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インターネット版 《サンサーラ》

SamSara

Q&A

みなさまが疑問に思われることをQ&Aにまとめてみました。


★21世紀協会について ★就学促進、識字促進、職業訓練事業について

 21世紀協会設立のきっかけを教えて 頻出!

 21世紀協会の歴史を簡単に 頻出!

 現在、会員は何人くらいいるの?また会員になると何かメリットはあるの?

 社員ってなに?何名いて、どんな仕事をしているの?

 税金の寄付金控除を受けられる? 頻出!

 21世紀協会では年に2回ほど現地視察にスタッフを派遣しているようだが、会費のムダ使いでは?

 日本人スタッフの現地滞在費が全体支出の相当部分を占めていますが、これが果たして妥当なのか疑問を感じます。

 21世紀協会ではいつも「経営危機」を叫んでいるようですが、どのような自助努力をしているのでしょうか。

 奨学生はどうやって選定されるの?その規準、方法は? 頻出!

 14年間活動されて、100名を超える卒業生を出し、その卒業生が地域で活動していると書かれていますが、具体的に、どのような活動をし、社会に貢献しているのでしょうか?

 職業訓練は雇用の創出につながっていますか?

 なぜ識字教育を重点的に進めているのですか?

 識字が衛生の向上につながるって本当?

 識字率向上による公正な選挙の実現とはどういうことですか?そもそも「公正」な選挙とは何ですか?

 識字は何語で行うのですか? 頻出!

 教育を受けた子は村に帰らないといいますが、どうですか? 頻出!

★事業全般について ★農村開発事業について

 21世紀協会の事業はどうして総合的なアプローチを取っているのですか?小規模NGOならその規模にあわせて、事業目標を絞った方がよくありませんか? 頻出!

 総合的な開発アプローチはいいとして、年間予算が1000万円にも満たない21世紀協会にそのキャパシティーがあるでしょうか?

 開発といっても結局は先進国による途上国の搾取ではありませんか?

 21世紀協会では、日本人が現地に赴任し、直接経営を行っていますが、もっと住民参加、あるいは、住民主体型援助を中心に考えるべきではないでしょうか。また、フィリピンには力のあるNGOはたくさんあるはずなので、現地NGOと手を組むことはできませんか。 頻出!

 地元の公共機関、地元関係機関等と連携などしていますか?

 21世紀協会は14年間も西ミンドロ州のマンニャン族の総合開発を手がけていますが、これほど長期間同じ現場にいると人々は援助慣れし、依頼心が育ったりしませんか。 頻出!

 なぜフィリピン、なぜミンドロ島なのでしょうか 頻出!

 なぜアムナイ川流域を事業地として選んだのですか?

 農業学校へのニーズはどのように調査したのですか。また、具体的にどのようなニーズがあるのでしょうか

 自然破壊、激しい自然環境、山の乱開発等という記述がありますが、具体的にどういうことですか?

 化学肥料や耕耘機を買うことがマンニャン族にとってどうして土地を失うことにつながるのですか?

★マンニャン族、地域状況について ★その他

 よく言及される「タガログ人」とは何か?「マンニャン族」という場合も、いろいろな人々があるようだが、それはどうなっているのか? 頻出!

 マンニャン族が低地のフィリピン人に虐げられている、差別されているとは具体的にどういうことか?

 「文字を読めないマンニャンの人たちが一般のフィリピン人にだまされる」とは具体的にどういうことですか?

 マンニャン族の人々の教育レベルが低いことをいいことにして、21世紀協会が事業を押しつけていませんか?

 多様性や選択の自由を主張されていますが、民族独自の言語以外で識字教育を行い、伝統的な生活様式を捨てて農業を進めるための援助を行っています。これは多様性ではなく、画一性を育てていることになりませんか?

半遊牧民族の文化保存策として何か積極的な行動を行っていますか? 頻出!

 貴サイトには「第三世界」、「発展途上国」、「低開発国」と言う表現が出てきますが、これは相手を見下した表現ではないでしょうか?

 古着を集めているようですが、汚れた洋服を着ているから、靴下も履かずに普段サンダルを履いてるから古着をあげれば喜ぶだろうと考えるのは、我々日本人や先進国の人間のエゴではないでしょうか?



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アヒルを放資した協会の実験圃場



★協会について

 21世紀協会設立のきっかけを教えて topへ

 今の世の中、環境問題に代表されるように、自分一人だけの幸福などあり得ません。すべての人間が満たされない限り、世界は成り立たなくなっている。すべての人を幸福にするなどということはできないけれど、せめて、日本の人々がすこしでも、自分の周りの小さな世界を超えて、広い世界に目を広げて欲しい、そして、世界の半分は依然として飢えていることを知ってもらいたいと願って小さな活動をはじめました。




 21世紀協会の歴史を簡単に topへ

 1990年に任意団体として設立。その直後よりフィリピン、ミンドロ島の少数民族の教育援助に携わってきました。長期的に効果の出る教育だけでなく、地域の食糧を確保するべく、農業指導等の開発援助も手がけてきました。10年間、一貫して教育援助を基本としながらも、さまざまな角度から援助を展開し、1999年10月には新しく法制化された特定非営利活動法人として法人格を取得し、現在に至っています。21世紀協会の詳しい歴史はこちら




 現在、会員は何人くらいいるの?また会員になると何かメリットはあるの? topへ

 会員は2004年4月現在正会員140名。ボランティア団体なので、会員には世間で言うところの「メリット」はありません。協会の活動は会員の会費、または労働によりを支えられています。会員には年数回、会報《サンサーラ》をお届けし、活動の報告としています。
 会員の詳細はこちら




 社員ってなに?何名いて、どんな仕事をしているの? topへ

 2004年4月現在社員は12名。社員は会員の中から選ばれ、法人の意志決定に関わる権限及び義務を持ちます。詳細はこちら




 所得税の寄付金控除を受けられる? topへ

マンニャン学生とボランティア

 受けられます。21世紀協会は2002年7月1日から2年間、寄附金を課税所得から控除されることが認められる「認定」特定非営利活動法人となりました。2004年5月現在12,000余ある特定非営利活動法人(いわゆるNPO法人)のなかで国税庁より「認定」を受けたのは21世紀協会を含むたったの22団体です。控除の詳細はこちら




 21世紀協会では年に2回ほど現地視察にスタッフを派遣しているようですが、会費のムダ使いでは? topへ

 わずか数人への奨学金制度からはじめたわれわれの活動が、どれだけ大きく実を結ぷようになったかは再三会報でも紹介してきたとおりです。そして、ひとつひとつの事業はすべて、たとえわずか年2回であれ、現地をこの目で見、現地で直接語り合ってきたからこそ、最も有効に進めてこられたと確信しています。21世紀協会では、この現地訪問を援助地と資金提供者の橋渡しとして非常に重視しています。また、逆に、年2回は少ないという意見もありますが、直接運営に当たっているスタッフの負担を考えると精いっぱいだと考えます。



