだまだ弱い立場にある。大規模な法人は行政の支配下にあるところが多く民間性に問題があり、民間性・市民性のあるところは財政基盤が極めて弱い。企業に望みたいのはNPOの運営そのものに対する助成である。また企業からNPOに組織経営のノウハウを移転することによりNPOを強化することもできる。

 一方、NPOの陥りがちな罠は独善的になることである。これを避けるために組織や事業を客観的に評価することが必要になってくる。評価は一種の社会現象になっている。企業や自治体は言うに及ばず、国家でさえ評価・格付けされる時代である。NPOの場合はもともと活動を客観的に評価する仕組がない。しかし、NPOは、寄付者、行政、納税者、サービス受益者などのさまざまな利害関係者に対して、活動の正当性、あるいはアカウンタビリティを証明しなければならず、そのために客観的な評価のプロセスが必要なのである。

 評価は、方法や判断基準、評価する主体などによって結果が左右される。重要なのは結果そのものよりもそのプロセスなのである。また、評価のための準備作業は自らを知る良い機会であり、組織力の向上に繋がるはずである。

 NPOの社会的役割の増大につれ、世間の目は厳しくなっており、評価の必要性も確実に高まっている。手法の開発や専門家の育成など、評価の質を高めるための地道な努力が求められる。

 NPOは徐々に確実に社会に浸透してきている。新聞・テレビ等で取り扱われる頻度も高くなってきた。その中で「NPOバブル」という言葉を目にした。ITバブルが弾けた今、高齢者や女性の雇用を生み出すNPOが経済活性化の切り札として注目され、財政難にあえぐ行政からの事業委託が急増している。しかし、NPOの大半は財政を含めて自立しきれていないだけに、場合によっては自治体の安価な下請け組織に成り下がりかねない。例として、財政的に苦しい大阪府池田市とNPOとの協働がある。

 昨年10月、市は児童館の管理運営を地元NPO法人に任せた。結果は、NPOは年間の経費を大幅に節約し、且つ子どもたちを楽しませる新たな企画を打ち出し、来館者数は従来の1.5倍に増えた。

 先に書いたように、今、自治体からNPOへの事業委託が急増していて、今後さらに事業委託を増やすという都道府県は全体の半数以上に上っている。

 政府の産業構造改革・雇用対策本部もNPOを新たな経済主体と位置づけた。そして各省庁もNPO関連予算を大きく増やしている。しかし、こうした現状をNPOを運営している人たちは手放しでは喜べない。その背景には弱い財政基盤がある。昨年10月、国は、国税庁が認定NPO法人と認めた団体に対する寄付金を所得税や法人税の控除対象とする優遇制度を創設した。しかし、認定法人になれたのは全国のNPO法人8千団体のうち、わずか8団体である。こうした中、新しい資金調達の動きとして中間支援組織による寄付集めが行われている。

 NPOは雇用や教育、福祉などの問題を一挙に解決するとしてもてはやされ期待が膨らんでいる。しかし、NPO法人が誕生してから早い団体で4年である。大半は発展途上で資金的にも人的にも基盤は弱い。

 NPOが期待に応えられないとなるとNPOバブルが崩壊しかねない。NPOが行政から事業委託される場合はそれぞれに合った事業を選ぶことが大切である。行政も事業成果にばかり気をとられず、NPOを長期的に育てていく視点が欠かせない。

 今後、NPOの組織運営が効率的に行われ、情報公開、評価制度を充実させることにより、資金面・人材面での不安をなくすことができるだろうか。

 そして、行政、企業、NPOがそれぞれ対等な立場で協働することが望まれる。

 実は、私は最近までNPOという言葉を知らなかった。しかし、先日(NPO)21世紀協会のインターン候補生としてフィリピン・ミンドロ島を訪れることができた。21世紀協会は、"教育が、国の発展の基礎となる。"との信念のもとに、教育および農業指導などを通して現地の少数民族を支援している。

