21CA

インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

継続は力なり


丸8年の悪戦苦闘

 21世紀協会が活動を開始して8年の歳月が流れました。10人の奨学生から始めた奨学金援助ですが、奨学生の数も増え、奨学生の出身村を中心に周辺の整備事業も加わり、農業指導を開始しました。その間、慣れない環境に置かれた奨学生の落伍が相次いだり、農業指導の成果がなかなか上がらなかったり、事業の現地側パートナーであったMICとのトラブルなど、さまざまな問題がありました。そうした問題を一つ一つ解決していく中で、21世紀協会の援助の方針がさらに明確となり、経験を積むことで、多くのものが見えてくるようになってきました。

シプヨ村の場合

 たとえば、95年にシプヨ村で農業指導を開始して間もなく、壁に突き当たったことがあります。われわれは、農業指導の対象を最低でも小学生程度の知識のある人々と、何の根拠もなしに設定していました。が、ここの人々は、文字が読み書きできないことはもとより、学校のなんたるかさえも知りません。作物を植えたらまめに水をやらなければならないと言っても、誰も納得しない。土を耕さないと作物の成長に響くと言っても何の話だろう、という顔をしている。カラバオの乳を飲めば栄養の補給になると言っても、それではカラバオの赤ちゃんの飲む分がなくなる、かわいそうだ、と言います。いくらカラバオには余るくらい乳が出ると言っても聞かないのです。乾燥地でも栽培でき、栄養もあって、成長の速い野菜を作っても、そんなもの食べたらたたりがあるの一点張り。農業指導員は何度も頭を抱えました。

 しかし、指導員のジェフリーはくじけることなく、人々と生活をともにし、同じものを食べ、同じような粗末な小屋に住み、毎朝暗いうちに起きて植物に水をやり、野菜を育て、それを食べて見せました。時間をかけて、人々の生活の一部となり、人々の信頼を勝ち取ることで、やっと私たちのすすめることは信用していいのだという認識が浸透していきました。

そこにいること

 少しずつ、マンニャンの人々は、私たちに素顔を見せ、本音を語るようになりました。そして、私たちも少しずつマンニャンの人々の習慣やものの考え方がわかるようになりました。どういう提案が受け入れられるか、あるいは、人々の要求のうち、何を真剣に検討し、何を保留にしてしばらく様子を見るべきかがわかってきました。人々も、私たちの考え方を漠然とながら、受容してくれるようになりました。

 こうした中、地域に根付いた援助を目指し、現地に居住し、人々の見えるところに居続けることの大切さを改めて認識しました。特別に何をするわけでもないが、「そこにいる」ことの意味が私たちにもわかりはじめました。私たちの存在が日常の風景にとけ込むことが、とくに、マンニャン族のように閉鎖的社会に生き、外部との接触を嫌う人々の中で事業を進める場合、肝要となります。それに、どんな困難にあっても、事業を続ける、その姿から私たちの決心の強さが自然に伝わるようです。目に見える成果が上がらなくてもひたすらにそこに居続け、事業を継続し続けること、その継続の力が意外に大きな成果を生むことを学びました。


(池田 晶子)
《サンサーラ》19号 1998.6.20初掲


前へ前へ 次へ次へ
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ contact us
21世紀協会ホームへ 《サンサーラ》目次へ ご意見、ご感想、資料請求



(c) 21st Century Association 1998