 日本人スタッフの現地滞在費が全体支出の相当部分を占めていますが、これが果たして妥当なのか疑問を感じます。 topへ

 日本人の現地滞在費が総支出の相当部分を占めることに対する疑問ですが21世紀協会では、どの支出が全体の何パーセントを占めるかという観点からではなく、何が必要かという観点で予算をたてています。

 21世紀協会の活動に日本人の現地駐在スタッフは絶対に必要です。このスタッフがいなければ事業は成り立ちません。では、日本人スタッフに対して給料を支払えるかというと、恥ずかしながら、給料を支払うことはできません。今は、生活に困らない程度の生活費を出すのが精一杯です。相当部分といっても金額にすると100万円ちょっとです。年間100万円程度で電気も滞りがち、電話もない、水も手押しポンプという環境の中、常にゲリラに誘拐される危険と隣り合わせ、赤痢3回、腸チフス1回、デング熱1回、その他原因不明の奇病に数知れずかかるような環境の中、プロジェクトマネージャーとして現地に9年間とどまっています。この現地事務所長がいればこそ、わずか700万円程度の年間支出で大きな成果を出しているのです。駐在スタッフに対する100万円の支出をやめた場合、2倍の事業費を出しても10分の1の効果も出ないことは明々白々です。正直言って、100万円ではとても足りないと考えています。

 NGOで働く人間にも普通の日本人と々生活をする権利くらいあると思われませんか。それとも、現地の人間以下の給料で生活をするべきだとお考えですか。

 たしかに、収支の割合だけで支出の妥当性を判断される方もいらっしゃいます。しかし、わたしたちはモノを作る開発ではなく、人をつくる人間開発を活動の中心に据えました。人を育てるのに必要なのは人です。その人とて食べていかなければなりません。日本人として最低の生活も営めないようでは、こういうNGO活動に携わりたくても携われないでしょう。

 「モノから人へ」という21世紀協会の理念にご理解ご賛同いただければと思います。




 21世紀協会ではいつも「経営危機」を叫んでいるようですが、どのような自助努力をしているのでしょうか。 topへ

 98年頃、それまで郵政省ボランティア貯金から配分されていた奨学生への給食費が配分されなくなって危機を迎えたということがありました。このときは大変な財政難になり、場合によっては事業の撤退も余儀なくされるかと思われました。しかし、食費や奨学金経費の大幅な削減と、日本側の懸命な募金活動により危機を乗り越えました。ただ、これは数字上の話です。危機を乗り越えられた一番大きい要因は奨学生やその両親の意識の変化です。一言でいえば、両親や村人の学校教育にたいする熱意が危機を救ったのです。事業を始めた90年当初、教育の意味やその価値を知るマンニャンは少なく、「学校にいけるのなら行ってもいい」、といった態度でした。しかし、卒業する者が次々に出、彼らの生活が目に見えて良くなるのをそばで見るにつけ、教育に対する見方が変わってきました。また、農村開発事業でも、学ぶこと働くことが生活を良くすることを教えています。今では「何としても学校を出たい、出させたい」と願う子供や両親が増え、財政難の中でも、「何とか続けて欲しい、できることはなんでも協力する」、という両親が多くなりました。こうした村人の精神的支えがなければ、危機を切り抜けられなかったでしょう。エルニーニョによる干ばつの中、毎日のようになにがしかの食べ物が親元から送られてきました。近年の寄附金の落ち込みにより、継続的に経営危機に直面していますが、現地で受益者に事業への参加の意識が生まれてきたことや、日本側の募金努力でなんとか乗り越えています。




★就学促進、識字促進、職業訓練事業について

 奨学生はどうやって選定されるの?その規準、方法は? topへ

学校の畑にて(カラミンタオ村)

 21世紀協会では、少数民族、特にミンドロ島のマンニャン族に支援を限定しています。その中で、学習意欲があるが貧しくて学校に通うことのできない子供すべてを奨学金事業の対象としています。

 ただし、ミンドロ地区では、近年、奨学生の主な出身地であるカラミンタオ村において、奨学生として受け入れられるのが当然と思われるような風潮がでてきて、安易な気持ちで奨学生となり、落伍する学生が多発したため、現地事務局で家庭状況の調査および簡単な学力試験を課すことにしました。

 具体的には、国語、算数、英語のペーパーテストを行った上、口頭試験を行い、さらに、親子面接によって、本人、家庭の学習意欲および、自立のための自助努力をしているかを確認する。意欲のほかに、最低の学力と家庭の支持がなければ、結局子供たちは入学しても、すぐに落伍してしまうからです。




 14年間活動されて、100名を超える卒業生を出し、その卒業生が地域で活動していると書かれていますが、具体的に、どのような活動をし、社会に貢献しているのでしょうか? topへ

 卒業生はそれぞれリーダーシップを発揮しています。字が読めるというだけで、村では中心的な役割を担うことになります。たとえば、シアポ村のフリオ・リンタワギンはバランガイ・ヘルスワーカとなり、村に貢献しています。また、先住民族の土地のタイトル獲得に向けて活躍しています。カラミンタオ村のパウロ・カワヤンはアラカーク地区のバランガイ委員会の委員に選出されており、郡の政治に参加しています。ヘルミー・パナクサガンはサンタクルス初の大学卒業者となり、21世紀協会のスタッフとして村で識字教育を行っています。続いて、ロルナ・リナンヤンも大学を卒業し、村の中心として活躍しています。経済的には、アポロ・ベルナルド、マルシアル・ベルナルドやレデスマ・リナンヤンはサリサリ店をカラミンタオ村で経営し、小規模なりに成功しています。さらに、小学校に1年程度しか通っていなかったベルナル・カマヤンは現在「高学歴」を買われてシプヨ村のカピタン(村長)です。

 実際に、たとえ3ヶ月といえども、学校に通った子はそうでない子と比べて明らかに違います。ものに対する理解力が全然違います。そのため、村ではリーダとなって活躍することになるのです。




 職業訓練は雇用の創出につながっていますか? topへ

 直接は関係ありません。主目的はあくまで個人の能力の向上です。経済システムの中で個人の能力をたかめ、社会に貢献することを目指します。大工、漁業、農業、調理、鍛冶等の技能を身につけることが雇用につながるようなことはありませんが、それぞれの技能を用いて、村の経済に貢献することが求められます。たとえば、農機具を町の鍛冶屋に修理に出せば、少数民族であるということもあって不当に高い料金を請求されたりします。従来外部に頼っていた各種技能を村でまかなえるとなると、村の自給体制を確立する一助にもなります。

 そもそも、サンタクルスで失業率などというものは問題となりません。先進国の基準からすると8割ほど「失業率」のこの地区で、雇用などといったものの概念はなく、給与を得ているのは役場の職員か学校の先生だけです。それ以前に、教育を受けていない人間は、「年収」を聞かれて答えることはできないもので、年収や雇用などは視野にありません。