実際、1週間ほどの滞在で見えてくるのは子どもたちの笑顔ばかりで、先に書いたような細かい部分は見えてこないが、水道もなく電気も不定期で厳しい環境の現地では、資金や人材の問題はもちろん、さまざまな厳しい問題を抱えている。

国内のNPO活動とはまた異なり、国際協力の現場では対話というものが重要になってくる。日本人スタッフ、現地スタッフ、現地住民それぞれ価値観のまったく異なる人間が対話を通して相互理解し、その上で計画立案し実行していかなければならない。ここで言う相互理解とは互いの違いを見極めるという意味でもある。そして、やはり自己評価し、また国際社会にアピールし評価されることが大切である。

私は、今後現地での活動を通してNPOという言葉を自らの力で理解し、国際協力に対する自分の考えをまとめていくつもりである。

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瀧村沙織
  《著者》
  瀧村 沙織    たきむら さおり
  特定非営利活動法人21世紀協会ボランティアスタッフ
  2003年6月 21世紀協会からインターン生としてフィリピンへ派遣予定

論文論旨

「NPOの展望と課題―わたしたちの体験から」というタイトルでしたが、私は国際協力に携るNGOに大変興味を抱いています。議論の対象はNPOではなく、NGOで展開しています。しかし、今までNGOで直接的には活動を行なった事がありません。そのため、フィリピンにおける、農業農村開発に携るNGOの活動の現場を見た上で、今後のNGOがどのような展望をいだくことができるのかを描きました。また、私自身による学位論文の際に行なったフィリピンのスラムでのフィールドワークによって、現場を認識する際に感じた課題をもとに、NGOが克服すべき課題を考察しました。




NPOの展望と課題―私たちの体験から

<農村部都市部から考察されるNGOについて>

初めて都市スラムを目の当たりにした大学の3回生の時であった。NGOのスタディツアーでフィリピンの都市スラム見学というプログラムがあり、線路沿いのスラムを歩いたり、家を見せてもらったり、また数人のスラム住民と話をする事ができた。大きな衝撃を受けた。スラムには、喧騒、混沌、悪臭、不衛生、犯罪、そして大量の人々が存在している。スラム見学で一番強く感じた事は、下水道からあるれ出るものによる汚臭に対する嫌悪感でもなく、リュックを奪おうとするスラム住民らしき者への恐怖感でもなかった。それは「どうして彼らはスラムに住んでいるんだろう?なぜ、スラムができるのか?」という疑問であった。

トタンで作った小さな家々が密集した地区には、大量の人々がいた。老若男女を問わず、トランプを楽しむ者、ビリヤードをプレイする者、和気藹々とバスケットバスケットボールをする者、わんさとある洗濯物を懸命に洗っている女性達、伸びやかな歌声を披露するかのように中間たちとカラオケをする若者達、世間話でもしているのか輪になって話し込んでいる男性達、その他にもたくさんの人々がこの地区にいた。この風景を見て、多くの人が昼間から家や家の周辺で戯れているのは単に彼らが「働いていないから」という理由ではないと感じた。彼らがスラムというコミュニティを築く要因、背景、歴史、事情というものが複雑に絡み合った結果、都市にスラムというものができたのではないかと思った。私にはその要因など全くわからなかった。そこで、ここで抱いた疑問に答えようと、スラムの形成要因と過程と構造を探ることとになった。

疑問を抱いて約一年後、再びフィリピンへに渡った。一年間の間、何が要因か漠然とつかめてきた。要因の一つとして考えられるのが、フィリピンにおける不平等な土地の所有構造であることがあげられる。フィリピンでは戦後数回に渡り土地問題を解決するために、農地改革が行われてきた。しかし、地域や対象となった作物、地主小作人関係のケースの違いにより、農地改革の結果は効を奏でた所もあったようだが、包括的に判断して、成功と胸を張って歌い上げることができる成果を残してはいない。特に農村部における土地問題は、農民にとって貧困に至らしめる原因となる。小作人は永久に地主に搾取される構造から抜け出し、都市部へ就業の機会を見つけに移動をする。しかし、低学歴の農民らにとって都市部のフォーマルセクターへの就職は参入障壁が高い。その結果、インフォーマルセクターへと流れて行き、最終的にはスラムに居住をかまえることとなる。以上が漠然と掴めたスラム形成の構造である。それらを確認するために、フィリピンに訪れたのである。

