calamintao

カラミンタオ村

西ミンドロ州サンタクルス郡

村人と

部族:マンニャン族、イラヤ部族

人口:145人(33世帯)

耕地面積:35ヘクタール

アクセス:国道からジープ20分。

地味:良好

気候:おおむね良好。

問題:人々の依頼心が極度に強く、自立心が希薄。

灌漑がないため、二期作ができない。(水はパグバハン川が豊富に供給している)
返済のあてのない借金を重ねてしまった。
化学肥料、トラクターに頼りすぎ、地力を衰えさせてしまった。

将来性:土地は有望。米、野菜、根菜、果樹の他に、山腹にコーヒーの木を植える計画を立てている。現在組織化中のカラミンタオ村協同組合が成功し、人々に自立心が定着したとき、この村の援助は完了する。

カラミンタオ村略歴

開放の年1945年

 その昔、解放の年、1945年に、三方山に囲まれ、一方に大きな川の流れる約35ヘクタールの低地をもつカラミンタオ村には、二つのマンニャン族の家族が住んでいた。パシフィコ家、ベルナルド家、そしてその親戚である。酋長はトマス・パシフィコで、平和と秩序を保ち、マンニャン族のために尽くしていた。彼らの文化では、酋長は自身は働かず、人々の働くのを監督する。酋長は「アマイ」と呼ばれるが、これは、薬草や儀式で病気の治療をする長老を意味する。トマスには子供が三人、2男、1女いた。父親の死後、権力は長男に相続される。幸運にも、このマンニャン族の部族に、アメリカ人が識字教育を行なった。3年後の1947年、村の拡張に合わせて仮校舎が建てられ、教育の場ができた。トマス・パシフィコは、親戚を中心として、他のマンニャン族の人々を村に呼び寄せた。主な収入源はカインギン(野生の稲)、とうもろこし、低地の農業、狩り、蜂蜜の収集、川での漁である。

1970年代

 トマス・パシフィコの指導により発展した村は政府機関やNGOの注目を浴び、1971年にデニス・フリン神父(SVD)をこの村に定住させた。3年後の1974年、MIC(無原罪聖母宣教女会)のカナダ人シスター、マデリン・アラリー修道女もこれに加わった。デニス・フリン神父はマンニャンの農業技術を向上させようと農機具やカラバオを提供した。600から800カバン(1カバン=60キロ)の米やとうもろこしを保管する能力をもった倉庫も建設された。MICは、診療所と生活者協同組合を設立した。この時期、数多くのマンニャンの人々が山から下りてきて治療を受けたり農業を学んだ。1976年、アメリカ海軍がこの地域で演習を行なった。飲み水のないのを見て、海軍は水道システムを作り、これを寄附した。この水道は今日に至るまで利用されている。

大洪水

 1978年、大洪水に襲われ、約10ヘクタールの川に沿った低地が流された。住民は方々に分散した。6家族がスロング・イピルに移住し、10家族がマンブラオ郡のムルタマヨールに、他の者たちは山奥に戻って行った。15家族だけが洪水に侵されなかった地域に残った。洪水の後、神父もシスターもこの村を後にした。マンニャン族の人々は方向性を失って行った。診療所は閉鎖された。マンニャン族は神父やシスターの残して行ったものを次々と私物化して行った。SVDは、村を去るとき、村人に貸していた10頭のカラバオをもって行った。マンニャン族は、再び、裸一貫になった。彼らは生き残るために、低地の人々の労働力として雇われ、米、とうもろこしの植え付け、土の耕作を行なったり、ミセス・モンティラ、ミスター・アキノ、ミスター・ボニラに雇われて、グリーンストーンの採掘を行なった。

援助の再開

 1989年、SUNBITESというNGOのアンディー・ボイザー氏がやってきて、人々を促して、ナラ、マホガニー、バナナ、コーヒー等の木を植えた。コーヒーの木はあまり増えなかったが、バナナの木は大いに増えた。現在、実の成るバナナが千本ほどある。この時期、学校が再建築され、セメントで本校舎が建てられた。小学校1年生から6年生まで35人の生徒のため、文部省は教師を一人派遣した。

21世紀協会登場

 1990年、MICが21世紀協会とともにカラミンタオ村に戻り、新しいアプローチを試みることになった。こうして、生計自立プロジェクトが開始された。豚などの家畜を飼育するための資金として、資金が貸し出された。豚の飼育は思うようにはならなかった。原因は、子豚は病気に弱く、小さい内に死ぬこと、そして、食糧の不足である。子供たちが全員学校に通うよう、学校給食も開始された。奨学金プロジェクトも行なわれた。

 親には、種や農機具の購入のための現金の貸付が行なわれた。返済の方法は様々であるが、バナナ、マンゴ、竹、その他根菜の換金で返済されることが多い。担当シスターは、親を組織し、共同体づくりを促した。共同計画と労働が促進された。また、作物の換金や貸付資金の返済に当たって、規律が重んじられた。人々は、神父やシスターに言われてではなく、自分たちの力で、倉庫を建設した。村人は、生計、衛生、宗教生活、教育、その他各部門の指導者を互選した。生計の指導者はたいへん活動的であるが、その他部門の指導者たちは、まだシスターの決断に依存している。しかし、2年の内には、カラミンタオ村の人々は、自立するものと期待される。


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