 なぜ識字教育を重点的に進めているのですか? topへ

 21世紀協会は設立以来14年間、教育を中心に援助を進めてきました。公式な教育を受けられない人のためには、識字教室も開催し、識字教育を進めてきました。ほかにも農業指導や職業訓練、医療援助なども行ってきましたが、重点はあくまで識字教育です。ではなぜ、識字なのでしょうか。

 まず、実用面を見ましょう。

授業風景

 識字は情報を得るための武器となります。字を読めるだけのことでどれほど情報が増えるか疑問に思われるかもしれませんが、それは字の読める人の発想です。100ペソと10ペソの区別もつかないとどうなるでしょうか。また、道路標識を読めないとどうでしょう。衛生面においても、簡単な医師の処方すら読めないと命に関わります。すべての人が字を読めることが前提となっている社会で字が読めないということは、情報を制限されるだけではなく、非識字は暴力として働き、著しい不利益をもたらします。

 マンニャン族とひとまとめに呼ばれていますが、マンニャン族はさらに7部族、あるいは、9部族に分かれており、それぞれが独自方言を使っており、互いに意志疎通を図ることが相当難しい状態です。彼らはフィリピン社会の一員であるという意識もなく、社会から隔絶した生活を送ってきました。そんな彼らも、山奥に分け入ってくる森林伐採業者や不法土地収奪者との交渉を持つようになり、文字を読めないための不利益を被ってきています。 また、字というものに対する恐怖を忘れてはなりません。当たり前のように字の読めるわれわれにはわからないことかもしれませんが、字が読めない人間には、字というものが大変恐ろしいものに思われるのです。人々が字を読めないために過去に幾度もだまされ、虐げられてきたことを考えると無理もありません。字を読む場面に遭遇するのが怖さに、病気でも病院に行こうとないどころか、山から下りてこようとしません。1月前に山から下りてきていれば、助けてあげられたのに、というケースは枚挙にいとまがないのが現状です。 今度は精神的な面を見ましょう。

 識字は考える能力を養います。文字というものは、周知の通り、物事を抽象化するものです。ものを客観的に見、筋道を立てて考える道具なのです。われわれでも、自分の考えていることを文字にしてみることでそれをまとめ、発展させることができるという経験を日常的にしています。文字はコミュニケーションの道具であり、思考の道具です。

 経験的に見ても、たとえ数ヶ月だけといえども学校に通ったことのある子は他の子と顔つきも言動も全然違います。21世紀協会の援助で多少とも学校に通って子どもたちは皆、出身村に帰ってもリーダーシップを発揮し、村を指導する立場になっています。村長になった男の子は学校に1年くらいしか通っていません。バランガイ委員として郡の政治に参加している男の子は、大学に入学しましたが、数ヶ月でドロップアウトしました。バランガイ・ヘルスワーカとして活躍している子は、学校に数ヶ月通っただけで町の生活になじめずに村に帰ってしまいました。わたしたちからすれば学歴ともいえない「学歴」ですが、それでも、成人識字率ゼロの村々においては大変な力となるのです。

 高度に発達した社会において、もはや文字なしには個々人はもとより、民族の存続さえ危ぶまれるのが現状なのです。




 識字が衛生の向上につながるって本当? topへ

 実のところ、識字の普及により生活が向上し、その結果衛生が向上しただけではないか、という疑問はよく出されます。それに一理はあるとしても、字が読めることによって得られる情報の量が圧倒的に増えるということは間違いありません。簡単な衛生知識を得られるかどうかで衛生状態はずいぶん向上します。たとえば、パクパク村の村長が「どうして俺らの村では子供が簡単に死ぬのだろう」とぶつぶつつぶやいていたことがあります。これに答えて「そりゃ当たり前だろう。なによりも不潔にしているからいけないんだ」と言ったところ、おや、という顔をされました。そして、簡単にしくみを説明すると、驚いたように、「ああそうだったのか」と言ったということがありました。

 また、字の読めないマンニャンの人は字の読めないことに対する劣等感も手伝って、病院に行くことさえ異常なほど怖がります。その結果、病状が悪化し、どうしようもなくなってから、21世紀協会の支援を求めてくるのですが、たいていそのときはもう手遅れになっています。字が読めるというだけで、人々の世界が広がることは間違いありません。




 識字率向上による公正な選挙の実現とはどういうことですか?そもそも「公正」な選挙とは何ですか? topへ

 2004年は5月に大統領、上院議員の半分、下院議員全員、知事、郡会議員の選挙が行われる「選挙年」です。マンニャン族は住民登録もせず、国勢調査でも数えられませんが、大人は選挙権を持ちます。そのため、候補者はマンニャン票を取り込もうと、様々な不正を行うのです。たとえば、隣の郡のマンニャン族を村ごとトラックに乗せて投票場に連れて行き、自分の名前に印を付けさせ、その代わり村にバスケットボールのコートを作ってやるなどのことは日常的に行われます。これはマンニャンの人々が文字を解さず、選挙がなにかも知らないことから起きる不正といえましょう。

 21世紀協会では、選挙時に学生を派遣し、出身村の大人の投票をアシストする活動を展開してきました。これにより、不正の減少に貢献してきました。もちろん、投票する人が自力で字が読めるに越したことはありません。字の読めない人を不正に利用するのは簡単なことです。 参考記事




 識字は何語で行うのですか? topへ

 フィリピンの共通語のフィリピノ語(タガログ語)、ときに英語で行います。半遊牧民族といえども、低地人との交渉をしないでは生きていけません。たとえば、字も読めず、数字の意味も分からない彼らは、100ペソと10ペソの区別もつかないため、低地の一般フィリピン人との交渉で簡単にだまされてしまいます。そもそも、識字の実用面は一般人との交渉にあるわけですから、どうしても、共通語のタガログ語になります。マンニャン族同士では特に識字は必要なかったこともあります。

 では、マンニャンの人々がタガログ語を話せるのかということになりますが、一般に若い人、男性は話せます。老人や女性はタガログ人と接することがあまりないため、話せない人の方が多いようです。識字はあくまで若い人、子供、そして希望する大人が対象となります。




 教育を受けた子は村に帰らないといいますが、どうですか? topへ

 21世紀協会の場合、これまでの14年間で一人として、都会に出ていってそのまま戻らなかった子がいません。数年ほど都会に働きに出ることもありますが、必ず村に戻ってきます。これは文化的ギャップがあまりに大きいことが原因ではないかと思われます。それほど、マンニャンの人々と一般フィリピン人の生活が隔絶しているということです。町の大学に通った子も町の生活に相当のストレスを感じており、卒業できない原因の大きな部分を占めています。