まず、現地NGOに協力してもらい、ケソン州の農村に訪問した。このNGOは、農村部において農業農村開発に携わっている。ケソン州は、フィリピンのなかでもココナッツの生産高が上位のランクに入る。私の訪問した農村もココナッツの栽培を行なっているココナッツの村であった。正確に言うと、ココナッツの裁培だけ、つまりココナッツに依存したモノカルチャーを行なっている村であった。

1987年のアキノ政権による包括的農地改革によって、今までは農地改革の対象が米とトウモロコシの作付け地だけであったのが、輸出用作物(ココナッツ等)にも対象が拡張された。しかし、この政策がつくられても、訪問先の農村の事情は全く変化はなく、依然として土地は地主が保有したままであり、農民の生活は依然として苦しいものであった。包括的農地改革により、小作人らはCLOA(土地地主証明書)という、証明書を貰った。しかし、十分な教育を受けていない彼らは、今まで土地の管理をしたこと経験もなく、土地を運用するための技術や知識や資本があるなずがない。それにつけこんだ地主が、「土地を使わないのならば返せ」と言ってきて、結局土地は地主の手元に帰ってしまったのである。この村でも、こういった土地の所有問題から発生する慢性的な貧困により、都市部へと人口移動がおこった。 NGOはこの村を支援することになり、農業農村開発のプロジェクトを行なう事になったのである。プロジェクトには、家畜の飼育、芋やトウモロコシの裁培、ココナッツを利用した工芸品やお菓子の指導やと小学校の設立と教育指導などがある。

土地がない、資本がない、十分な教育がない、生計方法はココナッツのみであり、また不平等な土地の構造問題の歴史的政治的背景をかかえていたこの村は、膠着状態であった。しかし、NGOの支援により、今までココナッツに依存したモノカルチャーであった農村が、家畜の飼育や他の農産物を裁培する技術を習得する事によって、農民等は生活の手段の幅を拡大することができたのである。農民等は役所にいって、支援を願い出る事もあるそうである。しかし、役所側は支援の約束をするにはするようだが、その約束の日程が過ぎても実行されず再度、農民が催促に行くと、また新たな日程を言い渡される、ということの繰り返しだそうである。結局、その約束が実を結ぶ事はないのである。包括的農地改革のような政府側による政策や口約束の支援は、農村にどのような影響をもたらしたのだろうか?最終的に、これらは農民に期待だけを持たせ、逆に負担が大きくなったのではないだろうか。役所に約束の確認や支援を申請したり催促に行くのに、交通費がかかる。結局は実行されない約束のだから、意味のない交通費は低収入の彼らにとってとても大きな負担になる。 したがって、政府側の農村における支援は非常に限界があり、制約的なものとなる。農村といっても、各々の農村には全く異なる構造を有している。農地改革の所でも少し触れたが、歴史や伝統や文化や民族や風土によって全く農村の性質が異なっている。そういった状況が異なっている農村に、政府が画一的な政策や支援を実施しようとしても、上手くいかないのは当然の事である。こういった側面から考えると、NGOは支援を行なう地域の構造に適応したプログラムを作成、実施できる。しかし、NGOにも限界がある。NGOは政府のように、支援を広く普及させる事が困難である。

