SamSara

地の塩




                    21世紀協会実験農場
                  
NGOの役割とは

 私事で恐縮ですが、今年、卒業25周年を迎えました。大学はこれを祝って式典を催し、ラテン語の祝状が授与されたのですが、その中の一節に、「世の光、地の塩となられますよう」とありました。もちろん、これは聖書からの引用です。

  あなた方は、世の光である。山の上にある町は、
  隠れることができない。
  あなたがたは地の塩である。だが塩に塩気がなくな
  れば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もは
  や、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏
  みつけられるだけである。(マタイの福音書5節13章)

 さまざまな分野で活躍している卒業生がそれぞれの思いでこの文面に接したことでしょうが、NGO活動を展開しているわたしにはこれこそがNGOの真髄なのだと思えました。とくに、地の塩こそがNGOの活動そのものだと強く感じ入ったのでした。

 大きく見ると、NGOのめざすものは社会正義の実現ではないでしょうか。それぞれ独自の切り口で社会の不公平を正すのがNGOであるといってもいいくらいです。その「切り口」として教育の普及をめざす団体もあれば、環境の保全に努めるところもある、あるいは保健衛生の浸透を目的としているところもあります。

世界の不公平

 21世紀協会の場合、それは教育に始まりました。世界の不正義の最たるものは南と北の経済格差であるとの認識から、その是正に取り組もうと団体を立ち上げました。第3世界が先進国に搾取され続けるのは、もちろん、先進国のありように大きな問題がありますが、第3世界の国自身も大きな問題を抱えています。先進国がどれほどODAを理想的に配分しようとしても、そのほとんどが一部の権力者の懐に入っていったのでは効果は望めません。途上国の多くではひとにぎりの特権階級が権力と金をほしいままにすることが許される構造があります。そして、それを放置する民衆がいます。民衆は権力者が何をしているのか見えず、また見えていてもそれを理解するだけの能力を持たないため、結果的に権力者の横暴を許しているのです。権力者は世の光とはなり得ず、民衆も地の塩を利かせることができていません。日本のようにある程度(あくまで「ある程度」です)民衆のチェック機能が働いている国では、いかに権力者といえども好き勝手はできません。

教育からの出発

 ならば、教育もなく、日々の生活に追われるだけで終わってしまう民衆を後押ししようではないか、これまで十分だったとはいえなかった教育の機会を提供することで世界を変えていこうではないか。そう考えて、21世紀協会は自分たちの規模にふさわしく、フィリピンの片隅で忘れ去られている少数民族、マンニャン族の教育援助から手をつけました。近代文明から隔絶され、差別され、あるいは無視されてきた人々の開発援助は思いの外時間も手間もかかりましたが、目の前の問題を解決しようと尽力する中で、世界は確実に変わってきました。マンニャンを見る外部者の目が変わってきただけではなく、マンニャンの人々もこれまでのような「やられっぱなし」の無気力感から人間としての自覚が芽生えてきました。民族としての自覚が確立すればきっと未来は開けると信じています。

 マンニャンのような人々は世界にはまだまだたくさんいます。塩は人体に欠かせないミネラルです。そして、社会にとっても、それは同じです。われわれは、世界の中でひときわ辛みの利いた塩であり続けたいと願っています。

                                   (池田晶子)

《サンサーラ》34号 2005.6.30初掲


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