 ハイスクール卒ならいざ知らず、サンタクルスのような町に大学卒業の学歴を持った者の職があるのかという問題ですが、これは、逆にマンニャンであることが幸いして、大学卒業者にふさわしい雇用があります。アファーマティブアクションのようなものがあり、優先的に少数民族が登用されるからです。実は、21世紀協会初のマンニャン大学卒業生のヘルミー・パナグサガンもこの慣例に則って、さまざまな仕事のオファーがあったのですが、彼女は給料が公務員の半分以下の21世紀協会識字教育指導員の道を選んだのでした。

 現在のところ、21世紀協会の援助を受けてハイスクールあるいは大学を出た者は全員が村に戻り、あるいは、サンタクルスの町にとどまって、民族のために貢献しています。



日本人ボランティアスタッフ国金さつきと子どもたち



★事業全般について

 21世紀協会の事業はどうして総合的なアプローチを取っているのですか?小規模NGOならその規模にあわせて、事業目標を絞った方がよくありませんか? topへ

 周知のように、国連は新世紀に向けた新たな役割をMDG(Millennium Development Goals「ミレニアム開発目標」)としてまとめています。2000年9月の国連サミットにて発表、大別して八つの項目、「貧困・飢餓の撲滅」、「初等教育の普及」、「女性へのエンパワーメント」、「乳幼児の死亡率の削減」、「妊産婦の健康の改善」、「HIV、マラリアなど感染症の蔓延防止」、「持続可能な環境の実現」、「グローバルパートナーシップの構築」が挙げられています。一昔前の経済偏重型開発から一転して、よりソフト面に特化した社会開発に力点が置かれているのが特徴ですが、実のところ、21世紀協会は設立以来、これらすべての目標と格闘してきたのです。ミンドロのマンニャン族の村々という現場は、8つの問題がすべて凝縮されており、人々を苦しめています。

 たとえば、村によって差はあるものの、乳幼児の死亡率は著しく、低いところで4割、高いところでは8割を優に超えています。出産時に死亡する母親も多く、住民は全員マラリアに罹患しており、ほとんどが結核に感染しています。2015年までに「五歳以下の子どもの死亡率を三分の二まで下げる」という目標を我々の現場に当てはめても、実現がどれほど難しいか想像に難くありません。

 当然ですが、8つの目標は相互に緊密に関係しており、どれか一つを改善しただけでは不十分です。たとえば、教育の機会を提供しても、子どもが教育を受けている間に親が餓死してしまっては何にもなりません。また、子どもの慢性的栄養失調という問題の背景には、家庭経済の窮乏、両親特に母親の教育水準の低さ、或いは妊娠時における母体の健康状態の良し悪しなどが関係しているのは明らかです。

 ミレニアム開発目標の達成には、効果的な対策実施に向けての幅広い分野からの協力,包括的なアプローチが必要なのと同様、マンニャン族の人間開発といった場合においても教育という一方向のアプローチだけではなく、総合的なアプローチが求められるのです。




 総合的な開発アプローチはいいとして、年間予算が1000万円にも満たない21世紀協会にそのキャパシティーがあるでしょうか? topへ

杵と臼を使って米を搗く(マンニャン村にて)

 21世紀協会のキャパシティーは一般のように予算規模で推し量かるのは不適切です。なぜならば、当協会の援助はほとんどが人間の開発を中心に行われているため、予算を取るいわゆる「ハコモノ」の建設は行ってこなかったからです。今年度初めて人間開発センターの建設をするため、予算が一時的に上がりますが、それだけのことです。これから新たに立ち上げる事業についてキャパシティーがあるかと問うのはしかたないとして、すでに何年にもわたって行ってきた実績のある事業についてキャパシティーがあるのかないのかを議論しても仕方ないのではないでしょうか。実績があり、結果が出ているということはキャパシティーがあるということです。それと、些少ではありますが、現地組織は現地で収入を得ているという事実も忘れてはいけません。

 また、21世紀協会の収入はほとんどが寄付金収入で、国税庁に寄付金の税制優遇措置を認められている認定特定非営利活動法人です。2003年9月現在1.2万余あるNPO法人の中で、この特権が認められているのは22団体にすぎません。これは、多くの一般の人々に支えられ、財政内容が健全であることを示しています。近年では、助成金を申請すればほとんどが認められています。たとえ、JICAの支援がなくても、他の助成を得ることができるだけの力は蓄えてきました。

さらに、最も重要なスタッフ面のキャパシティーですが、21世紀協会は設立以来14年間サンタクルスの地においてマンニャン族の教育援助を中心に活動を進めてきました。この間、協会の援助を受けて学校を卒業した若者を中心に、現地スタッフが充実してきました。現在、日本人所長以下、有給正スタッフが4人、準スタッフが8人、ボランティアスタッフが11人(うち3人は日本人)おり、各方面の事業を仕切っています。ほとんどが協会の就学支援プロジェクト出身者ですから、協会の方針にはなじんでおり、ほとんどがマンニャン族出身者なので、村との橋渡しに最適です。さらに、村では、子供が21世紀協会のボランティアスタッフになることをとても誇りを思ってくれています。

21世紀協会は総合的アプローチを取っているため事業が散乱して管理に難儀しているという印象を与えているかもしれませんが、地域はフィリピンの西ミンドロ州サンタクルス地区に、対象者はあくまで少数民族マンニャン族に限定しており、日本から想像されるほど管理に問題があるとはいえません。




 開発といっても結局は先進国による途上国の搾取ではありませんか? topへ

 近年イヴァン・イリイチらに代表されるような開発否定もしくは開発の根本的再検討を訴える声は少なくありません。

ならば開発はすべて否定され即刻引き揚げられるべきものなのかという問いにイエスとは答えられません。アフリカ諸国へのエイズ対策支援、紛争解決に向けての平和構築、平和維持活動、対人地雷禁止キャンペーンなどの活躍を否定する者はいないのではないでしょうか。また、ある地域の人権侵害問題に対する世界的な世論の圧力は、地域内の社会構造変革という困難な問題への働きかけとして重要な役割を担うことは周知の事実です。開発は搾取ではありません。押し寄せるグローバリゼーションや安易な「押し付け型開発」から解放されるための開発であるべきです。それは南の国の人々が選択肢をただ増やすというのではなく、自らがどのような状態にあるかを知りどうしたいかをよく考え最良の選択をし続けていく力をつけることです。人間開発の根本はここにあり、考える力をつける基礎教育の普及こそが求められます。粉ミルクの摂取でしか乳幼児死亡率は下げられないという多国籍企業の商品の押し売りを伴うような固定観念の押し付けではなく、地元にあるものを使い、ほんの少しの気遣いと工夫で改善できる方法をいっしょに探る公衆衛生の勧めでなくてはなりません。一日一ドル以下の収入云々で量る貧困の数値化、指標の限界を知り、現実に何が起きているか、問題は何かをしっかりと見定める貧困削減プログラムでなければなりません。開発は相当な自己反省と冷静な視点を欠いては南に対する悪にしかなりえないことも事実です。

