インターネット版 《サンサーラ》

SamSara



マンニャンの女性


出産回数

 マンニャンの女性は一生のうち一体どれぐらい子供を産むのだろう。ふとそんなことが気になって、シプヨ村で機会あるごとに既婚女性に質問してみた。

 「今まで何回出産したの?で、今子供は何人?」 8人。10人。12人。ある程度は予想していたものの、その数を聞いてさすがに驚いた。出産回数に驚いたのではない。出産回数の10回やそこらなら、マンニャン族以外のフィリピン人の間でもよく聞く話だし、日本でもちょっと前まではそんなものだったと聞いている。驚いたのは出産回数ではなく、今何人子供がいるかを聞いたときだ。ほとんどが、「2人、または3人」という回答なのだ。10数回の出産に対してである。ということは乳幼児死亡率が優に50%を超えていることになる。それどころではない。80%以上?!たしか、日本の乳児死亡率は1000人に4人、つまり0.4%程度、フィリピン全体でも3%程度だったと記憶している。

 一方、村には一人しか子を産まない女性も多い。一人しかこどもが生き残っていない、という意味ではなく一人しか生んでいない事例がかなりあるというのだ。なるほど調べてみると長子を生んだ後、一度も妊娠しない女性が意外といる。私は医者でないのではっきりしたことはわからないが、どうやら出産後の感染症が原因のようだ。

 いきなりこんな話をするのも、自然の中で自然とともに生きるマンニャンの女性にとって生涯の大半が、出産と子育てに費やされ、子供ばかりでなく、母体もそれによってしばしば命を落としている、という現実を知って欲しかったからである。

マンニャン社会と結婚

マンニャンの女性

 マンニャン社会では12、3歳ともなると女性は結婚適齢期ということになる。もちろん見た目は子供なのだが、着ているものが変わるのですぐ見分けがつく。今まで裸同然だったのが、ヤキスという籐製のブラとスカートを身にまとうようになるからである。男性はふんどし一丁である。首には男女とも古いコインやビーズでつくったネックレスが垂れ下がっているし、手首には香りのいい雑草が巻かれていたりする。異性の関心を引くためだと思われるが、実際には父親が娘の相手を決めることが多い。多くの場合、父親が探してきた婿候補と結婚することになる。マンニャンの社会では、男性が女性の家に入るのが普通である。婿候補はしばらく舅に認められるために、一緒に野良仕事をしたり食べ物を探したりして励まなければならない。その後、晴れて結婚ということになる。

 民主的でない、と思われるかもしれないが、少なくとも結婚相手を選ぶ、ということに関する限り、男女の不平等はない。娘の父親が決定権をもっているからである。しかし、実際には、自由恋愛もかなり多いようだ。年長者が結婚相手の決定権を持つのは、親族間の婚姻が深刻なタブーとなっているからかもしれない。いとこ、はとこはもちろん、少しでも血縁関係をもっている可能性があると、(あるいはうわさだけでも)結婚は認められないからである。そしてその判断を若い世代ができるはずがないからだというのだ。日本ではいとこ同士は結婚していいことになっていると話したら、ぞっとした顔で私の顔を見る。いとこ同士の結婚はフィリピン全体でもタブーだ。

男女の役割

 マンニャン社会は比較的男女平等の社会であるといえる。簡単な焼き畑をはじめ、狩猟採取を生業にしており、農耕文化が発達していないことが、男女間の性差と職能の結び付けを進めなかった理由になっているのかもしれない。子育ては女性が中心だが、畑仕事から料理まで、「これは男の仕事、これは女」というのはあまり見あたらない。むしろ仲むつまじくどこへいくのも夫婦一緒、家族一緒である。(不在中の浮気を恐れている、という話を村人から聞いたことがあるが。) しかし、村の一大事を決める会議はやはり男性中心のようだ。といっても、これも「狩りは男、魚とりは女性(体力の違い?)」という程度のもので、これといった理由はなさそうだ。赤ちゃんにお乳を与えていて出席できないのかもしれない。しかし、女性が乳飲み子を胸に抱えながら話を聞いていることもあり、なかには子供が大人顔負けの発言をすることもある。要は会議の内容に関心があり、話好きならだれでも参加できるようだ。また、会議の進め方はとても民主的だ。成人男性(あるいは話好き)が全員集まり、結論がでるまでとにかく話し合う。夜を徹して明け方まで話し合いが続くことも希ではない。遠くから、彼らが大声を張り上げながら主張しあっているのが聞こえてくることもある。しかしそれでいて、決して暴力沙汰には発展しない。フィリピンの血なまぐさい政治を思うにつけ感心してしまう。

変化する社会

 どんな社会も変化を避けるわけにはいかない。日本もしかり。フィリピンもしかり。そしてマンニャン社会もである。それは伝統を捨てるという意味では決してなく、「らしさ」を放棄することでもない。むしろ足りないものを補い、長所を伸ばすことだろう。マンニャン族はとても頑固だとよく言われる。スペイン人やフィリピン人の文化を受け入れず、同化することを嫌って山へ山へと生活圏を変えていった。しかしそれは一面、平和を愛し、闘争を嫌うがゆえでもあった。 現代のマンニャン族の本当の敵は外来者や植民者ではない。凄まじい自然破壊と社会からの孤立である。そして未来を実りあるものにするために、変化を受容しなければならない。 この村に長く駐在するスタッフによれば「女性や子供の方がはるかに働き者で頭も柔軟」、ということだ。変化の立て役者は女性、そして子供であるに違いない。

ヒロ、シプヨ村にて 1999.2



21世紀協会ホームへ マンニャン族豆知識へ
21世紀協会ホームへ マンニャン族豆知識へ




(c) 21st Century Association 1999