政府にもNGOにも、それぞれ良い面と限界がある。一方的にどちらがよくて、どちらが悪いとは判断できるものではない。政府による支援は全国に広く行き渡る事ができ、NGOによるの支援は地域に根差したニーズに適応した支援になる。また、限界としては、政府による支援はどうしても画一的なものになってしまう。それは、ある意味仕方のない事である。政策立案者が全国の隅々まで綿密な調査を行なう事は不可能である。NGOの限界としては、支援する地域が限定されその支援拡大をすることが規模や資本など考慮すると非常に時間がかかる。ここで、解決策として提案できるのが政府とNGOの融合した取り組みである。政策を立案する際に、各地域で活動しているNGO団体の情報を取入れ、政策をつくり、実行するのである。各地域による多様な支援プログラムを政策立案段階で、NGOが情報を提供し、実施段階では政府が行なう。必要とされる事はそれぞれ異なっているのだから、支援内容の異なったものになる。

訪問先の農村について考察してみよう。政府の面から見ると、包括的農地改革という、政策の波の影響は訪れた。しかし、最終的にはこの政策によって土地の所有問題を解決する事はできていない。NGOの面から見ると、解決されていない土地問題や残存する貧困を改善するため、農村に根差した支援が行なわれいる。しかし、活動範囲は非常に小さく限られている。村が違うという事で、たとえ家が隣接していてもその家の人は支援の対象には入らないのである。ここで、政府とNGOの融合した取り組みが行なわれるならば、どういう結果が想像されるのだろうか。この農村で必要とされる事や歴史的構造を考慮に入れた支援をNGOの経験から獲得した情報を駆使し、それを包括的農地改革という政策として、全国に広く流布することが可能である。それ故に、政策の意図が予想外の展開や結果になる事を妨げる事ができるし、支援の範囲を限定せず、広範囲に渡り広める事ができる。このように、政府とNGOが一体となった取り組みによって、新しい可能性がみえてくる。

そのためには、課題が出てくる。ニーズ、状況、歴史等から生れてきた現場の構造を正確に認識しなければならない。私は学位論文執筆のためのフィールドワークを行ない、現場を認識するにあたり、大きな困難にぶつかった。論文のテーマは「フィリピンにおけるスラムについて」であった。執筆にあたり、フィリピンのスラムでアンケートと聞き取り調査を行なった。しかし、そのアンケートと聞き取り調査は、かなり公平性と信憑性のないものになった。というのも、私自身、フィールドワークにおける時間とお金と能力(語学や開発に関する知識等)に関して、かなりの制約があった。その結果、アンケートの集計数も少なく、アンケート対象者も一部の地域に偏りがちとなった。そういった、公平性や信頼性のないフィールドワークであったということは、頭の中ではわかってはいたのだが、つい、自分が見たもの、聞いたもの、感じたものにだけ集中してしまいがちとなってしまった。偏見に満ちたアンケート調査をもとにして、私は学位論文の中で、スラムにおける議論を展開したので、結果としてこの議論には間違いが多い。スラムにおける職種の統計などはないので、正確にはどの職種の人口が一番多いのかはわからない。例えば、私が行なったアンケート対象地区では家族構成員の職業は行商人が一番多かった。しかし、他の研究者によるスラムの同じアンケート項目の結果によれば、廃品回収人が一番多かった。つまり、地区によって職種に偏りがある事を意味している。しかし、私は、アンケート結果が行商人であったことと、そして、街の中に行商人が多く存在しているという自分の経験による視察から、スラム住民は行商人が一番多いのかもしれない、という認識をし、そのような方向で議論を進めてしまった所がある。しかし、もちろん、私が見てきたものも事実の一つである。だが、それは全てでない。ある一つの側面だけの観点による調査では、それは真実を語りきれない。真実の一部はある時は歪んだものと変化さえしてしまう時もある。全ての側面を総合して、真実は見えてくるのである。