開発に対する見直しは当然常に行われるべきです。現場、すなわち南との対話、開発を推進する者とその対象者との間での対話の必要性はいわずもがなです。搾取は論外としても、双方に互換するものを見出していく信頼関係、協力関係を築いていこうとすることこそが異文化間で行われる開発の重要な要素であることを見過ごしてはなりません。




マンニャン村の酋長たちとスタッフ

 21世紀協会では、日本人が現地に赴任し、直接経営を行っていますが、もっと住民参加、あるいは、住民主体型援助を中心に考えるべきではないでしょうか。また、フィリピンには力のあるNGOはたくさんあるはずなので、現地NGOと手を組むことはできませんか。 topへ

 たしかに世界の開発の傾向は南の国自身が自らの問題を解決できるよう北の国が支援するという方向に向かっています。北のNGOは南のNGOのエンパワーメントに力を注ぐべきだという議論が欧米では主流です。しかし、日本のNGOにおいてはいまだに直接現場に赴き、開発を手がけることを中心に活動を進めています。直接現場との接点なくして、南の国の苦しい現状がわかるはずもなく、机上の空論によってプロジェクトを展開しても意味がないという考え方です。ヨーロッパではエンパワーメントや資金の提供を中心としながらも現場との接点を大事にするため直接援助も続けているNGOがまだ多くあります。21世紀協会もやはり現場を大事にしたいと考えています。

 また、21世紀協会の特殊事情として、西ミンドロのような開発の遅れた地域、マンニャン族のように原始的な生活をしている人々を対象とした活動を展開しているNGOがほとんどないという現実があります。カソリック教会はマンニャンの援助をしていますが、その活動は一貫性を持たず、中途半端です。国際的なNGOが出たり入ったりしていますが、マンニャンのように識字率がほぼゼロの地域においては相当に腰を据えた息の長い援助が求められるのに、数年で引き揚げてしまい、人々に悪い意味での依頼心を植え付けるだけの結果になっています。21世紀協会のように、この地域に根付いた活動を継続的に展開しているところはないのが現状です。

 では、マンニャンの人々が直接イニシアティブを取って事業を進めることができないのか、といわれると、やはり、できないといわざるを得ません。いまだに成人識字率はゼロに近い状況では、事業の経営を任せることはまず無理です。

ただし、21世紀協会の内部においては、権限委譲を進めています。従来日本人スタッフが直接行ってきた事務や作業は少しずつ現地スタッフが行うようになっています。たとえば、帳簿の管理は現地スタッフの仕事です。また、従来日本人のインターン生が行ってめざましい成果を上げてきた数学と英語の学習指導は、今ではボランティアスタッフが代わりに行うようになっています。




 地元の公共機関、地元関係機関等と連携などしていますか? topへ

 地元公的機関とはさまざまな形で協力しています。郡役場や地元病院との緊密な関係なしでは、事業地で起きた問題(不法伐採業者による恐喝、急病人の対応)の対応はできるものではありません。また、マンニャン族を対象にした識字教育は州政府も教員補をマンニャン村に派遣しこれをおこなっていますが、当協会の識字事業は州政府にも認識されており、協会識字指導員は州政府の事業にも登録されています。また、農業省からもマンニャン村での植林用苗木や各種種子の無料支給を受けています。

現在西ミンドロ島では、現在IPRA法(Indigenous People's Rights Act:先住民族権利法)に基づいて、マンニャン族の先祖永代土地所有権の獲得が急がれていますが、同法によって設立されたNCIP(National Commission on the Indigenous Peoples:国家先住民族委員会)から、協力要請を受けており、現在とくに協会事業地が連なるサンタクルス郡アムナイ川流域において、IPRA法についての説明、土地所有権獲得のための行動プランなどを作成しています。その他協会識字教育担当者が、DENR(Department of Environment and Natural Resource:環境天然資源省)からアムナイ川での民間森林監視員に任命されるなど、各公的機関との連携はますます活発になっています




 21世紀協会は14年間も西ミンドロ州のマンニャン族の総合開発を手がけていますが、これほど長期間同じ現場にいると人々は援助慣れし、依頼心が育ったりしませんか。 topへ

 開発には二つの種類があるといえるでしょう。少しの投入で大きな成果の見られるもの、そして、多くの投入で小さな成果しか得られないものがあります。たとえば、「貧しいながらも三食かろうじて摂ることができるが、いったん家族に病人が出たら家庭経済が破綻する」といった層の場合、少しの援助で大きな成果を上げることができます。実際、ODA、NGOの援助の8割以上がこの層を対象にしているものと思われます。効率を考えると、前者をめざすべきかもしれませんが、その場合、後者でしか成果を上げられない人々は完全に開発の対象からはずれます。21世紀協会の現場はまさに後者に当てはまります。識字率がほぼゼロの環境にあって、数年で大きな成果が上がるはずもありません。「3年間の識字教育の結果、簡単な読み書きのできる人が50人増えた」といった「小さな成果」ならあげられますが、当協会が識字でめざしている「成果」にはほど遠いものです。腰を据えてじっくり援助に取り組む必要があるゆえんです。

海から見たサンタクルス

また、依頼心をすべて否定的にとらえるのは間違いです。21世紀協会は少数民族の人々の信頼を勝ち取るのに大変な時間を要しました。人々の信頼なくして事業というものに成果が上がるはずもありません。識字の意義を知らない人に識字を勧め、それを受け入れてもらうには長年培ってきた信頼以外にないのです。

さらに、依存心を云々すること自体、先進国であらゆる利便を享受している人間が論じるある種の欺瞞に当たるのではないでしょうか。なにもかも持っている人間には持っていない人間の状況は理解しにくいものがあります。

とはいえ、当協会では、できるだけ各種プロジェクトが住民から提案されるように配慮しています。また、ソーシャルモビライゼーションの手法も導入し、ローカルリソースをフルに活用して、住民によるプロジェクトのオーナーシップを育てています。プロジェクトには必ず住民の貢献を求め、また、モノを提供したら必ず、返済を求めています。

そもそも、協会はほとんどモノを与える援助はしておらず、識字教育を始め、農業研修、職業訓練など、ヒトを育てる援助を中心にしています。このため、たとえば当協会が明日引き上げたとしても、住民の生活が根本から崩れるようなことはありません。

開発の対象からはずれがちな少数民族マンニャン族の人間開発を手がけている当協会の事業は一般論では語れないことが多く、説明も難しいのです。




 ニーズの把握はどうしているのですか? topへ

 ニーズの把握はPRA/PLAで汲み上げるようにしますが、決して住民が「ほしい」というものを直裁的に与えたりはしません。住民がニーズだと思っているものは必ずしも必要なものであるとは限らないからです。電気もない村でテレビが必要だ、とか、数字も読めず、時間の概念もないのに時計がほしいといったたぐいの要求はよく聞きます。住民の信頼を得、つきあいを深めていると何気ない会話の中にさまざまなニーズが浮かび上がるのです。

