21CA

インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

カルチャーショック


シアポの子供たち



 21世紀協会が、はじめて10人の奨学生に奨学金を送ってから6年、子供たちは確実に成長して行きました。しかし、奨学金事業は想像以上に困難を極め、われわれは、何度も挫折を味わってきました。他の同様の奨学金事業と比較しても、奨学生の落伍率が高く、本人や家族のカウンセリング、学校との連絡のほか、日本の里親会員への説明など、頭痛の連続でした。


学校に行かなくなった子供たち

 どうして、こんなに落伍する子供が後を絶たないのでしょうか。ひとつは、援助の対象として選んだのが、もっとも貧しく、社会的に虐げられてきた少数民族だからです。学校に通うための環境が何一つ整っていないのです。山の中で自由に暮らしてきた子供たちが、勉強のため親元を離れ、毎日学校に通い、町で暮らし始めたためのカルチャーショックは相当なものでした。規則正しい生活など知らない子供たちには、毎日同じ時刻に起き、三食きっちり摂り、学校に通うという当たり前に思えることがとても苦しいことでした。その上、授業がわからない、生活が違いすぎる、規律が厳しすぎる、低地のフィリピン人たちの「人種差別」に合うなど、さまざまな困難が子供たちを待ち受けていました。苦しさから逃れるため子供ながら飲酒に走った子もいました。不良グループとつきあうようになった子もいました。山を駆けめぐっていた子供たちだから、健康なのかと思えば、幼少時の栄養失調の影響もあって、日本の「もやしっ子」たちと比べても身体が弱く、マラリア、結核、赤痢など病気ばかりしています。家族を養う責任もあります。子供といえども大切な働き手ですから、せっかく学校に入っても、働き手を失った家族が困り果てて、子供と呼び戻すケースも続きました。


価値観の違い 寮での補習

 学校に行くからには、少々苦しくてもがんばってほしい、と誰もが思うでしょう。その通りです。現状の自由な暮らしをしていては、民族のは滅亡するしかないところにまで追い込まれている人々ですが、この、文明とは隔たってところで暮らしてきた素朴な人々の価値観は、われわれとは、まったく違ったところにありました。どうして苦しい思いまでして学校に行かなければならないのか、子供たちには全く理解不能でした。その子供たちを、なだめて学校に行かせることの困難は、日本からたまに顔を見せる私たちにも見て取れました。


それでも効果はあった

 では、成果はなかったのか、といえば、決してそうではありません。町にも学校にもなじめずに結局山に帰ってしまったルイニオは、それでも学力が多少ついたため、村で行われている農業指導の授業が理解できるようになり、習い覚えた計算力を活かして町から石鹸などと仕入れて小さな「よろず屋」をはじめました。親に泣きつかれて畑の仕事に戻ったカンシトも、ベルナルも、村の青年をリードして総合農業プロジェクトに励んでいます。ほんの小さな一歩ですが、着実に前進はしています。日本のみなさまも、決して余ったお金を送金してくださっているわけではありません。成果を望むのは当然のことです。しかし、出来得れば、もうすこし長い目で子供たちの将来を見守ってやってはいただけないでしょうか。教育というのは、成果が目に見えない上に、時間ものかかりますが、われわれが自分の子供たちに未来を託すとき、今よりも多くの子供たちが教育を受けられる世界を渡したいと考えます。

(池田晶子)

《サンサーラ》 16号 1996.11.1初掲
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