NGOの課題もこの点にあると考える。現場で活動するNGOは、観測できる側面は広範囲に渡る。しかし、全ての側面を把握する事はできないであろう。全てなど、現地人でさえ認識できないかもしれない。全てを認識できないのならば、時間をかけて、不足している側面を徐々に把握していくべきである。一つ一つの現場の側面の集合が事実を語るのである。そして、認識できない部分が存在するということを認識できるようになる事も必要である。また、現場の要求や状況の誤った解釈を是正する事も重要である。事実は一つだけでも、解釈の仕方は人によって様々である。解釈の尺度を現場の状況とNGO側で一致させなければならない。正確な認識が、必要とされている支援へとつながり、間違っている認識は、必要とされない、あるいはある特定の人にだけ必要とされる支援となる。

私のフィールドワークに資金、時間、能力等の制約があり、信頼性のある議論に展開できなかった様に、現在のNGOの活動にも制約がある故に、現場における理解を深める事にも限界が生じる。NGOの制約とは資金や人材育成等、NGOの運営にあたっての足場がまだ十分にととのっていないことである。NGOが新しい社会に向かって将来を描くためには、これらは解決されるべき前提条件ともいえる。こういった問題が解決され、足場がととのわないかぎり、NGOの活動は制約されたものとなり、私のフィールドワークのように、一側面のみの考察で全体像を語り、歪んだ結末に至る可能性をはらむ事となる。そういったことにならないためにも、事実の歪んだ解釈を導かないためにも、制約は取り払われるべきである。

つまり、NGOが抱く課題は二つあると考える。一つ目が現場の把握を偏った見方をしないで、全体像を掴んだうえで、現場の認識をする事。二つ目は、一つ目の活動が十分にできるように、現在のNGOに課されている制約を解決し、NGOの足場をととのえることである。

私は、NGOの活動にはまだ間接的にしか関わっていない。しかし、この論文で描いた展望を将来実現させるよう、また存在する課題を克服できるよう、今後NGOの一員として取り組んでいきたい。

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渡邉 隆之
  《著者》
  渡邉 隆之 (わたなべ たかゆき)
  特定非営利活動法人21世紀協会ボランティアスタッフ
  2003年6月 21世紀協会からインターン生としてフィリピンへ派遣予定

概要

昨年秋のことである。海外のある地域へ冬物衣料を送ろうというNPO主催の企画を新聞で知り、私は早速ボランティアスタッフとして参加した。

冬物衣料は大量に集まった。その一方で、現地の人たちと私たちとの間で、報道に簡単に影響されて冬物衣料という「もの」に追われるあまり、その先にいる「ひと」まで思いが至らなかったのではという疑問が残った。 またつい先日、奨学金事業を核とした様々なプロジェクトを海外で展開しているNPOを訪問させていただいた。自分との違いを知る出会いが、自分に新しい視野を与えてくれる。教育という地道で評価の難しい分野での活動が、長い年月を経て成果をあげたとき、大きな力となることを感じた。 私たちは活動を考えるときに、相手のことを考えるより自分の望む成果や反応ばかりを期待してはいないだろうか。どのような活動であれ、常に自分が誰かと関わりを意識し続けることが重要である。ものや技術を提供する場合でも、その向こうに人がいることを忘れてはならない。

NPOの展望と課題―わたしたちの体験から

日本での活動と考えたこと

 昨年秋のことである。海外のある地域へ冬物衣料を送ろうというNPO主催の企画を新聞で知った。ボランティアスタッフを募集しており、かねてよりこのような活動に興味を抱いていたので、早速ボランティアスタッフとして参加した。

9月11日のあの事件の直後ということもあって、時期的に話題性に富む事業だった。私が参加したときは1日だけの実施だった。にもかかわらず、会場には膨大な衣料が集められた。2トントラックで数台分にのぼり、予定していた保管場所へ納まりきれなくなったほどである。大勢の方が会場に集まり、提供してくださった衣料の整理が追いつかなくなった。