 たとえば、少し現実的な要求に「カラバオ(水牛)」がほしいというものがあります。しかし、よくよく話を聞いてみると、実際に問題なのはカラバオがないことではなく、コミュニティーとしてのまとまりに問題があるために現在あるカラバオを有効に活用できていないということがわかってきます。さらに、カラバオがほしいのは耕作のためにではなく、カラバオがあると小さな村の中ではありますが、地位が上がるといったこともありました。

 当協会では、そのようにして浮かび上がってきたニーズをプロジェクトに取り込み、事業として設計しています。本来ならプロジェクトの設計も住民がするべきなのでしょうが、残念ながら、現在の住民の識字率ほぼゼロという教育レベルでは、日本助成団体に提案できるような事業設計は無理です。




 なぜフィリピン、なぜミンドロ島なのでしょうか topへ

 特にフィリピンでなければならなかったわけではありません。21世紀協会の目標は世界の貧困をなくすこと、そのために、広く教育を普及させることですから、どこの国、どこの地域である必要はありません。たまたま21世紀協会が活動のはじめに出会ったのがフィリピン、ミンドロ島の少数民族マンニャン族だったというだけのことです。援助地域の詳細についてはこちら




 なぜアムナイ川流域を事業地として選んだのですか?。 topへ

 アムナイ川は西ミンドロ州のちょうど真ん中を流れ、サンタクルス郡とサブラヤン郡の境にあります。その流域にはマンニャン族、とりわけアランガン部族の居住地が点在しています。まだ曖昧な状況ではありますが、一応、IPRA法(Indigenous People's Rights Act)に基づき、先住民居住地としてマンニャン族に政府が認知している土地です。

また、森林資源、開拓の可能性のある農地がいまだに豊富で、近年低地人の侵入が活発になっています。マンニャン族は現在農業にあまり熱心でないため、放置されている土地を低地タガログ人が勝手に耕し、私物化したり、森林の不法伐採業者が自在に出入りしたりしています。そのため、先住民であるマンニャン族の権利が侵され、問題となっています。

 主要目的ではないのですが、識字教室の建設により、マンニャン族の定住化が促され、人々がそこに定住することで、不法伐採業者も好き勝手に山に入って伐採を繰り返すことを防止しているという効果があります。流域の村々は、アムナイ流域の前線基地の役割も果たすようになってきたのです。援助地域の詳細についてはこちら




★農村開発事業について

 農業学校へのニーズはどのように調査したのか。また、具体的にどのようなニーズがあるのか。 topへ

 年々荒廃していく山々で、自然の恵みに頼って生きているマンニャンにとって、米作などの農業技術習得は死活問題です。「ニーズ」というより「マスト(ねばならない)」といったほうがいいでしょう。実際総合農業事業を進めているシプヨ村周辺のマンニャン集落全てから、農業指導の要請がきています。シプヨ村が飢えから解放されていくのを目の当たりに見ているからです。

 経験的にマンニャンに対する最適な指導方法は「手取り足取りの実地訓練」です。読み書きができないマンニャンがほとんどであり、集団教育に慣れていないからです。計画した農業学校も基本はフィールドでの実習が中心となります。しかし、農村開発事業が広がるにつれ、各村での経験や情報を交換する場が必要になってくるでしょう。違う村出身のマンニャンが共に集まり学ぶことで、村や部族を越えた連帯感を育てる場、としての活用も考えられます。個人や村を越えた《「民族の自立」のためのセンター》にすることはひとつの課題です。また、こうして村や部族間の交流が活溌になれば、マンニャンの文化や生活スタイルに最も適した農業を考えていく、《シンクタンク》としても機能するはずです。

 さらに、この農業学校の経営する農園では、奨学生の毎日する食料を生産します。そのため、実験農場であるとともに、奨学金事業経営の要となります。奨学生を受け入れる受け皿を大きくするためには、食料問題を解決せねばならず、農業学校の農園経営はこのニーズを大きく満たすものです。




 自然破壊、激しい自然環境、山の乱開発等という記述がありますが、具体的にどういうことですか? topへ

乾期のアムナイ川は水位が低くなっていますが、雨期は水であふれています。向こうに見えるのが禿げ山。かつては青々と木々が生い茂っていましたが、今では草が茂るのみです。

 信じられないことですが、年輩の方に昔の様子を聞くとつい30年前まで、事業地のサンタクルス郡(西ミンドロ州)は海岸線近くまで原生林に覆われていたそうです。信じられないといったのは、現在では低地での原生林はおろか、海岸線からかなり離れた山々までが、禿げ山になっているからです。わすか30年の間に驚くべき量の森林が伐採された、ということです。その代価を今払わねばならなくなっています。禿げ山になった山の保水能力が落ち、年間の降水量は減る一方ですが、少しでも雨が降るとすぐ洪水のありさまです。河川はすぐ氾濫し、土石流による田畑の被害は年々ひどくなってきています。河川近くの珊瑚礁も土石流のために死滅しつつあります。低地から離れた山岳部に住むマンニャン族でさえ、年々「山の幸」が減り、飢えに苦しんでいます。




 化学肥料や耕耘機を使うことがマンニャン族にとってどうして土地を失うことにつながるのですか? topへ

 これにはいくつかの複雑な要素が絡み合っています。

 一つは彼らの民族的劣等感です。一般に彼らは男子であれば一種の「ふんどし(バハグという)」を、女性は籐製の一種の「スカート(ヤキスという)」を身にまとっているだけで"裸同然"といった印象があります。従って町を歩く彼らの姿は視線を引き、一目で「マンニャン族」とわかります。また、マンニャン族は水浴びの習慣がないため、「マンニャンは汚い。臭い」というのが一般のフィリピン人の印象です。生活圏もはっきりと違います。山地にマンニャン族が、低地に一般フィリピン人(タガログ人)が居住しており両者が交流することはめったにありません。学校にも通えず、字も読めず数字もしりません。こうした事実が、マンニャン族に対する蔑視感を醸造し、マンニャンは生物学的にも劣等の人間であるという迷信をほとんどの人が信じています。また、キリスト教(カトリック)と植民地化が同時にすすんだフィリピンでは、非キリスト教徒である少数民族は"未開人"というレッテルを貼られてきました。驚くべきことに、いまだに多くのフィリピン人が「マンニャンにはしっぽがある」というような根拠のない迷信を信じているのです。人を愚弄するときに「それじゃあマンニャンだよ」といった言葉が平気で使われています。こうした長年の差別の経験が、マンニャン族から民族の誇りを奪うと同時に、「タガログ人と同じようになりたい」という強い憧憬を生むようになったのです。

