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インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

ジャンケンポイ


お手玉を披露する川嶌寛之 顔の見える援助

 以前、講演の席で、「こういう援助だけはしてほしくないという援助があったらおしえてくれ」と質問されたことがあります。わたしの答えは、「顔の見えない、お金だけの援助だけはしないでほしい。」というものでした。

 日本はODA世界一になりましたが、なぜか日本は世界のきらわれもののままです。理由は、派手な商戦の展開や戦争責任だけではなさそうです。よく言われるように、日本はお金を出すが人は出さないというあたりに理由があるようす。

 暖かい心では飯は食えない、民間交流の意味しかもたないような技術のない人間を現地こ送っても無駄だ、お金があってこそ開発を推進できるのだ、という声を聞きます。たしかに、飢えた人に「あたたかいこころ」を送っても冥土のみやげにしかなりません。それよりも、税金控除目的の寄附でも、そのお金で食糧を送ってあげれば、その人は死なずにすむでしょう。しかし、このようなことを言う人たちは、大事な点を見落としてはいないでしょうか。

自然淘汰か

 われわれの奨学生を例にとりましょう。奨学金が送金されて来るのはもちろんうれしいことです。子どもたちは貧しいだけこ、お金のありがたみをよく知っています。でも、お金はしょせんお金に過ぎないのです。里親の手紙が届いたり、日本のスタッフが山を越えてはるばるやってきたりして、お金を送ってきた人の「顔」が見えたとき、はじめて本当の意味での感謝がわき、その感謝の心が原動力となってますます勉学に励むことになります。送られてきたお金はただのお金ではなく、その人が自分のことを気に懸けていてくれる、その気持ちの証なのだ、ということがわかったとき、子どもたちは感動し、その感動が日々の力となり、また、お金を送った側も、相手がこんなにもがんばっていることに感動し、自分もがんばらなくては、と思うのです。

カラミンタオの小学校前で

 ところで、こういう質問もよく受けます。「今や地辣は人間であふれている、飢えや戦争、エイズなどは、人口爆発発で自滅しないためのある種の自然淘汰ではないか、それならば、この自然に逆らって飢えた人を救ったりせず、自然体で行った方がいいのではないか」、と言うのですが、これは考えすぎと言わぎるをえません。答えになっているかどうかはわかりませんが、わたしの答えはこうです。「では、もし、あなたの家族や愛する人たちがその自然淘汰のリストに載っていたら、それでもあなたは自然体などと言ってられますか」と。おそらく、われわれのほとんどは、愛する者を自然淘汰のリストからはずしてもらうために奔走するでしょう。

平和への近道

 一度も里子の顔を見たことのない会員の方でも手紙のやりとりや写真、年次報告を見ているうちになんとなく自分の子供のように思えてきて、少しずつ思い入れが深くなるようです。フィリピンのどこそこで台風の被害があったというニュースを聞くと地図を広げてみて里子のいるところではないと安心してみたり、家族と食事をしながら、里子も毎日食事ができているのだろうかと心配してみたりするようになります。

 里子の方でも同じです。ニュースで日本に地震があったと聞くと、里親はだいじょうぷだろうかと心配したり、毎日のお祈りで里親のことをお守りくださいと神様にお願いしたりします。こういう関係の里子のいる人は、里子の国に銃を向けようなどとは決して考えないでしょう。里子もまた、日本人はだたのエコノミックアニマルでフィリピンを食い物にしているだけと単純に考えたりはしないでしょう。そして、「自然淘汰」などとは言わないでしょう。これこそが、顔の見える援助なのです。何億ものお金による援助も、この会員の2万円にはおよばないのです。この「顔の見える援助」、実は、戦争のない世界への一番近い道ではないでしょうか。

 先にフィリピンを訪問したとき、子どもたちがわたしに、フィリピンではこうやってものごとを決めるのだよ、と「JAN・KEN・P0I」を教えてくれました。「え!それは日本のものだよ」とわたし。「うそ〜。」と子どもたちみんなで大笑い。そういえば、フィリピンでは蚊取線香は「KATORU」だっけ。おてだまだってある。金持ちの道楽でも、自己満足でも、押し付けでもなく、このジャンケンボンのように自然な形で受け入れられるような援助をわたしたちはめざしたいと考えます。

(池田晶子)

《サンサーラ》 10号 1994.11.1初掲



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