現地の習慣の違いから、受け取れない衣料もあった。しかし提供された衣料があまりにも多く、これらを会場で分類することは非常に困難をきわめた。受け取ることのできない衣料を持ってきた方に事情を説明し持ち帰っていただこうとしたところ、「せっかく持ってきたのに」と怒られてしまう場面もあった。現地の人が実際に使うものを提供していただきたかったが、「捨てるよりはまし」と、不要品をとにかく持ってきた方も少なくはなかった。このような方々への説明は非常に難しかった。大量の衣料に囲まれて悪戦苦闘している私たちを見るに見かねて、たまたまとおりがかった方が名前も告げずに衣料の仕分けを手伝ってくださったりして、とても励まされた。

活動は当日では終わらなかった。その後数ヶ月をかけて衣料の梱包と発送を行わなければならなかった。新聞等報道の効果もあって、衣料の提供を募った日には数十人のボランティアが集まった。一方、その後の梱包作業には一日に数人しか集まらず、作業の効率が低下した。発送できない衣料が多数混ざっていることも判明し、引き取り手のないものは廃棄せざるを得なかった。廃棄するための費用も発生した。

作業の合間をぬって、主催したNPOの方と何度か話をしてみた。多くの方々の厚意によって大量に集められ、残念ながらそのまま廃棄処分されてしまった衣料もある中で、それでもどうにか現地へ向けて送り出された衣料の行方と、最終的に受け取る人の実態を知りたかった。

私はこの活動を通して、遠く離れた土地にいて困難に直面している人と、微力ながら何か心を通わせることができないかと考えたから、この企画に志願した。主催したNPOの方の答えは次のような趣旨だった。「現地からは感謝の声が届いている。現地までの輸送と提供は、信頼できる現地の団体が取り仕切ってくださっている」。

正直言って落胆した。物足りなさが残った。活動の成果と課題を、衣料を提供してくださった方々やボランティアスタッフとして参加した方々にどのような形で報告するのか、非常に気になった。冬物衣料に関してその後の報道はなく、かねてより不定期だった梱包作業の日程に関して連絡もなく、連絡先を交換したボランティアスタッフ同士の連絡も途絶えてしまった。テレビや新聞のニュースでは、その地域の状況がいまだ変わっていないと伝えられているにもかかわらず。

何かをしたいという思いが動機にあったことは否定しない。しかしながら、現地の人たちと私たちとの間で、何を交わすことができただろうか。本当に欲しいもの、本当にして欲しいことなど、現地の声を何か聞くことはできなかっただろうか。報道に簡単に影響されて冬物衣料という「もの」に追われるあまり、その先にいる「ひと」まで思いがいたらなかったのではなかっただろうか。NPOの一員として、私たち一人一人がもっと継続的に活動できる環境が欲しいと実感した。相手の顔の見えない、スタッフ間の考えのわからない状況下での活動に、あやうさと恐ろしさを考えさせられた。

海外で見た例と考えたこと―――教育を視点として―――

 つい先日、奨学金事業を核とした様々なプロジェクトを海外で展開しているNPOを訪問させていただいた。同じ敷地内で共に生活し対話を積み重ねながら、支援をする側と支援を受ける側いずれも問題意識を持ち続けることの重要さを常に説いている。奨学生は10代前半の少年少女が中心で、現地スタッフは親や兄、姉のように慕われ、信頼されている。現地の要望に単に応じるだけでなく、支援する側のごり押しも見られない。

 NPOの活動として考えた場合に限らず、教育とは非常に評価が難しいものである。私は社会教育施設に勤務していて、教育の現場にかかわりを持って生活している。昨今は知識の詰め込み型の見直しから、体験を重視した教育プログラムが脚光を浴びている。私の勤務先には、数多くの学校や少年団体が訪れ、野外活動を体験してゆく。言うまでもなく、わずかな体験で子どもが劇的に成長するものではない。子どもの学びや成長という教育の成果は、単純にはかれるものではない。日常の中で繰り広げられる生活体験の蓄積、家族や社会という人との関わりの中で、徐々にかたちづくられていくものである。