 そしてその実現の手段が「タガログ人と同じモノを所有すること」なのです。しかし、農業の基礎も知らない人々が化学肥料を使って収穫を増やすことができるでしょうか?数字も読めない人々がローンで耕耘機を買えばどういうことになるでしょう?答えは明らかです。わずかな金額を借りたばかりに大切な家畜を失うことになり、ローンを返済するために土地を失います。耕耘機を買ったばかりに土地を失うという皮肉な例は数多くあります。そもそも機械の知識もガソリンを買うお金さえない彼らにとって耕耘機など一度故障すれば粗大ゴミ同然です。こんな例もあります。バイクをローンで買ったマンニャンの青年がいました。当時はマンニャンの人々の賞賛とあこがれの的だったのですがローン返済のため、本人彼ばかりか、親戚一同までもが土地と家畜を全て失ってしまいました。それでも毎月の返済ができず、ついにバイクそのものも失ってしまったのです。これは"モノによる暴力"ということもできます。モノを持たなければ人間扱いされない、という強迫観念が彼らのどこかにあるからです。21世紀協会の奨学生も身なりにとても敏感です。男の子でもシャンプーやローション、香りのよいものをとにかく欲しがります。「マンニャンは臭い」と言われることをとても恐れているからです。また、教育の普及なしでは市場経済はうまく機能しません。"社会不正義"を増大させるだけなのです。


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★マンニャン族、地域について

 よく言及される「タガログ人」とはどういう人たちですかか?「マンニャン族」という場合も、いろいろな人々があるようですが、それはどうなっているのでしょうか? topへ

 フィリピンはたくさんの民族で構成されており、その数は数百とも言われ、それぞれが違う言語(方言)を持っています。その中で、ルソン島中部やミンドロ島に住むタガログ人は、諸島中央部に住むビサヤ人、ルソン島カガヤン低地に住むイロカノ人等と共に多数派です。現在国語として使われているフィリピーノ語はタガログ語をもとにして作られています。

 一方マンニャン族をはじめフィリピンでは数多くの少数民族が山間部を中心に生活しており、多数派のフィリピン人やスペイン文化への同化を拒んできました。彼らは先住民族とも呼ばれ、その独自のアイデンティーティから、一般フィリピン人と区別され、また差別されてきました。マンニャン族という呼称は、ミンドロ島及びパラワン諸島に住む原始的生活を営む先住民族群を指す通称名で「人間」という意味があります。実際には7つの違う部族が違う言語と文化を持っています。事業地ミンドロ島サンタクルス郡には、アランガン族、イラヤ族が居住しています。




 マンニャン族が低地のフィリピン人に虐げられている、差別されているとは具体的にどういうことですか? topへ

 マンニャン族への差別意識は、古くは18世紀頃から始まっていると考えられます。当時はスペイン人によるキリスト教化がフィリピンの主要地でほぼ終わり、キリスト教徒でない人々は、野蛮人と見なされたきらいがあります。特にマンニャン族のようにきわめて原始的な生活スタイルをもった先住民族の場合、キリスト教徒でないことと後進性とが結びついて、時に非難の対象になったことさえあります。例えば19世紀終盤、米西戦争の後アメリカの半統治下で共和制が敷かれましたが、ミンドロ州は代表を議会に送ることができませんでした。当時の人々はそれを「マンニャン族のような遅れた民族がいるからだ」、と彼らを激しく非難、時に暴力でもって迫害した、と言われています。

マンニャンの子どもたち

 現在でも事情はほとんどかわりません。一般のフィリピン人の差別意識は根強く、例えば公共のバスやジープでも、マンニャン族は大抵の場合車内ではなく屋根の上です。近くによると「臭い、あっちへいけ」、といった暴言を聞くこともしばしばです。公共の病院ですら「マンニャン専用」の病室があり別になっています。義務教育を受ける権利さえ無視されているのですから、先住民族の権利を守る法律などほとんど意味がない、といっても過言ではないでしょう。学校に行けない彼らのほとんどはフィリピン人であるという自覚さえないほどです。文字も読めず、数も数えられないのですから、低地のフィリピン人にだまされることはしょっちゅうです。畑仕事の日当はピンハネされますし、土地をだまし取られることもしばしばです。




 「文字を読めないマンニャンの人たちが一般のフィリピン人にだまされる」とは具体的にどういうことですか? topへ

 人里離れた山地に住むマンニャンの人々はおおむね自給自足の生活をしています。しかし、それでも生活に必要な塩や米、ナイフ、釜、衣類などは定期的に里に下りて購入しなければなりません。現金収入のほとんどない彼らは籐で作ったバスケットやバッグを売り歩いたり、わずかな土地で採れた陸稲やトウモロコシを市場で売ったり、タガログ人の田畑で働いた日当でそれらを求めることになります。しかし、数字を読むことも数えることもできず、従って100ペソ紙幣と10ペソ紙幣を見分けることもできないのです。こうした事実と、彼ら少数民族に対する蔑視感が重なり、彼らの工芸品は買いたたかれ、購入した米は不法に少ないというようなことは日常茶飯事なのです。もともと長い間彼らの経済活動は物々交換に頼っていたのですが、貨幣経済の浸透とともにますますだまされることが多くなったと言えます。




 マンニャン族の人々の教育レベルが低いことをいいことにして、21世紀協会が事業を押しつけていませんか? topへ

 21世紀協会はいつも最低の資金で活動しています。スタッフや学生の食費さえ欠く有様です。そのためもあって、協会で事業を設計し、人々に事業への参加を呼びかけたことは一度もありません。事業はすべてマンニャンの人々の強い要請に基づいて立ち上げられたものばかりです。14年前に初めてミンドロに入った頃は、こちらからあれこれ事業を提案していましたが、今では、識字や教育の意義が敷衍し、協会への援助の要請は後を絶ちません。大小の援助要請のためマンニャンの人々の訪問が月に100件ほどあるくらいです。 また、ローカルリソースを最大に利用することも心がけています。もちろん、マンニャンの人々に事業への金銭的投資を求めることはできません。しかし、労働や作物などの提供は常に受けています。小なりといえ、何らかのリソースを提供していると、事業への身の入れ方が全然違ってきますし、参加意識も高揚します。

事業内容については、マンニャンの人々に設計する力はありませんので、協会スタッフが設計しますが、PRA/PLAなどの参加型手法を駆使して、設計、実施、評価のすべての段階において、住民の意志を反映するよう心がけています。




 多様性や選択の自由を主張されていますが、民族独自の言語以外で識字教育を行い、伝統的な生活様式を捨てて農業を進めるための援助を行っています。これは多様性ではなく、画一性を育てていることになりませんか? topへ

 21世紀協会は多様性や選択の自由をめざし、滅びかけている少数民族マンニャン族の人間開発にあたってきました。人々の文化を大事にし、誇りを取り戻し、なおかつ一般社会に適応できる力をつけさせたいと、教育、農業、医療衛生などさまざまな方面からアプローチをしてきました。とくに教育、農業において重点的に取り組んできましたが、取り組みながら常に疑問を持っています。

