SamSara ミンドロ体験記 -hisashi-

顔で話す言葉には感覚がたくさんあふれていた
〜21世紀協会 フィリピン・ミンドロ島での研修より〜
(2000.9.23〜10.3)
関西学院大学社会学部3回生
小泉 永
サンタクルスの海に沈む夕陽。。この夕陽を見るときが一日のうちでもっとも幸せなひとときかもしれません

少数民族、そして自分

 僕にとってこの出会いなり機会は本当に貴重なものであった。僕は一昨年に偶然フィリピンに行く機会があり、そこから今に至るまで、フィリピン、発展途上といわれる国に対して何か納得できない部分を求めて何回かこの国を訪れた。「少数民族」という人々についてはあまりに未知すぎて、恐いとも楽しみともなんだかよくわからないまま現地へ向った。

 カラミンタオ村へ着いた第一印象はその光だった。もちろん特別な太陽がそこにあるわけもないのだが、バナナの木や他の植物の隙間からもれてくる太陽の光。カメラをのぞいているとその光に圧倒された。光を浴びるということを始めて実感できた。その先を歩くと確かに人がいた。裸の子ども、ぼーっとこっちを見ている女の人、井戸で洗濯をする人…。2本足で歩いていて、手でものをつかんで、目もちゃんとついている。うんうん、確かにここまでは僕たちと一緒だ。おおっ、僕たちと同じ物を食べている。そんな当たり前のことで驚きはしなかったが、なにか確認している自分がいた。出会えた興奮が表に出ながら、自分の奥底では冷静に彼らを見ている自分がいたのである。

海の中で思うこと

 フィリピンでは海がきれいということは有名だが、ミンドロ島の海は本当にきれいだった。水平線は本当にまっすぐで、空を飛んでいる雲も手ではたいたら全部飛んでいってしまうのではないかというほど、低かった。大抵、夕方近くになると寮で生活している子どもたちと一緒に海へ行った。ただ海を見たり、なかへ飛び込んだり、水をかけあったり。本当に幸せである。僕がシャワーを浴び終え、くつろぎに海辺へ出て行ったところ、うっかり子どもたちに見つかり、海へ引き連れ込まれてしまい、やけになって飛び込んで遊んだ。生水を飲んではいけないと自覚はしているものの海の水をがぶがぶ飲み、水分と塩分を補給しながらひたすら遊んだ。僕が一番印象に残っているのはその時見た夕暮れだった。僕がふと見ると自然と他のみんなも日が暮れるのを目で追っていた。本当にいい光景だった。

 日本で生活している時の僕は夕暮れをほとんど見ない。日が暮れても光がたくさんあるので、あまり夜を意識しない。マンニャンの子供たちは毎日この景色を目にしている。遊んで、遊んで、半ば何かに追われているようにすごい形相で遊んで、そして、この夕暮れを見る。日本人として、本当に自分の生活は満ち溢れているものだが、この時は純粋に彼らに劣等感を覚え、今の生活を残念に思った。海に入り、海の目線で夕暮れを見る。彼らは気づいていないかもしれないが、貴重な夕暮れだった。

自分の考え

ジープの上に乗って。普通はジープの中に乗るのですが、、、ジープの上に乗ると景色がいい。

 僕は英語をろくに話せず、もちろんタガログ語も話せない。日常では別のNGOのメンバーとして活動しているが、援助に対しての突き抜けた考えもいまだに持っていない。ミンドロ島で生活中、われらがボス池田さんからある課題が出された。それは、「パクパク村に水汲みポンプをもちこんでいけないのはなぜか」というもので、そのことに対する僕の答えは、「相手の自立、文化の破壊」だった。僕は、これらの言葉に対して理解していたつもりだったが、21世紀協会の方々の指摘を受け、それは、やはり浅いものであり、いわば、これらは教科書どおりの答えで、大してその言葉の奥深くにある意味もわかっていないことを実感した。僕はこの自立という言葉をいまだによくわかっていない。フィリピンにおいて考えると、金を持っている日本人に、分かち合いの文化をもつフィリピン人。そんなことができるのか?という気持ちとともに自立を確立させるためには経済、文化いろんな問題がからんでいることを現実として実感した。文化の破壊にしても言葉の響きだと非常にいいものだ。しかし、よーく考えると文化が壊れるとはどういうことなのか、文化の進展とはどういうことなのか、いまいち答えが出ない。「異文化」という空間で「援助」ということをする。それだけのことでも、答えはなかなか出ない。その答えのなかなか出ない中で、僕に何ができるのだろうか。

 本当にわかったのは「僕は何もわかっていない」ということであった。

自分の行く道とは

大きな口を開けて、ブタの丸焼きをかじる(?)小泉君。左から有井佑希さん、国金さつきさん、レニー、紫垣伸也、小泉永君

 僕は現在大学の3回生で、これからの進路を考えている。そして、これからの視野の一つにNGOも考えている。今回ミンドロ島に行き、帰ってきた当初は「NGOは自分にはできない」という考えだった。僕が訪れることの出来たマンニャン族の人たちは、金もほとんど使わず、周りとは遮断されたなかに生活しており、いくら「少数民族だから」と言って考慮して接したとしても、僕の常識は彼らには通用しない。「異文化」という言葉はあってもあまりにも文化が違いすぎる。そんななかで、目指したものを実現するためには一体どれだけ強い信念をもてばいいのか僕にはわからなかった。そんな僕を尻目に、21世紀協会の池田さん、川嶌さん、紫垣さんはとてつもないパワーでもって活動している。勢いだけが取り柄の僕が、その取り柄をとられてしまった。「今の僕にはフィリピンで活動するにはあまりにも不安が大きすぎる」という実感があったのである。しかし、時間を少し置いた近頃はまた考えが変わってきた。どれだけNGOの活動に見切りをつけようと考えていても見切りがつかない。その原因は紫垣さんが僕に言った「とにかくやってみろよ」という言葉だった。いろんなことを考えてしまう僕にとって「よくわからんけど、やってみよう」という気持ちを持たせてくれた。この時期にミンドロ島の刺激を受け、池田さん、川嶌さんそして紫垣さんに会えたということは本当に貴重なタイミングであったと実感している。

言えること

 僕たち日本人がいて、フィリピン人がいる。そしてフィリピンのなかにはマンニャン族のような人もいる。僕たちは金を持っていて、金のなかに生きている。山に住んでいるマンニャン族は金の価値さえよくわかっていない。僕たちは彼らに会う必要があったのだろうか。彼らにとって僕たちと出会ったことは本当に幸せなことなのだろうか。ひょっとしたら彼らがそのまま僕たちと出会わず、たとえ滅びていくとしてもそれはそれでひとつの道だったのかもしれない。しかし、僕は彼らに会った。あいさつだけのタガログ語と勢いだけの英語しかできないが確かに同じ時間を過ごすことができた。今回彼らに対してできたのは子どもたちに対して算数の勉強の手伝いだけであったが、マンニャン族の人たちが持つ表情から体の奥底にいろんなものが飛び込んできたように感じている。僕が出来ることはたかがしれている。でも、フィリピンへの恩返しをもう少ししてみようと考えている。

2000.11.13


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