 その一方で、私たちの身の回りでは次々と便利なものが現れた。日常においては望むものを性急かつ貪欲に求める生活環境に慣れきってしまった。私たちは自分でも気がつかないまま、行動を起こすとすぐ目に見える成果を求めがちである。そしてその傾向は、いまだ進行しているように思われる。NPO活動に私たちが取り組もうとするとき、このような日常で築き上げられた自分の生活が自分の考えや行動の基盤となる。

私が訪問した海外で活動しているNPOの現地事務所には水道がない。手こぎ式の井戸ポンプで水を汲み、炊事や水浴び、トイレまで井戸水を使っていた。洗濯は手洗い、電気はあっても冷蔵庫がないため食事は可能な限り食べきれる分量を作るように心がけていた。このような生活は特に珍しくもないし、他の国やあるいは日本でも行っている人がいるかもしれない。状況次第では、私も日本でこのような生活を送るかもしれない。それでも私にとっては新鮮な光景だった。このような暮らし方がごく普通で日常のもので、現地事務所の近隣でも同じように行われていた。私が日本で暮らしている場合と比べて、活動するリズムやペースも違っていた。このように自分と比べて明らかに違う生活を送る人たちのことを身近なものとして考える機会は、これまでなかった。

自分とは違う日常を送っている人がいる。自分とは違う「普通」を持っている人がいる。このような違いを知る出会いが、自分に新しい視野を与えてくれる。このような出会いは、テレビやインターネットでも体験できるだろうが、これらは情報の仲立ちをしているに過ぎない。興味が生まれれば関心を向け、飽きたらすぐに離れることができる。だが直に対面すると、状況は違ってくる。活動を終えた後のことも、活動している最中のことよりも真剣に考えなければならない。支援団体が現地で活動している間は一定の成果を上げたものの、支援が終わると状況が逆戻りしてしまう例は多い。活動の先のこと、継続性や継承性という視点を意識して活動を考えていかないと、支援を受ける側に混乱や禍根を与えかねない。

 そのNPOが立ち上がった当時から所属していた奨学生がいる。10年近くが経過した現在、現地スタッフとして活躍している。私たちがNPO活動を行う際、特に人に直接関わる活動の場合、その人の生涯にわたって関わりを持つことはできない。関わりを持てるのは、ごく短い期間に限られる。このことを考えたとき、活動のあり方が見えてくるのではないだろうか。

これからの課題―――人間との遭遇―――

 どのような活動であれ、活動の舞台がどこであれ、常に自分が誰かと関わっていることを意識し続けることが重要である。ものや技術を提供する場合でも、その向こうに人がいることを忘れてはならない。

私たちは日常で、直接人と関わる場合と、媒体を通して人と関わる場合がある。様々な機器が身の回りにあふれるあまり、その道具にばかり関心が向き、人との関わりに対して実感が薄れてはいないだろうか。道具の向こうでは誰かが待っているのに、相手のことを考えず、自分の望む成果や反応ばかりを期待してはいないだろうか。

さらに、今の自分が活動していること、今の自分が問題にしていることを、強くアピールしていかなければならない。現在、国内で認定されたNPOが8000を超えたという。実際の数はさらに多いであろうし、認定されるNPOも今後増加するであろう。果たして、この8000のNPOの中で、私たちはどれくらいのNPOの名前と活動内容を知っているだろうか。不勉強なために知らないこともあるだろうが、活動内容の紹介に消極的な面もあるのではないだろうか。

「このような活動を、このような理由で、このように行っている」と、社会にはっきり伝えていかないと、社会と団体との間に意識のずれを生じ、正しく理解してもらえない恐れがある。活動には、周囲の理解と関心が欠かせない。理解を示す人示さない人、両方との出会いがある。それでも、地道に自分たちの姿をアピールしなければならない。 あくまでも、人間関係あっての活動である。 人と人との関わりではなく、人とその人が思い描いた幻影とやり取りをする「活動の振り」になってしまってはならない。

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