マンニャン族に伝わる「ウソ発見儀式」

識字教育は民族独自の言語ではないタガログ語、ときには英語で行っています。また、伝統的な反遊牧的生活様式を捨てさせ、農業を教えています。これは多様性ではなく、逆に画一性を育てていることにならないだろうか、と。

文化の保存といった場合、前向きの保存と後ろ向きの保存が考えられます。

森林を破壊され、食べ物がなくなり、生活手段のないマンニャン族は、このまま放置すれば、民族も文化も絶滅するしかないのが現状です。伝統的な半遊牧生活が成立しないような自然環境になった現在、彼らが選んだのが、低地人の字を学び、低地人の行っている農業を習得して生活の糧にしようという道です。21世紀協会は彼らの意志を受けて、積極的に彼らの文化を解放し、その中で、低地タガログ人や世界と交わり、彼らの文化を有機的に発展させることにより保存するという「前向きの保存」の道を支援しています。

もちろん、これまでの文化をそのままに残し、たとえば、マンニャン保護区のような区域を作り、人々を囲い込み、そこついてのみ人工的に自然の回復をはかり、伝統的な暮らしを守ってあげることもできます。しかし、この「後ろ向きの保存」の道を選んだ場合、人々の自立はあり得ず、いつまでも、外部の善意の支援に頼ることになります。人々は「天然記念物」のように保護される対象となるのです。

そもそも、伝統というものは展開し、変化していくものではないでしょうか。新しいもの、古いものが並立し、外部の影響を受けてさらに変化し、展開して行かずして、伝統や文化の意義があるでしょうか。民族の生存、文化の保存を硬直的に行うには閉鎖された世界を作り、外部との交渉をかたくなに拒否するしかありません。事実、そのようにして山奥に引きこもって出てこようとしないマンニャン族の集団もいます。その集団も、村で収穫があるとなると山から下りてきて、食べ物の分け前にあずかりにきます。

文化は外部の影響で変化するものですが、文化はまた外部の影響を排し、自己のアイデンティティーを保つものでもありす。それは不動の動者というべきもので、地球のように自転し、太陽の周りを公転しながら、その上に住むわれわれには不動の大地を提供しているのです。拠って立つ大地があればこそ、人は自由に活動することができるのと同様、自己の文化を大事にしてこそそれを発展させ、外部と交渉しても蹂躙されずにいられる。それが文化の持つ力なのです。




 半遊牧民族の文化保存策として何か積極的な行動をとっていますか? topへ

 21世紀協会が周辺のマンニャン族村々とともに設立を進めているマンニャン族人間開発センターでは、文化の保存ついてさまざまな試みがなされています。

 まず、マンニャン族の言葉について、調査し、簡単な辞書を作成したり、マンニャン語で書かれた絵本を作成したりしています。本来、文字を持たない人々の言葉を文字に移すことは「保存」というよりも、発展的保存に当たるかもしれませんが、このような矛盾ともいえる行動も滅びかけている民族の文化保存において時に必要なことかもしれないと考えています。余談ですが、マンニャンの一部族、ハノノオ族はフィリピンの民族の中で唯一文字を持っていた人々ですが、残念ながらこの文字は現在使われていません。

 マンニャンの伝承、部族ごとの習慣、食べ物、信仰なども取材しました。

 生活面においては、マンニャンの人々の知恵を集めています。薬草について教えてもらい、データを取って保存し、将来的には詳細に研究ができればと考えています。マンニャンの各部族の使う臼と杵、あるいは、服装、持ち物、籐かごなども集めて、センターにミニミュージアムを設け、展示することにしています。日本の学芸員の資格を持った人間が管理、研究指導をします。

 さらに、応用編として、IP knowledge (indigenous people's knowledge:先住民族の知恵)を取り入れたパーマカルチャー農村の設計を進めています。これは文化の発展、展開をねらったもので、自然との共生、さらに、21世紀のあるべき地球の姿をマンニャンの人々から学ぼうとする野心的な試みです。貨幣経済の浸透とともにますますだまされることが多くなったと言えます。

マンニャン族の社会についてのレポートはこちら




★その他

 「第三世界」、「発展途上国」、「低開発国」と言う表現が出てきますが、これは相手を見下した表現ではないでしょうか? topへ

 まず、「第三世界」については特に問題とは考えていません。これは、1955年バンドン会議(アジア・アフリカの有色人種国によるはじめての会議)で反帝国主義・反植民地主義のもとに,民族独立・人種平等・世界平和・友好協力などをうたう平和十原則を決議したとき、第一世界のアメリカをはじめとする資本主義国、第二世界のソ連を盟主とする社会主義陣営に対する第三の勢力として自らを位置づけたむしろ名誉あることばです。(もしかして、某都知事の「第三国」という表現と混同されていませんか?)

 「発展途上国」については多少の偽善を認めざるを得ません。現状はあきらかに「低開発国」ですが、そのような失礼な言い方は適切ではないと、「途上国」という言い方をするようになったことを受けています。ただ、途上国自身の内部からも「われわれは途上国などという結構なものではない、低開発国だ、むしろ状況は年々悪くなっているから、後退国だ。もっと現状を正しく世界に伝える努力をするべきだ」という主張があります。われわれもその主張に同調し、「低開発国」ということばを使うこともあるのですが、一般からの反発も多く、体裁のいい「途上国」という表現をつい使いがちです。




 古着を集めているようですが、汚れた洋服を着ているから、靴下も履かずに普段サンダルを履いてるから古着をあげれば喜ぶだろうと考えるのは、我々日本人や先進国の人間のエゴではないでしょうか? topへ

   一昔前の日本を想像してみてください。家族みんなが新品の服を着ていたでしょ うか?フィリピンのミンドロ島では、兄弟の数も多く、大家族が一般的です。一人 一人の衣類にそれ程お金をかけていられません。小さな子どもたちは兄や姉、 年上の親戚の子たちのお下がりを着ます。その兄や姉も、元々は親戚や近隣の家 から譲り受けたものなどを使っていたりします。

   例えばはさみなんかも子どもたち一人に一つどころか、一軒に一つもないくら いで、必要なときははさみを持っている家に借りに行きます。実際、21世紀協会 の事務所にもしょっちゅう近所の人たちがはさみ(特に髪切り用はさみ)を借り にきます。ミンドロ島のような田舎では、個人の所有欲よりも共有意識の方が依 然強いのでしょう。

   ですから、古着であることに抵抗感を感じる人はいません。借りられるものは借 りたらいい、皆で使ったらいい、という感覚が当たり前のここでは、町のマーケッ トで売られている衣類はほとんど古着です。しかも、日本から送ってくださる古 着は、中古品といえどまだ十分着られるくらい丈夫できれいなものが多く、大変 好評で、売り出し当日に即完売してしまうことがほとんどです。もっと欲しいと の要望も相次いでいるくらいです。

 21世紀協会では、できるだけ日本人の目からではなく、現地の人々の視点からニーズ を掘り起こしたいと考えてきました。





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